玄米屋ウエトミ

玄米屋ウエトミのブログ
お米5ツ星マイスターの上田那未がお届けします。

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ギリギリ・・・

2019-11-14 11:14:14 | ウエトミかわら版

岩手県のお米の仕事を兼ねての3泊4日の旅。

東北の旅は移動距離が長いので、運転を時々代わってもらおうと77歳の米屋のおっちゃんも一緒に参加してもらった
(実はおっちゃんには毎回ほとんど運転してもらっている)。

行く前、何か嫌な予感。

昨年の夏も北海道旅行はずっと雨。帰る直前晴れ。
今回はまだ隅っこのほうにいる台風が気がかり・・・。

意外と3日間は晴れて、気持ち良く過ごしたものの、4日目、ついにポツポツ雨が降り出した。
帰りの飛行機は午後5時35分の便。

母のたっての希望で母の故郷 仙台市内を観光しようと早めに市内に入り、西公園を散策した。

その後、なんかえらいJR仙台駅のロータリーが大渋滞しているなあと横目で見ながら空港入りした。
早く着いたので、晩ご飯を空港で食べていると

「伊丹空港行きの便が延着しております。もうしばらくお待ちください」

とのアナウンス。

空港入りしてから夜6時半まで待つこと3時間。今度は

「台風のため、伊丹空港行きの便は欠航になりました」

とのアナウンスが流れた。

うそやん?!! えらいこっちゃ!

姪っ子を飛行場の床に寝かす事はできひんわ。
なんとしても帰らなあかん!

空港カウンターの女性が申し訳なさそうに「京都まで新幹線で帰れる最終便です」と1枚の紙を渡してくれた。
そこには東北新幹線と東海道新幹線の時刻表が書いてあったが、

仙台での乗り継ぎ時間はたったの7分!

初めての仙台駅で、切符売場もまったくわからない。
空港連絡列車を降りてから新幹線改札口までどのくらい離れているのか見当もつかないが腹をくくった。

走るしかない!

「まいちゃん、おかじい(おっちゃんの呼名)の手を離したらあかんで。二度と会われへんで」
といいきかし、おかじいに姪っ子を託した。

岩手県の農家さんと近くのお寺に行った。

とても優しいおじさんで、姪っ子も懐いていた。
とっても楽しそうだった

 

 

 

 

仙台駅に着いた途端、電車を飛び出し、猛ダッシュした。

自販機で新幹線の指定席を買おうとしても満席で買えない。グリーン席もダメ。
自由席を母の分も入れて4人分購入した。
新幹線の改札口で落ち合い、階段を駆け上がった!!

その電車はすでに停まっていた。

間に合った~。

東北新幹線に乗っている間もみんなを安心させるため笑顔でいたが気は抜けない。

次は東京駅の乗り継ぎだ!

東京駅に着くと、東海道新幹線の改札口へ走り込む。
またホームを駆け上がった。

京都駅に着いたのは深夜。今年も疲れた夏の旅だった。


熱中症事件

2019-11-14 10:50:56 | 日記

今年の夏はとにかく蒸し暑かった。
体格の立派な私はへこたれることは無かったが父が夏の盛りにバテた。

日中休んだらいいのに炎天下の中、配達。
夜7時頃しんどいと言い出し、「大丈夫か?」と聞いたら「大丈夫だ」と言う。
でもあきらかに様子がおかしい。
まっすぐ立てないのである。

脳梗塞か熱中症の判断がつかなかったので、「救急車呼ぶ?」と聞いたら首を振った。
とにかく車に乗せ、高速道路をつっ走り、救急病院に向かった。

これが間違いのもとである。

途中、父は「やっぱり救急車に乗ったらよかった」と後悔しだし、苦しみ出した。
病院に着くと大慌てで車椅子を借り、受付に駆け込んだ。

しかし、8月は時間外でも熱中症の患者で待合室はいっぱい。
「早く診察してください」と受付で頼んでも、「順番が来たらお呼びします」とらちがあかない。

焦る中、父が「息ができない。もうあかん。意識がなくなってきた」
と息も絶え絶えに私に訴えた。

こうなれば、診察室の看護師をつかまえるしかない。


 

