● 梅雨時は庭先や街路、公園に咲く花の中で、アジサイ(紫陽花・あじさい)がもっともよく似合う。
仙台市街地北部の「北山五山」というところに、臨済宗系の寺が5ヶ寺ある。仙台の藩祖伊達政宗が北の守りとして配置したのだそうだが、その中に「資福寺」というアジサイ寺がある。
カメラを片手に例年訪れている寺だが、ことしは7月1日(月)の朝、9時ごろ到着で行ってきた。この資福寺は、ブログをはじめて以来3度目の書き込みとなる。
庫裏(くり)の前のアジサイはちょうど見ごろだった。
● 咲き始めたばかりの株もあってフックラ感はなかったが、寺内はほぼ見ごろと言えそうだ。やがて家族連れや若者のグループ、年配のご夫婦。あるいは、民放テレビ局のクルーと、ことしも一緒になってしまい、撮影ポイントを交代しながらの撮影だった。
● きょうは目を転じて、資福寺の山門のわきにある、古い看板に注目して考えてみたい。
その看板はアジサイに覆われてよく見えない。まず、アジサイを手で除いてから(折ったのではありません) 撮影したのがつぎの看板だ。
ただし、この裏が正面でこの資福寺について書いてある。こちらの見えている面は背面で、最後の部分だけが読み取れる。
裏面は「備考」のようなもので、つぎのように書いてある。
— 米沢の資福寺についての記述だ。書き出してみると、 —
尚現在米澤の資福寺に伊達家
第九世政宗公夫妻と藩祖政宗の
父輝宗公の墓が建ち祠られている
● しかし伊達家について、関心がないとわかりにくいと思うので、さらにわかりやすく書き直すと ……
なお現在米澤にある資福寺には伊達家
第9代藩主である「伊達政宗公」夫妻のお墓があります。
その側には仙台の藩祖となった第17代「伊達政宗公」
の父である第16代「伊達輝宗公」の墓もあって
一緒に祀られています。
ということだが、これを伊達氏の系譜で見てみると、よりわかりやすい。
これに補足をしながら読み解いてみると、概要はつぎのようだ。
1. 源頼朝の鎌倉時代に、戦功により福島伊達郡を与えられて伊達氏を名乗るようになった。
2. 9代政宗は伊達地方を拠点にした戦略家で、長井氏を滅亡させるなどして、置賜にも侵攻。より領地を広げて勢力を拡大し、居城を高畠の屋代城に定めた。伊達氏「中興の祖」といわれている。
3. 17代政宗は秀吉により米沢から宮城の岩出山に移封。さらに仙台に移り奥羽の覇者となる。独眼竜政宗として有名で、仙台を大城下町に造営し藩祖となった。
4. 18代以降も仙台にあって、現在の第34代伊達泰宗へとつづいている。
● これらのことからアジサイ寺資福寺は、17代政宗が米沢の資福寺を引き継いで移したことがわかる。また仙台での独眼竜政宗はあまりにビッグブランドであるために、「二人の政宗公」に気づく人は多くはないようだ。
一方、米沢で米沢市史や伊達氏を語るとき、伊達氏はどのようにして登場し統治したかという場合、出てくるのは第9代の政宗なのだ。独眼竜政宗は、生誕の地としては出てくるが。
● 余談になるが、藩主の領地替えがあると現代の担当エリア交代とは違い、神社・仏閣はもちろん、文化までもお供、あるいは恣意的に移転を図っている。資福寺もその一つで、17代政宗は多くのものを米沢から仙台に移している。
例を挙げると、広瀬川河畔の「愛宕神社」や、荒町の曹洞宗四大寺院の一つ「昌伝庵」は米沢の粡町(あらまち)からだ。
ほかには町名もだ。ZAMACが数えただけでも、大町、長町、鉄砲町、柳町、荒町、土橋、南町(みなんまち。発音も同じだ。)立町、通町、福田町、中田町…。すでに改名して消えたものや、他の都市にも同名があるので、学術的根拠に欠けるのは承知で挙げてみた。
● テーマのアジサイ寺からそれてしまったが、「歴史」にはロマンがあって面白い!? 米沢産のZAMACに、この看板は伊達氏のことのみならず、昔と今、米沢と仙台、そこに暮らしていた人々のことまで考えさせられた。これは広義の「ご縁」というものではないだろうか。
資福寺観音堂わきのアジサイ
最後にややこしいと思った「二人の政宗公」を明確に区別するには系譜図にあるように、つぎのように表せば完璧だ、ということを書いてこのテーマを終わる。
・ 第9代 伊達政宗公 儀山公(ぎざんこう)
・ 第17代 伊達政宗公 貞山公(ていざんこう)
End
(つゆによし あおあじさいは めぐるなつ さそうがごとく いまさかりなり)
2人の政宗と独眼竜政宗、そして仙台と米沢の関係。歴史のロマンが感じられ、楽しく拝見しました。ありがとうございました。ご活躍を祈っています。
「巡る夏」に時の流れを感じます。短歌音痴にも味わいの幅が広がってきました。つぎの歌を待っています。