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児童生徒 学級 学年 学校の取り扱い説明書

教育のことや子育て 不登校問題への対応等について、考えてみます。

待つこと 見守ること

2014-02-03 14:54:49 | 教育相談
待つこと 見守ること

 今回は、標題のようなことにしました。先日あるところで話しているときに、待つことや見守ってやることの大切さに気づきましたという話をいただきました。
 親や周りに人は、どうしても自分のペースで話したりしてしまいがちですが、そのような人間関係が続いていると、いつの間にか、子どもの考えが育たなくなってしまう危険性があります。
 子どもが指示の通りに動いているからそれでいいやと思っていると、いつの間にか、子どもの心の中に自主的に活動する力が弱くなってしまうことがあります。
 それが、いつか影響してきて、子どもが動かなくなったり、動けなくなったりする危険性があると思われます。
 特に、思春期になって、自分の考えが生じてくると、今までの、周りの意見で動いていたことができにくくなったり、無意識的にも動くのがいやになったりして動かなくなることがあるように思います。
 圧力を掛けられていた人間関係は、耐えられる内は耐えると思いますが、耐えられなくなると、いろいろな形で、心情を表現してくるのではないかと思われます。
 どのような形でそれを表現するかについては、その子どもの特性や置かれた状況によって変わってくるのだと思います。
 圧力を掛けている人間関係が、その子どもとの関係で、知らずの内に成立してしまっていないかどうか、確認することは大切なことと思われます。
 周囲の人の言葉が多すぎる時には、子どもを危険な状況におく可能性があると思われますので、見守ることや待つことがとても大切なことに思われます。
 ただし、待ち方には何か工夫も必要に感じられる面もあると思われます。できたらそれも考えていただけることもよいことかと思います。
 機会がありましたら、そのことにも触れてみたいと思います。今回はこれで・・・








話すこと聴くこと 聴くことの意義

2014-01-28 08:30:59 | 教育相談
話すこと、聴くこと

 今回は、話すこと、聴くこととしてみました。言葉のやりとりで日常の生活は成り立っています。子どもと接するときも、子どもがある程度大きくなると、言葉のやりとりが多くなって、周りの人が直接手を出してやることは少なくなります。
 これはむしろ当たり前のことで、いつまでも手を貸していたら子どもの自立心や生活能力が身に付かなくなってしまいます。
 でも、よく見ると、言葉のやりとりはしているように見えるのだけれど、よく検討してみるとやりとりになっていない場合も多く見受けられるようです。
 そして、そのことに気づかないで長期的にそのようなことになっている事例も多いようです。
やりとりとは、それぞれの言葉の中に含まれる感情や気持ちがやりとりされていると言うことを意味しています。
 一方から一方への感情の発信は、あるいは発散と言ってもよいかもしれませんが、それはやりとりではありません。相互にきちんと気落ちを受け止めて、さらに確認して、理解してやりとりを発展させて、一定のところに落ち着く、あるいは妥協が成立して、相互に満足までは行かないけれど、納得する過程が言葉のやりとりと言うことになると思われます。
 そこで、話すことが多くて、聴くことが少ない親子関係というのもけっこう普段に見受けることです。
 話しっぱなし、フォローがない、話すことで自己満足、いらいら等の気持ちを相手にぶつけて満足する、等々、様々な形態があるように見受けられます。
 聴くことの効用は思いの外に大きいと思われます。話すことも大事ですが、聴くことで相手を尊重することができます。聴くことで、話す人を聴く人よりも高い位置に置くことができます。大事にすると言うことです。
 特に、言葉は気持ちの動きを含みますから、相手が子どもの場合は特に、気持ちの動きや揺れ、言葉の内包する気持ちを想像しながらていねいに聴いていくことで本来的な相互の言葉のやりとりが成立すると思われます。すると、子どもに不思議な変化が現れることでしょう。
 さて、どのようになるか、ある程度の期間を想定してやってみられたらいかがでしょうか。もしかしたら、想像しなかったような、けっこういい変化が起こるかもしれませんよ。
 今まで、子どもの言葉をきちんと聴く努力をしてこなかったと思われている方は、特にやってみる価値はあると思いますよ。
 話すこと聴くこと、特に聴くことでよい交流が完成すると思われます。時間がなくなったのでここまで。














意欲の素は何?

