不登校のことについて、私なりに考えていることを記してみます。
昔、少しまとめた時に作成したものですが、今でも通用するかも知れないと思います。
不登校の理解
わが国において、不登校の児童生徒が出現し始めたの昭和30年代の半ばからであるといわれる。ある研究者が、今までとは異なるタイプの多欠席児童生徒がみられるとのことで学会に発表したことから注目されるようになった。その時の欠席は、学校に行きたいとは思うが、「学校が怖い」「不安で学校に行けない」との理由によるものが多く、この状況から「学校恐怖症」と呼ばれることもあった。
その後、昭和40年代に入ってから、文部省も統計調査を行うようになり、特別な理由もないと思われるのに学校を年に50日以上欠席する生徒(現在は年30日以上)の数を調査している。
特に合理的な理由もないと考えられるのに登校しないとなると、学校も保護者も「怠け」や「本人のわがまま」ではないかと考え、時には強い指導も行い登校させようとするが、本人は登校しない、登校できない場合が多いのが現実である。
この現象の背景には、いったいどのような事情が潜んでいるのであろうか、不登校がみられるようになってからすでに50年程の年月が経過しているが、学校において、不登校生徒への援助・指導について、必ずしも思うようには行っていないのが現実ではないかと思われる。そこで、不登校の理解と援助・指導の基本的な進め方について以下のように考えてみたい。
昔、少しまとめた時に作成したものですが、今でも通用するかも知れないと思います。
不登校の理解
わが国において、不登校の児童生徒が出現し始めたの昭和30年代の半ばからであるといわれる。ある研究者が、今までとは異なるタイプの多欠席児童生徒がみられるとのことで学会に発表したことから注目されるようになった。その時の欠席は、学校に行きたいとは思うが、「学校が怖い」「不安で学校に行けない」との理由によるものが多く、この状況から「学校恐怖症」と呼ばれることもあった。
その後、昭和40年代に入ってから、文部省も統計調査を行うようになり、特別な理由もないと思われるのに学校を年に50日以上欠席する生徒(現在は年30日以上)の数を調査している。
特に合理的な理由もないと考えられるのに登校しないとなると、学校も保護者も「怠け」や「本人のわがまま」ではないかと考え、時には強い指導も行い登校させようとするが、本人は登校しない、登校できない場合が多いのが現実である。
この現象の背景には、いったいどのような事情が潜んでいるのであろうか、不登校がみられるようになってからすでに50年程の年月が経過しているが、学校において、不登校生徒への援助・指導について、必ずしも思うようには行っていないのが現実ではないかと思われる。そこで、不登校の理解と援助・指導の基本的な進め方について以下のように考えてみたい。