兵庫県但馬での稲刈りイベントにて。
今年もたくさんのご参加、ありがとうございました。


ちょうど出てきた看護師に事情を訴え、すぐに中に入れてもらった。

熱中症の重症。間一髪だった。

思えば父はほとんど水分を摂っていなかった。
のどが渇いてからでは遅いのである。

これを教訓として、それから以降、強制的にのどが渇いても渇いていなくとも水分を摂らすようにしている。

 


まさかの福ちゃん

2019-11-14 10:44:26 | 日記

探し続けて2年。

もう生きていないとあきらめていた福ちゃんだったがナント最近「いるよ」と教えてくれた人がいた。

その人は絶対間違いないという。

なぜならその人は整体師さんでいつも家に来ていたから福ちゃんの姿がよくわかるのである。

 

ボールじゃないですよ(笑)
マクワウリを落としてしまい、桃子がキャッチ
かじれば甘いので、渡すまいと必死で抱えている。



「出没するのは不定期で、時間もまちまち。
夜8時だったり、夜中11時、12時頃出没する」

という。5回ぐらい出くわしたという。

さすが野犬出身だから、音もなく2メートルを超える高さから川に降り(崖)、水を飲み、いつの間にか自分の30メートル後をついてきているという
(その人は柴犬を散歩させている)。

連絡を受けて、すぐ桃子を連れて、探しに行ったが、その度に空振り。
決して昼間に顔を出さない。



暗闇の中、今も桃子と捜索中だ。早く会いたい。

旅先でのおかじい(大阪の米屋のおっちゃん)と姪っ子。
オセロをしている。
意外にも大人が苦戦するぐらい姪っ子は強い。


伝えたいこと

2019-11-14 10:15:52 | ちょっと勉強しましょう

夏休み、宮城県南三陸町のホテルに宿泊し、『語り部バス』に乗りました。
東日本大震災の津波被害をぜひ皆様に伝えたいと思い、書くことにいたしました。

                                    大津波は鳥居の下まで押し寄せた

3月11日、20mを超える大津波が町を襲いました。

その時、戸倉小学校の児童は校長の指示のもと、近くの高台にある五十鈴神社に避難し、91人全児童が助かりました。
鉄筋コンクリート3階建て校舎の屋上に逃げていれば助かりませんでした。
屋上5mの高さまで津波は押し寄せたそうです。


防災対策庁舎では住民を避難させようと 
最後まで残った職員二〇名が犠牲になった 

 

一方、隣の石巻市の大川小学校では5分で登れる裏山があったのに、全児童が校庭に待機させられ、108人の7割に当たる74人の児童が死亡・行方不明になりました。

中には裏山に逃げたいと訴えた児童もいたようで、無理やり校庭に戻されたそうです。

明暗を分けたのは普段の危機管理の意識の違いによるものでしょう。

南海トラフ地震や東京直下型地震など巨大地震がいつどこで起こるかわかりません。
他人事と思わないで、いつも備えをしておくことは大切だと思います。

 

まゆ細工のあじさいブローチを姪と色違いで買った。
手作りの温かさが伝わります

津波に襲われた多くの町はまだ復興途中です。
東北へぜひ訪れてみてください。
とても美しい海岸が広がっています。
復興支援のひとつとして、考えてくださればとてもうれしいです。


別れの年

2019-04-26 10:05:21 | ウエトミかわら版

大変長い間、かわら版が空いてしまい、申し訳ございません。
皆様、お元気でいらっしゃいますか? 年号は「令和」になり、一つの時代の終わりを感じます。

今年、冬の寒い日に祖母が亡くなりました。 95歳。
祖父よりもうんとうんと頑張って、長生きしてくれました。


誰よりも祖母が大好きだったのに、亡くなっても涙はほとんど出ませんでした。
「何でだろう?」と不思議でしたが、きっとお別れの時間が長かったので、それなりに心の覚悟が出来ていたのかもしれません。
もしくは「輪廻転生」を心のどこかで信じていて、またどこかで会えると思っていたのかもしれません。