2014-01-20 21:57:47 | 教育相談
 今回は、子どもの意欲の基、あるいは意欲の元について触れてみます。

意欲の基になるものは
 子どもは、基本的に、それぞれ自分の力を一生懸命に発揮しようとする気持ちを持っています。成長したい、できるようになりたいという志向性を持っているということです。 成長しようとする気持ちが十分に出てくるには、基本的な条件として、「子どもの気持ちが落ち着いている」(情緒の安定)ことが必要になると思います。
 情緒的に安定していないと、難しい問題等に地道に取り組もうとする気持ちがなかなか湧いてきません。

情緒の安定を促す親のかかわり
 子どもが、心の中にいろいろな思いを持っているときには、何となく表情や姿勢、ふだんの様子に現れることが多いので、子どもからのサインを見逃さないようにする必要があると思います。
 親としては、まずは、子どもが心の中でどのようなことを考えているか、感じているかについて関心を持っていただけると有り難いと思います。
 そして、子どもが何かを話せると気持ちが落ち着くと思います。青年期の子どもは話さないことも多いですが、親の方から話を聴く姿勢を示すことが子どもの表現を促すことにつながると思います。

日々の生活の中で
 すべての子どもが、それぞれの子どもなりに、よい点を持っていると思います。また、改善すべき点、乗り越えるべき課題を持っていると思います。
 親としては、日々の生活の中で、子どもの生活をよく見て、よい点、改善を促す点についてはっきりとさせておき、子どもがよい点を発揮した場合、家庭生活に貢献した場合には、率直に指摘したり感謝のことばを言ったりして、一層の発揮を促す必要があると思います。
 一方で、乗り越えるべき改善点については、子どものことばを聴きながら、子ども自身がはっきりと自覚できるように伝える努力をすることが大切だと思われます。
 情緒の安定の中で、子ども自身が今後の課題について自覚できれば、それぞれの子どもなりに一生懸命に取り組んでいくと考えられます。
 
 意欲の基になる親子のかかわりができたら素敵ですね。親にとっては、子どもがそれぞれの子なりに力をつけて発揮して行くことが望みですからね。 

子どもの良さを探し伸ばす!

2014-01-05 09:35:49 | 教育相談
 お正月もすでに何日か過ぎてしまいました。新年に当たっての前向きなことを何も書いていなかったので、思いつきですが、題のようなことを考えました。

 親も学校の先生も、それぞれの子どもの改善したい点について気がつくことに掛けては天才のような資質があります。
 我が子の我がクラスの子の、それぞれの子どもについて、改善した方がよいと大人が思う点について探しだすことにかけては、親も先生も、本当に優れた資質を持っていると思います。
 特に、学校の先生は、多くの子どもを比較しながらたくさん見ていますので、誰が比較的に優位にあるかはすぐにわかってしまいます。
 ここを変えたいと思う点を探し出して、変える努力をすることが多いようです。親も同様だと思いますが、たくさんの子どもを比較しながら見ていないという点では、子どもを見ながら不安を感じると言うことの方が多くなるのではないかと思います。
 今回表現したいことは、端的に言えば、それぞれの子どもの「よい点を探し出す」努力をして、それを伸ばすことを考えた方が、いろいろな面でメリットがある(有効性や有用性がある)かもしれないと言うことです。
 幼児は幼児なりに、小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりに、以下同様に年代が大きくなっても、あるいは大人でも、それぞれの子どもや人がそれぞれの良さを持っていると思われます。
 そして、その良さをいっそう伸ばすことができたとき、その人は、自分の存在感や有用感(存在価値があると感じること)、自己効力感(自分はできると思うこと、自分への自信のようなもの)を感じることができて、生きている充実感を感じながら生活していくことができるのではないかと思われます。
 プラスの点をさらに伸ばしてプラスを多く大きくするというプラス思考(プラス指向)で子どもを伸ばすことが、子どもにとっても、親や教師にとっても行う意義の大きくあることかと思います。
 と言いながら、良さを見つけると言うことはけっこう難しいことでもあるとも思います。
 良さを、「当たり前」と見過ごすことも多いでしょうし、子どもの思いや意図を感じることができずに、発見する機会を逃してしまうことも多くあると思われます。
 ですので、かなり子どもをよく見ながら進んでいくことが大切と思われます。
 一年が良さを探して子どもに伝え返す一年であったら、多くの子どもが自分に有用感や肯定感を感じて、自信を強めて成長していく年になるのではないかと感じられます。
 改善点を少しずつでも改善できるようにしていくことも大事なことではあります。しかし、自分に自信を持つことで、子ども自身が伸びようとする力を発揮し、実際に伸びていくことで改善すべき点も、多くが克服できるのではないかとも考えている次第です。
 (改善点の具体的な改善の方法については、また別の機会に触れてみたいと思います。)
今回は、何はともあれ、良さの伸張について触れてみました。


















