ZAMACのフォト日誌

見て聞いた 四季の詩  
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大震災と日和山界隈

2019-12-04 11:52:16 | 旅行記

● 11月29日(金)の石巻市は穏やかな晴れだった。この日は東日本大震災の被災地に"力"をと、クラシック音楽を中心にして届けるプロジェクトチームと一緒に、石巻市営災害復興住宅を訪れた。

高齢者を多く迎えてオペラなどの歌唱コンサートが行われたが、初体験の人が多かったのは確かだ。しかし、その大きな声量や、スケートの荒川静香さんが使った曲の話などに、耳を傾けては大きな拍手が起っていた。

 

● 演奏会が終わりZAMACは会場周辺を散策してみた。ここは門脇(かどのわき)町といい、海が近く、背後には日和山(標高61.3m)がある。そんな立地のためか、大津波で壊滅した地域なのだ。

会場となった集会所は、その跡地に建てられた5階建てのマンション風の建物の一角にあり、3年目を迎えた新しくて快適な施設だった。 

 

 

しかし、外に出て周囲を見渡すと「復興」というには道半ばが明らかだ。新築の個人宅も見えるが、区画整理事業でできた街路越しにはまだ更地や多くの墓地が目立つ。

 

 

● その門脇地区の様子の一端を、写真を使いコメントしておきたい。

 

< 現在の門脇町と背後の日和山 >

 左側に門脇小学校があり、日和山へは赤線の様にたどる。左に曲がったところの歩道が、震災前の神社(矢印が鳥居)への参道だったそうだ。

 

  

 

 < 日和山公園から見た太平洋 >

神社の境内の眼下には、旧北上川の河口と日和大橋(長さ717m)とが見える。この方角から大津波がやって来た。河口に架かる大橋の右側に見える更地が門脇町だ。3.11の大震災のときはこの神社のある高台に大勢が避難し、津波が街を飲み込むのを呆然と見るしかなかったという。それだけに復元復興ではなく、新規開発の意味合いが強い「復興」を目指さざる得ないのだろう。

 

  

< 旧門脇小学校 >

大津波は校舎の3階まで襲い全壊した。最近、大震災遺構として保存することが正式に決まり、保存準備の工事が始まっていた。ちなみに震災当時の小学生は背後の日和山(写真の松林)に避難して全員が無事だったと聞く。

 ( 注 : 一方、石巻市の旧大川小学校(こちらも全壊)も先日、大震災遺構として保存が決まった。生徒と教員ら85名の犠牲者を出している。なぜ校庭そばの裏山に避難させなかったのか、と県と市が裁判で争われて犠牲者側にいずれも敗訴している。

 

 

 

 

< 復興工事が進む門脇町から見た日和山神社 >

日和山神社(矢印が鳥居)のすぐ下に位置するところに食品・生活用品販売の商店ができた。出入りの多い駐車場はまだ砂利敷だ。

 

 

 

 

 ● 最後に

 門脇の海岸地区は港湾・岸壁工事の重車両が走り大震災の2~3年後のような感じさえする。道路は今風な区割と標識が目立つ。家並みといえるほどの建物は見えないが、新築住宅もあちこちに建つ中で、市営復興住宅はひときわ目立つ建物だ。

町の責任者の方から聞いた話では、お寺や墓石は建て直して昔の面影が残っているが、被災した人たちの事情も様々で、以前と同じにというわけには行かないと。震災前は一家を構えて、古くからの人間関係の上になり立っていたコミュニティーも消えたわけで、この地区の皆さんのご苦労や心情が偲ばれる。

今日のコンサートで出会った方たちには、一日も早く住みやすい街が出来上がるようにと祈りながら帰路に就いた。夕暮れの新築なった石巻市立病院前のあたりから三陸自動車道までは渋滞で、門脇地区とは対称的な町並みに見えた。

 


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