祖母は長い間、認知症でした。 発症は82歳。
いつもおいしいお好み焼きを作ってくれたのに、その日に限って卵とだしを入れ忘れ、中途半端な味になっていました。

突然の認知症の症状に家族の誰もが信じませんでした。 

それから祖母はゆっくり認知症が進み、身の回りのことができなくなり、しゃべれなくなり、やがては動けなくなりました。
そばで見ていて、最後は生まれたての赤ちゃんのように清らかになっていくんだなあと思いました。


昨年の暮れに農家さん達に泊って頂いて、お米の栽培の勉強会を開きました。
これもやりたかった事の一つです。

 

 

 

 

祖母は専業主婦でしたが、何でもできる、とてもかしこい女性で、尊敬していました。
商売をしていた両親の代わりに面倒をよくみてくれて、思い出がたくさんあります。

毎年1回小旅行もしました。 カーナビの無い時代です。
地図が見れない祖母は当てにできないので、前日に寝る間も惜しんで、私なりの旅行の地図を書き上げました。
それでも距離感がいまいち掴めていなかったことも多く、宿に入るのは夜なんてことはしょっちゅうでした。
元気な時代に祖母と私は密度の濃い時間が過ごせて、とても幸せでした。

今、思うのは「できるときに何でもやったほうがいい」ということです。
当たり前のように思いますが、それがとても難しいのです。
昔、米屋を始めたばかりの私は機械投資などで、台所事情が大変厳しく、わずかな小遣いをためて、やっとの思いで1年に一度旅行に行く。

祖母と過ごす時間は私にとっては何倍もの価値がありました。
我慢することも大事ですが、1度きりの人生。 その時しかできないことがたくさんあるはず。

いろんな経験を積んで、祖母のような素敵な女性になれたらと願っています。

 


またやってしまった

2019-04-26 09:57:13 | 日記
今年のお正月休みに母と友人と犬を連れて、高知県に行った。
目的は高知県の田んぼの農家さんに会うことと桃子(犬)のお里帰りである。

お里帰りと言っても保健所から引き取った元野良犬なので、どこで生まれたのか、何歳なのか、さっぱりわからないが、どんなところを放浪していたのか知りたかった。

 高知県南国市の農家の「西村さん」


2泊3日の旅行。1泊目は犬も泊れる四万十川のコテージで泊まる予定にしていた。
ところが農家さんとの話が長引き、「えらいこっちゃ。急がな」と思ったのが遅かった。
四万十市に入ったのがすでに夜。

「カーナビが付いているから大丈夫」と安易に考えていたのが浅はか。
なんと宿は四万十川の上流。
「ちゃんと調べんか!」というお怒りの声も聞こえてきそうなくらい、地図を見ていなかった。
「とにかく早く着いて、宿の持ち主から鍵をもらわないと」と焦った。

道中はガードレールもない、1本道の急な崖路。
しかも真っ暗である。
心臓バクバクしながら、ようやく宿に着いた。

安心したのも束の間。
「しまった!晩ご飯がない!」

鍵を受け取り後、母と犬を残して、またもや四万十市内へ食料を調達しに行った。
すっかり運転にびびってしまった私は76歳の友人に運転を代わってもらった。
1時間半ほどかけて、ようやく宿に戻った二人はすっかり疲れ切って、食事どころではなかった。

翌朝、そそりたった崖を見て、二人とも青くなった。「余裕を持つこと」。大事である。


 高知県宿毛市の吉村さんのおかげで、
 桃子の命はつながった。
 まわりの子達も保護犬。


あきらめも肝心

2019-04-26 09:34:08 | 日記
両親が年行くと、他人のものを自分のもののように使ってしまうことが多々ある。
それも悪気なくするものだから、怒れないのだが。

最近は私のジョキングシューズ。
履こうとするとない!
すると母が履いて、帰って来た。

「あら。私のじゃないの?。サイズピッタリで、気付かなかったわ」なんて、言っている。
「柄見たらわかるやん」と言い返してみるが、本人はすでに別のことに興味を持っていて、まるで私の言い分など頭に入っていないようだ。

昔、書いた歯ブラシもそうだ。
父と1ヵ月も共有していた。
現場を見た私はショックだった。
「父と同じ歯ブラシをずっと使っていたなんて・・・」

日常茶飯事だからもう仕方がないと思っている。
そう、あきらめも肝心なのである。


昨年の十二月、2回目の京都お米コンクールにて。

婚活♡

2019-04-26 09:31:51 | 那未の婚活
年末、仲間内のビンゴ大会で、なんと「婚活パーティー券」が当たってしまった。
当たってしまったというより、当てさせられた。

「この券は那未さんがもらうから、誰も取ったらあかんで」
と忘年会で指示が飛び、私がゲット。


早く参加しなあかんと思っています。

長寿の心得

2018-11-08 10:18:20 | ウエトミかわら版

寒い季節がやってきました。
皆様、お元気でいらっしゃいますか?

