endy's teapot

今朝のSKshow!

今朝のSKShow(4/30)

2004年04月30日 | skshow
今日もストレートで「らしくない」コラムとなっている.
らしくないコラムの方が,構造からして素直に読めると言えば
素直に読めるので,喜ぶべきなのだろうが,構造分析としては
少々物足りない気がする今日のコラム

・擬態語で始まる.ショートエッセイの基本中の基本の
 手法.レトリックとして「ぞろぞろ」~「はいでる」
 「お前もかっ」と想像しやすい表現が,散りばめられている.
→ここも会話文の引用で,エッセイの基本を用いている.
 そこまで,エッセイ基本をひっぱって
 中心人物:菅代表
 を登場させている.
→中心人物についての詳細説明
→中心人物:福田氏
 列挙型の交代
 反復することによりこのパラグラス最後の文章へのたたみこむ
 前提を作っている.
→「専門家」
 あとがきのようなパラグラフ.すでに言いたいことは終わっている.柔道の投げ技で最後に相手が傷つかないよう,袖をすっと引っ張る,あの感覚.

 
 


今朝のSKShow(4/29)

2004年04月29日 | skshow
「記念日」ネタ
今日は天皇誕生日なので,関連する話題.筆者の得意分野とも言えるのでしょうが,内容には踏み込まないことにしているので,
いつもの構造分析を

・話題の設定.過去の経緯の紹介
→「一部の」パタンかな.「すんなり国民の合意」と書いて
 いるが,誰が合意したのかはここには書いていない.
 出典のわからない紹介文がまた載っている.
→「といえば」
 中心人物:昭和回帰現象
 昭和といえばで,実はそのまま次の「戦争」ストレートで
 いかないための一回クッション.
→「といえば」
 中心人物:戦争
 ここは,末文の主張を通すために,一回反語的に対立する
 主張を直前の文に入れている.この手法は筆者がよく用いて
 いる.
 全体として,一面的に言いっぱなしにならず,論説のコラムとして視点がひろくなり,文章が柔らかくなる効果があるものと
思われる.が,両方を言いたいのではないのだと推察する.
→「専門家」
 出典だけ書いて,内容がないので,あれっという構造.
 この文だけでは真実に接近はできない.
 事実紹介か権威付けかのレベルに利用.
 引き合いに出された側の気持ちはいかがものであろうか.
 肯定的な文章なので,それでよいのかどうかは原典を当らないことにはなんとも
→筆者の主張
 ここも,第一文だけ,もっといえば「自虐」という単語が
 あればそれで良いのだが,次文によりトーンが
 柔らかくなっている.
 ’夜郎自大’,’いとおしむ’の二つの単語で,柔らかに
 なっている.2つ前のパラグラフと逆の順序で
 柔らかトーン
 
 

今朝のSKShow(4/28)

2004年04月28日 | skshow
らしさが戻ってきたと言ってもいいが,
前半と後半で中心人物ががらっと変わるようなことは
ない構成.


・中心人物:被災者
 報道からの事実の紹介
→「専門家」 ロシアの放送局
 自己規模の紹介.専門家による権威付け
→「専門家」 日本のある軍事専門家
→中心人物:平壌放送
 中心人物への非難.
 非難は,各メディア共通のもの.
→「といえば」:金書記
 中心人物:国家体制
 
 放送~国家主席~国家体制という中心人物の変更が
 短い間で行われている.
 国家体制への批判.でも,破綻のない推移律となっている.

→「専門家」
 別の専門家を登場させて,批判の反復

最後の「窮乏」が事故への支援を含んでいるのであれば,
前半は「枕」として消費されずに後半まで活きている.
後半は,事故を膨らませて主張の対象を被災者から
国民生活全体へ広げている.
ここで,ここのコラムは往々にして,枕は使い捨てなのだが
今日は被災者もそのまま含まれている.

今朝のSKShow(4/27)

2004年04月27日 | skshow
今日のは,「らしからぬ」作り.

ある意味コラムらしいのだが,私を楽しませる「らしさ」がない

エッセイでもなく,独壇場でもない.

・事実の紹介:イベントの紹介
→中心人物:イベント優勝者
プロフィールの紹介

→優勝の中身の紹介
→優勝の中身の紹介
→中心人物はそのまま.
 中身の意外性の紹介
→意外性の反復



今朝のSKShow(4/26)

2004年04月26日 | skshow
今日はコラム側の人のようで,納豆の続き

21日の記事の続編

・続編を明示.「専門家」からのコメントがあったことで
反響の喜びを記述
→反響内容からのトピックスの紹介
「中国でも地域差による違いがある」次のパラグラフへの布石
→「といえば」
中心人物:日本の東西
→話は続く
→中心人物:大豆
引続き もらったコメントのトピックスを紹介
→中心人物:中国とブラジル
大国を引合にだすことにより,worldwideな印象を提示
→大豆が世界のタンパクを担っているいう結論

やはり,エッセイ風に結語の言葉のリズムに非常に気を使っているのがわかる.
全体としては,意図的な構造もなく淡々と話は進んでいる.
専門家の話も自分の主張の権威付けでもなくさっぱりとしています.


