大変長い間、かわら版が空いてしまい、申し訳ございません。
皆様、お元気でいらっしゃいますか? 年号は「令和」になり、一つの時代の終わりを感じます。
今年、冬の寒い日に祖母が亡くなりました。 95歳。
祖父よりもうんとうんと頑張って、長生きしてくれました。
誰よりも祖母が大好きだったのに、亡くなっても涙はほとんど出ませんでした。
「何でだろう?」と不思議でしたが、きっとお別れの時間が長かったので、それなりに心の覚悟が出来ていたのかもしれません。
もしくは「輪廻転生」を心のどこかで信じていて、またどこかで会えると思っていたのかもしれません。
祖母は長い間、認知症でした。 発症は82歳。
いつもおいしいお好み焼きを作ってくれたのに、その日に限って卵とだしを入れ忘れ、中途半端な味になっていました。
突然の認知症の症状に家族の誰もが信じませんでした。
それから祖母はゆっくり認知症が進み、身の回りのことができなくなり、しゃべれなくなり、やがては動けなくなりました。
そばで見ていて、最後は生まれたての赤ちゃんのように清らかになっていくんだなあと思いました。
昨年の暮れに農家さん達に泊って頂いて、お米の栽培の勉強会を開きました。
これもやりたかった事の一つです。
祖母は専業主婦でしたが、何でもできる、とてもかしこい女性で、尊敬していました。
商売をしていた両親の代わりに面倒をよくみてくれて、思い出がたくさんあります。
毎年1回小旅行もしました。 カーナビの無い時代です。
地図が見れない祖母は当てにできないので、前日に寝る間も惜しんで、私なりの旅行の地図を書き上げました。
それでも距離感がいまいち掴めていなかったことも多く、宿に入るのは夜なんてことはしょっちゅうでした。
元気な時代に祖母と私は密度の濃い時間が過ごせて、とても幸せでした。
今、思うのは「できるときに何でもやったほうがいい」ということです。
当たり前のように思いますが、それがとても難しいのです。
昔、米屋を始めたばかりの私は機械投資などで、台所事情が大変厳しく、わずかな小遣いをためて、やっとの思いで1年に一度旅行に行く。
祖母と過ごす時間は私にとっては何倍もの価値がありました。
我慢することも大事ですが、1度きりの人生。 その時しかできないことがたくさんあるはず。
いろんな経験を積んで、祖母のような素敵な女性になれたらと願っています。