先日、母と20年ぶりに二人だけで信貴山に旅行しました。
お寺、神社がたくさんあり、煩悩が多い私にとっては「あれもこれも」状態。
金運招福のパワースポットと聞けば熱心に拝み、山のてっぺんに一願成就のお寺があると聞けば汗ふきふき登り、何でも融通してもらえるお寺と聞けば祈祷して頂いたりと欲深いことこの上限り。

なんと5時間も拝むのに費やしました。

信貴山の空鉢護法にて。
やっとの思いで山の頂上にたどりついた。ヨレヨレだ。

帰宅後、母は「拝み過ぎてどこがどこだかさっぱり覚えてへんわ」とぼやいていました(笑)。
かろうじて覚えている、とあるお寺の掲示板におもしろいことが書かれていたので一部ご紹介します。

 ★「長寿の心得」  人生は山坂多い旅の道   

・還暦 → 六十才でお迎えの来た時は只今留守と云え
・古稀 → 七十才でお迎えの来た時はまだまだ早いと云え
・喜寿 → 七十七才でお迎えの来た時はせくな老楽これからよと云え
・傘寿 → 八十才でお迎えの来た時はなんのまだまだ役に立つと云え
・米寿 → 八十八才でお迎えの来た時はもう少しお米を食べてからと云え
・卒寿 → 九十才でお迎えの来た時はそう急がずともよいと云え
・白寿 → 九十九才でお迎えの来た時は頃を見てこちらからボツボツ行くと云え


私の祖母が入院している病室に、とってもおもしろい婆さんがいました。
一言でいえば「文句婆さん」。
いつも目をつぶって寝ているから見えていないと思いきや「ちょっと姉さん、姉さん」と必ず呼ぶ。

その後は決まって「腰が痛いねん。お尻が痛いねん」と訴えます。
「おしっこ、誰か連れてって」と叫んでいる時も。
すると隣に入院している別の婆さんが「もうちょっとしたらおむつの交換に来るで」と返事。

そしたら文句婆さん、「えっ、連れてってもらわれへんの?じゃあ、おしっこして、ベットびしゃびしゃにしてやるわい」と声を張り上げる始末。
食事の時は「同じもんばっかり出しよって。ほんままずいなあ」と文句ばかり。
でもなんか憎めなくて、いつもぼやきを楽しみに聞いていました。

そんな文句婆さんがある日、突然いなくなり、施設に行ったと聞きました。
そういえば、入院中、一度も家族を見たことがなかったっけ。でも大丈夫。
長寿の心得を地で行く、たくましい文句婆さんだから

きっと長生きするわ。今も口は健在、間違いなし!


ドキドキの運転免許更新

2018-11-08 10:13:37 | 日記

父は75才を越えているので、運転免許更新の際は認知症検査を受けないといけない。

インターネットでどんな試験なのか調べてみると案外難しい。
毎日「聞いた」「聞いていない」と父と私はバトルを繰り広げているものだから、「父ちゃん、やばいで。落ちるで」と脅していた。

試験が終わり、家に帰って来た父。 どこか余裕のある顔だ。
「どうやった?」と私が聞くと父は「高得点や。ほら見てみい。」と自慢げに結果を見せてくれた。

母と私は同じことを思っていた。
「首がつながった」。落ちたら、仕事できない。
こんな相手(父)でも大切な仕事の相棒だ。

ところが姉だけは辛辣な一言。
「受かるのはおかしい。絶対カンニングしたに違いない。」と言い張る。

父、苦笑。 まあ、家族ゆえの厳しい声と受け止めて、次の更新も頑張って(●^o^●)