今朝のSKShow(4/25)

2004年04月25日 | skshow
昨日に引き続いて事故の話題
構造としては,以前まとめたような特徴的ひねりはなく
オーソドックスな構成.

・筆者の考察
 チェルノブイリとの類似性を考察
→共産主義(類似性),灰が広域に広がる(類似性)
 死の灰と爆発の灰を同列に扱うものかどうかあるが,
 反復によるリズムの良さは評価でき,古い体制の持つ
 欠点への評価がすっと入ってくる.
→中心人物;北朝鮮政府
 慌てたことより,対応の横柄さに対する考察を延べている
→「各国の」から「日本へ」
 ここで,中心人物:中国
 日本へ話題を絞っているのだが,構成の中心は北朝鮮の兄貴分として「といえば」式に中国に対して考察を述べている.この件に関しては本来中国は無関係だが,「中国の弟分」で連座性となっている.
→援助~情報公開~崩壊への期待をチェルブイリがたどった道筋へのアナロジーで展開.ちょっと無理があるような気がするし
ここの記述の関連が薄い.

言いたいことが論理構造以前に先にわかるだけに,どれだけ
それが,うまく論理的な展開か,もしくは落語の枕的な
意外性を以て語られれば「なるほど」なんだが,
今日は枕というより「さげ」なのか,キーワードにはめて
さくっと終わろうとしている.が,そこがうまくはまっていない
強引な主張がないだけに,最後のパラグラフが惜しい気がする.

今朝のSKShow(4/24)

2004年04月24日 | skshow
セマンティックスには踏み込まないことにしているが,
今日の一つ一つの小さな各論は「そうそう」とことが
巧みに積み重ねられている.

・中心人物:北朝鮮
 報道からの事実の紹介
→事実を積み重ねて.中心人物の負のイメージを強調している.
→「といえば」ここで,中心人物の「中心人物」とのつながりを
 ひもといて次の話題へとつないでいる
→「といえば」(北朝鮮→爆発→直前に通過した主席→首脳会談)
 とつないでいる.「といえば」なのだが,ひねりや意外性はなく誰でも先が見える順当なつながり
→実は中心人物:ウリ党
  「北に甘い」ということが言いたいパラグラフ.
 だからこのパラグラフの結論はあまりない.
→「といえば」
 北朝鮮はそのままで中心人物を日本に変更
 話題も変更
 これはオーソドックスな場面展開
→筆者の考察
 結論というより,考察のまま終了.後は読者の読後感に任せるというスタイル.ぐーと主張するコラムが多い本欄だが,このように余韻を残したというか,話の途中で終わることは,一般的にコラムは特に悪いとは思わない.

構造におおきな破綻や飛躍もなく,まとまりのよいコラム

余談的なことを一つ補足します.
このコラムは連帯修飾語に論旨や構造と無関係に
普段の主張が込められているので要確認である.

例示をしめすのも誤解を生むときもあるので気をつけなければ瀬いけないが,たとえば
--
「太った田中は息切れしている」という文章があったときに
筆者は息切れしていることはどうでもよく,「田中は太っている」と改めてここで訴えている
--
というような場合がそうで,小さな構造だが,この構造はよく見かけるので要チェックです..

今朝のSKShow(4/23)

2004年04月23日 | skshow
・「一部の」 都合のよい事例の紹介
→主張の展開
中心人物:ほおかむりしている「一部」
→一般的な考察を引きながら,「特殊」だから,事情は別だという単純な構造
→中心人物:反戦活動家
つかまっている彼らが「助けろ」いえるわけないではないので,ここは論理がつながらない

→中心人物:キャスター
世論を「是」と仮定して,キャスターを批判
→当たり前のことを書く
盛り上がったことの火消しをしているような,一般的な考察で
「ふわっ」と終了

今朝のSKShow(4/22)

2004年04月22日 | skshow
・伝聞記事の紹介
→原因の分析(よいしょッ風だが)
→他紙の紹介
→問題提起,コラムの考察
上記と違う例を持ち出して,行動が違うから,考察も逆になるという論理構造
→中心人物:影響を受けた国
→「一部の」

構造的にはみるべきものがない日.最後のパラグラフがいいたいのだが,布石もなにもない

今朝のSKShow(4/21)

2004年04月21日 | skshow
典型的な「といえば」タイプ,枕に引合いにだされた会社はうれしいかな.

・興味のわきそうな話題の紹介
中心人物:北京の納豆
→中心人物の位置づけの補強
→中心人物の位置づけの補強もう一回
→「といえば」
次の「腐る」がいいたくて納豆を担いでいたことがみえてくる
→「といえば」
腐るを肉に近似して,話題の中心人物変化
中心人物:府肉連
→匂いと糸を引くを比喩としてもちいる.

