理想的にいけばいいけれど・・・
今日は表題のような題にしてみました。
8月も下旬に入り、夏休みも残りが少なくなってきました。宿題やら何やらで、本人も保護者さんも、少し気ぜわになってきているところでしょうか。
もしかすると、不登校の人が見てくれているかもしれませんので、それらの方々へもちょっとこんな風に考えてみたらどうだろうか、という意味で題を決めました。
人生は本当にいろいろなことがあって、自分の思うようにいかないことが多いですよね。
また、今の時代は複雑で、情報もたくさんあって、何が何やら、どう思ったら考えたらのことが多いですよね。
不登校の子どもたちは、かなり繊細な感受性を持っていることが多いように感じることが多いですね。
周りの人が自分をどう思っているのだろうか、嫌われているのではないだろうか、とか、教室に行ったらみんなはどんな反応をするだろうか、教室でみんなとうまくやっていけるだろうか、とかの思いを持っている人が多いかと思います。
自分が受け入れられるかどうか、自分への評価はどうかなどの気持ちがあって、心配になってしまいますよね。
そんなことが続いて、心のエネルギーを使って疲れてしまうこともあるかもしれませんよね。
周りの人が、そんなこと気にしなくてもいいよ、とか、そんな風には思っていないよ、思っていないと思うよ、そんなに気にしてないよ、とか言われても気になってしまうことはそれはそれで仕方ないかもね。
それでね、その辺をどうしたらいいだろうか、どのように考えてみたらいいだろうかということで、考えてみましたよ。
理想のようにいけばいいけれど、自分の思っているように進めばいいけれど、望んでいるような状態になれたらいいけれど、かならずしもそのようにならないので苦しいんだよね。
つらい状態が続くんだよね・・・。
そこでなんだけどね。
理想的であれば、それが本当はいいけれど、いろいろな条件があって、そうならないときも多いし、そうならない時の方が多いのが普通かな。
で、理想であることがいいのだけれど、そうでなくてもやむを得ないかな、と考えてみるのもいいかなと思うのだけれど、どうかな。
今の人はこんな言い方はあまりしないと思うけれど、以前の人は、「・・・・に越したことはないけれど・・・」とかの言い方をしたよね。
・・・の方がいいのはその通りだけれど、そうでなくてもやむを得ない、仕方ない、そんな意味かな。
やわらかい考え方やとらえ方がけっこう大切かなと思うよね。一人の人が、相手の人や自分の周りの環境を変えるのはなかなか難しいけれど、自分があることを受け止める、受け止め方や感じ取り方は、多少は変えることもできるかと思うよね。
急には難しいかもわからないけれど、そのようにしようと、考えようと努めていると、だんだんに身についてきてできるようになるのではないかと思うんだよね。
今日はそんなことを伝えてみようかなと思ってアップしてみましたよ。
一方的な意見だとしたらもうしわけないけれど、許してね。
あまり固定的な硬い考え方をしなくてもいいかもしれないと思っています。
いろいろ考えたりやってみたりして、いろいろ取り組んでみてくださいね。何か変化がおこうかもしれませんからね。では・・・
保護者の方や先生がみていただけましたら、子どもに一方的に求めることを続けていくと、
子どもの考え方や受け止め方が硬くなってしまって、せっかく持っている本人の特性や柔軟性、可能性が発揮できにくい方向に進んでしまう可能性もあるかと思いますので、子どもの状態にあった、柔らかな対応が必要に思われますので、対応を考えてみていただければ幸いです。
(別ブログからの再掲です)
今日は表題のような題にしてみました。
8月も下旬に入り、夏休みも残りが少なくなってきました。宿題やら何やらで、本人も保護者さんも、少し気ぜわになってきているところでしょうか。
もしかすると、不登校の人が見てくれているかもしれませんので、それらの方々へもちょっとこんな風に考えてみたらどうだろうか、という意味で題を決めました。
人生は本当にいろいろなことがあって、自分の思うようにいかないことが多いですよね。
また、今の時代は複雑で、情報もたくさんあって、何が何やら、どう思ったら考えたらのことが多いですよね。
不登校の子どもたちは、かなり繊細な感受性を持っていることが多いように感じることが多いですね。
周りの人が自分をどう思っているのだろうか、嫌われているのではないだろうか、とか、教室に行ったらみんなはどんな反応をするだろうか、教室でみんなとうまくやっていけるだろうか、とかの思いを持っている人が多いかと思います。
自分が受け入れられるかどうか、自分への評価はどうかなどの気持ちがあって、心配になってしまいますよね。
そんなことが続いて、心のエネルギーを使って疲れてしまうこともあるかもしれませんよね。
周りの人が、そんなこと気にしなくてもいいよ、とか、そんな風には思っていないよ、思っていないと思うよ、そんなに気にしてないよ、とか言われても気になってしまうことはそれはそれで仕方ないかもね。
それでね、その辺をどうしたらいいだろうか、どのように考えてみたらいいだろうかということで、考えてみましたよ。
理想のようにいけばいいけれど、自分の思っているように進めばいいけれど、望んでいるような状態になれたらいいけれど、かならずしもそのようにならないので苦しいんだよね。
つらい状態が続くんだよね・・・。
そこでなんだけどね。
理想的であれば、それが本当はいいけれど、いろいろな条件があって、そうならないときも多いし、そうならない時の方が多いのが普通かな。
で、理想であることがいいのだけれど、そうでなくてもやむを得ないかな、と考えてみるのもいいかなと思うのだけれど、どうかな。
今の人はこんな言い方はあまりしないと思うけれど、以前の人は、「・・・・に越したことはないけれど・・・」とかの言い方をしたよね。
・・・の方がいいのはその通りだけれど、そうでなくてもやむを得ない、仕方ない、そんな意味かな。
やわらかい考え方やとらえ方がけっこう大切かなと思うよね。一人の人が、相手の人や自分の周りの環境を変えるのはなかなか難しいけれど、自分があることを受け止める、受け止め方や感じ取り方は、多少は変えることもできるかと思うよね。
急には難しいかもわからないけれど、そのようにしようと、考えようと努めていると、だんだんに身についてきてできるようになるのではないかと思うんだよね。
今日はそんなことを伝えてみようかなと思ってアップしてみましたよ。
一方的な意見だとしたらもうしわけないけれど、許してね。
あまり固定的な硬い考え方をしなくてもいいかもしれないと思っています。
いろいろ考えたりやってみたりして、いろいろ取り組んでみてくださいね。何か変化がおこうかもしれませんからね。では・・・
保護者の方や先生がみていただけましたら、子どもに一方的に求めることを続けていくと、
子どもの考え方や受け止め方が硬くなってしまって、せっかく持っている本人の特性や柔軟性、可能性が発揮できにくい方向に進んでしまう可能性もあるかと思いますので、子どもの状態にあった、柔らかな対応が必要に思われますので、対応を考えてみていただければ幸いです。
(別ブログからの再掲です)