今回も表題の通りで、その続きです。ライブも含んでいると思いますので、よろしくお願いします。
意欲を育む4つのポイントを出してみましたが、その4番目にありました環境の影響が一番大きいかもしれません。特に親子関係を含む家庭の影響は一番大きいかもしれないです。
家庭の中で親と接しいる部分が、小さい子どもほど大きく深いのですからその影響は本当に強いと思います。あまりよくない環境の中で育てられれば、やはりやる気はそがれてしまうことになると思われます。
今回は親子関係の在り方については、深く述べてみる気持ちはあまりなくて、そもそも意欲と言うのはどのような基盤の上に立っているのかについて考察してみたいと思います。
意欲の元になるのは健全なエネルギーでしょうし、活力がないと活発な行動も行われないのですから意欲の元は育たないでしょう。では活力はどのような環境の中で生まれるのかですが、それは、少し抽象的ですが、生まれた子どもが一人の大切な存在としてきちんと扱われることから生じると思います。生まれたばかりの子どもでも、その感性はとても敏感でまわりの雰囲気をきちんと感じ取っていると思われます。いやむしろ赤ちゃんは自分では何もできず、生命の維持もできないのですから、周りが自分をどのように扱ってくれるかを、本当に敏感にシビアに気にかけていると思います。
やはり大切にされずに、自分が、所属する集団の中で価値ある存在として扱ってもらいないような状況では、心の中に不安や不信等の気持ちばかりが育って、活力などは生まれないことでしょう。この漠然とした感情は、ある意味でその子の基盤として存在することにもなってしまう可能性があり、その影響は大きくなっても続くこともあると思われます。
生まれた時からしばらくの間の状況、環境は本当に影響が大きく、場合によってはその子どもの一生に影響を与える可能性もあると考えられます。
このように表現されると、運命論的な考えを持たれることがあるかもしれませんが、でもそれだけと言うことでもありません。人間は本当に可塑性が大きくて、変化することができる存在なので、その後の人間関係、社会的関係の中で持たれる環境等によって、大きく成長する可能性もありますので、小さい時の環境がすべてを決めるということでもありません。但し、やはりその影響は大きいと言わざるを得ないとは思います。
物理的環境と心理的・人間関係的環境とどちらが大きな影響力を持つかと言えば、それは人間関係的環境かもしれませんが、そのことも物理的な環境の影響も受けますので、どちらの影響も受けるというのが本質かもしれません。
少し難しい概念的に表現すれば、活力の元は、その個人が「深く受け入れられる」ということかと思います。良い環境の中で、親をはじめとして、周囲の人たちからきちんと深く受け入れられて、安心して存在することができ、気持ちも落ち着いて過ごせるとき、人が本来持っている活力、成長力が表現されると思います。このような関係がある程度安定的に継続的に与えられれば、その子どもの中には人や社会を信じる肯定的な感覚が育ち、その子の成長力を最大限に育てる力が強く備わると考えられます。自信や自己肯定的な感覚や価値観と言ってもよいかとも思われます。人は基本的に安定や安心を求める存在とも思われます。
逆に、そのような環境が得られにくかった、得られなかった場合には、基本的な基本的な欲求が十分には満たされなかったことになると思われますので、やはり活力、エネルギー感が弱くなるかもしれません。
但し、弱くなったからと言って、そこであきらめる必要もありません。人は大きな可塑性を持つ存在ですから、親でも先生でも、その他の人でも、その子どもの特性に気づいたときに可能な形で、その時まで不十分であった部分を与える活動を行うことで、少しずつでも本来的な活力、エネルギー、意欲を取り戻すことができるようになると思われます。
その具体的なやり方も考えることができると思いますので、次の機会に触れてみたいと思います。今回はここまでにさせていただきます。またよろしくお願いいたします。
意欲を育む4つのポイントを出してみましたが、その4番目にありました環境の影響が一番大きいかもしれません。特に親子関係を含む家庭の影響は一番大きいかもしれないです。
家庭の中で親と接しいる部分が、小さい子どもほど大きく深いのですからその影響は本当に強いと思います。あまりよくない環境の中で育てられれば、やはりやる気はそがれてしまうことになると思われます。
今回は親子関係の在り方については、深く述べてみる気持ちはあまりなくて、そもそも意欲と言うのはどのような基盤の上に立っているのかについて考察してみたいと思います。
意欲の元になるのは健全なエネルギーでしょうし、活力がないと活発な行動も行われないのですから意欲の元は育たないでしょう。では活力はどのような環境の中で生まれるのかですが、それは、少し抽象的ですが、生まれた子どもが一人の大切な存在としてきちんと扱われることから生じると思います。生まれたばかりの子どもでも、その感性はとても敏感でまわりの雰囲気をきちんと感じ取っていると思われます。いやむしろ赤ちゃんは自分では何もできず、生命の維持もできないのですから、周りが自分をどのように扱ってくれるかを、本当に敏感にシビアに気にかけていると思います。
やはり大切にされずに、自分が、所属する集団の中で価値ある存在として扱ってもらいないような状況では、心の中に不安や不信等の気持ちばかりが育って、活力などは生まれないことでしょう。この漠然とした感情は、ある意味でその子の基盤として存在することにもなってしまう可能性があり、その影響は大きくなっても続くこともあると思われます。
生まれた時からしばらくの間の状況、環境は本当に影響が大きく、場合によってはその子どもの一生に影響を与える可能性もあると考えられます。
このように表現されると、運命論的な考えを持たれることがあるかもしれませんが、でもそれだけと言うことでもありません。人間は本当に可塑性が大きくて、変化することができる存在なので、その後の人間関係、社会的関係の中で持たれる環境等によって、大きく成長する可能性もありますので、小さい時の環境がすべてを決めるということでもありません。但し、やはりその影響は大きいと言わざるを得ないとは思います。
物理的環境と心理的・人間関係的環境とどちらが大きな影響力を持つかと言えば、それは人間関係的環境かもしれませんが、そのことも物理的な環境の影響も受けますので、どちらの影響も受けるというのが本質かもしれません。
少し難しい概念的に表現すれば、活力の元は、その個人が「深く受け入れられる」ということかと思います。良い環境の中で、親をはじめとして、周囲の人たちからきちんと深く受け入れられて、安心して存在することができ、気持ちも落ち着いて過ごせるとき、人が本来持っている活力、成長力が表現されると思います。このような関係がある程度安定的に継続的に与えられれば、その子どもの中には人や社会を信じる肯定的な感覚が育ち、その子の成長力を最大限に育てる力が強く備わると考えられます。自信や自己肯定的な感覚や価値観と言ってもよいかとも思われます。人は基本的に安定や安心を求める存在とも思われます。
逆に、そのような環境が得られにくかった、得られなかった場合には、基本的な基本的な欲求が十分には満たされなかったことになると思われますので、やはり活力、エネルギー感が弱くなるかもしれません。
但し、弱くなったからと言って、そこであきらめる必要もありません。人は大きな可塑性を持つ存在ですから、親でも先生でも、その他の人でも、その子どもの特性に気づいたときに可能な形で、その時まで不十分であった部分を与える活動を行うことで、少しずつでも本来的な活力、エネルギー、意欲を取り戻すことができるようになると思われます。
その具体的なやり方も考えることができると思いますので、次の機会に触れてみたいと思います。今回はここまでにさせていただきます。またよろしくお願いいたします。