最後のさげは,掛け詞になっていておもしろいと思う.


今朝のSKShow(4/20)

2004年04月20日 | skshow

・話題の提示.筆者の関心事の明示
→過去の事実(事件と判決)の紹介
→補足.中心人物:遺族
否定的な考察の提示
→事例紹介(知識の紹介)
「専門家」という構造にしたいところではあるのだが,
一般的な知識の明示にとどまっている.つまりこの知識を
権威づけてまで何か言おうとはしていない.
→「といえば」自白つながり
今日のコラムは前半の部分は,「前振り」ではなく,
両方書きたかったのではないか.文章量がかなり近いから.
この手のコラムは書く量といいたいことの量は比例しない

前半が多い場合やうんと少ない場合共にいいたいことは
後半のほうが重い.
さて,ここで一気に痴漢の話に変わるわけ.

→これぞ「専門家」構造
でも,何を比喩したいのかはほとんど不明なのが残念

セマンティンクスからは何か読み取れるだろうか.
散りばめたきーわーど一気に刈り取ったリズム感は
よいのだが,主張の構造はわかりませんでした.

今朝のSKShow(4/19)

2004年04月19日 | skshow
今日も,エッセイ側.普段の諸氏の主張をコラムをチクリとしたいのでしょう.その批判を埋め込む中間部の構造は少々無理があるかなという感じです.最後のパラグラフはエッセイとしては見事ですね.全体に含みのある表現を多用していて,読み手に想像をされるコラムです.

・中心人物:今年の桜
筆者の観察.話題の前提を提示
→中心人物:ミニコミ通信
他の事例を引いて信憑性を固める.
→もう一度,話題を深める
→中心人物:これがいろいろなとり方ができる
「といえば」が時期だけなので,とてもつながりが悪いのが
残念.
批判の対象者が何となくいろいろにとれるのは,うまいのかぼけているのか.いつもの「一部の人」はここにはでてこない.
→中心人物:??
ひとりよがりなのば誰? 幾通りにも読ませる.
→中心人物:花ではなく,饒舌に自己主張する人々

最後のパラグラフはいいですね.
ちょっと文学に入っていて,ここでの分析にはなじまないくらい.
梨の花言葉は「和やかな愛情」ということです.
ギスギスとした自己主張に対する批判を
妙な推移律を用いずに対比させています.

今朝のSKShow(4/18)

2004年04月18日 | skshow
このコラムに週に1,2回いつものカラーとまったく異なるコラムが掲載される.単に政治ネタを扱わないというだけでなく,エッセイとなっていることも多い.とても同一人物とは思えないので,主と副という感じでぶんたんしているのであろう.今日はそのエッセイの方.

・興味を引く対象を用いた前振り.
→「といえば」今日は鉄.本当は横山光輝さんを偲んでいる
ここが主題.
→中心人物:二人のロボット
このロボットを通じて,「鉄つながり」を展開
→中心人物:歴代の著名人
鉄のイメージを持つ人を出して,話を実社会へ展開
→中心人物:歴代の著名人
ここで,政治論にいかず,もういちど反復するのが
いつものコラムと違うところ.
→中心人物:鉄人
横山さん自身を鉄人になぞらえて,偲んでいる.


今朝のSKShow(4/17)

2004年04月17日 | skshow
いかにも「らしい」内容ですが,論理構造上は
筆者の仮説に基づく推論から,ストレートに展開してゆく
随所に新たな仮定が加わり主張は多くの仮説に支えられるが,
構成としては普段より数段単純.

・本人の仮説に基づく推論
→中心人物:野党の一部
推論したことに反する事例を記述し,
中心人物を非難
→中心人物:野党の一部
推論をさらにすすめ,もう一度非難
これは,そのまま推移律なので,「といえば」とは
違うもの
→別の視点での課題提起
→中心人物:家族の方々
税負担,政府稼働の発生→非難(感謝がない)
→中心人物:拉致された人々
彼らへの批判を展開



今朝のSKShow(4/16)

2004年04月16日 | skshow
構成はまた聞き風情景描写からいつもの主張に
「といえば」風で推移律の展開

伝聞の紹介
→紹介の解説 中心人物:外国の記者
→すり替え:外国→日本
中心人物:外国のマスコミ
日本のマスコミに対する批判
→中心人物:対象の家族,日本のマスコミ
日本のマスコミに対する批判
→中心人物:対象の家族
読者の声を借りた意見主張

自己責任の対象は家族ではなく当事者なんで,この区別を
していない論理を組み立てている事例があまりに多い.

中身には立ち入らないことにしているが,
論理構造の展開に関わるので,一言だけ
家族に恵まれずに非行に走った時の親のように
「あれは成人した子供のしたことですから」って
コメントしてたら,どういう論理構造が出来上がってくるのでしょうか.根幹に筋の通った構造がある(善し悪しの評価はここでは
興味の対象外)と思われる本コラムが,ちょっとした事象で
構造を大きく変えることもあるのかなって興味をもった次第.