自己中心性について 3

2014-01-02 21:55:13 | 教育相談
新年おめでとうございます。

 年末の中で、少し時間が開いてしまいましたが、またアップしていきたいと思います。
よかったら読んでください。

 自己中心性について その3

 今回も自己中心性についてにしました。前に自己中心性の個人と周囲にもたらす影響について触れてみました。
 自己中心性が強いというと、何か、その個人や子どもが一方的に悪いかのように感じられた人もおられるかと思いますが、必ずしもその個人が悪いわけではありません。
 自己中心性は、周りとの関係で、そのようにとらえられるからです。特に子どもの場合には、周囲の人のかかわり方が大きく影響していて、その影響で自己中心性が育った、あるいは現在育っている過程にある、と考えられるからです。
 周囲の人の子どもに対するかかわり方が、どのような影響を与える可能性があるかをほとんど考えることなく接した場合、すなわち無自覚に接した場合には、その影響を受けて自己中心性が育ってしまう場合が圧倒的に多いと考えられるからです。
 どなただったか、有名人の言葉に「育てられたように子は育つ」というのがあったと思いますが、本当にその通りかと思われます。
 周りの人が育てたように子どもは育って、その結果、自己中心性の強い特性を身につけているわけです。ある意味では子どもは犠牲者と言ってもよいかも知れません。
 保護者の過剰な保護、過剰な期待、干渉等は子どもの心を鈍感にして、人の気持ちの感じられない共感性の不足した状態となって、人の気持ちがわからないが故に自己中心になる、というような面があると思われます。
 
 物理学で作用と反作用という原理がありますが、人の心の場合も同じような面があるようです。形の決まった強い働きかけが、一方的に継続的に強く与えられていると、その働きかけに対する反応として、一定の形式の反応が起こります。
 働きかけが長く続いていると、決まった反応の形式が心の中に定着してしまうことがあります。
 子どもの場合には、それが個人の心の中に定着し、特定の性格・行動特性となって定着することになるように考えられます。
 こうして固定化した固着した堅い特性になってしまったときに、柔軟性のない、固定化した考え方や物事の受け止め方が成立し、その一つの形態が自己中心性と考えてよいとも思われます。
 周囲の人々の柔軟性に富んだ豊かな温和なかかわり方が、子どもの豊かな柔軟な心を育てるといってよいと思われます。
  「温和な性格は、人(他者)を幸福にする」という言葉を思い出しました。

自己中心性について  2

2013-12-14 15:42:54 | 教育相談
さて、自己中心性について その2ですが・・・

 自己中心性の持つ意味等についてはご理解をいただけたかと思うのですが、いずれにしても、自己中になると、周りが困ると言うこととともに、早晩、本人も困ることになると言うことにその肝があるかと思います。
 本来その人が、その子が持っている可能性を十分に伸ばすことができないことはとても残念なことです。
 で、自己中を修正すると言うことが課題になるわけですが、率直に言ってなかなかに難しい課題であると日頃感じています。相談員でも、けっこう難しいことであると思います。形成されてしまった特性を別の特性に変容することはかなりの困難を伴うのが現実だと思っています。
 小さい子の場合には、可変性、可塑性、変われる余地をたくさん持っていると思いますので、比較的にやりやすいのではないかと思います。しかし、そうは言ってもある程度の時間がかかると思います。
 大人の場合には、その人自身が自己の特性をきちんと理解して、自己の特性に気づくことができて、その人自信が行動や言動に気をつけてくれると周りは楽です。問題は、気づく経験や機会があるか、あるいは気づきを促すことができる人が周囲にいるかでしょう。
 経験を得たり、人がいたりすれば、その人にはラッキーなことでしょう。ところが、それらの経験や人の促すのを素直に受け止められないことが多い、と言うのが自己中の自己中というゆえんでしょうか。それで、大人の場合は、その人の良さを可能な限り伸ばしてあげることで、本人も満足して自己中心性が少し和らぐかも知れません。
 子どもの場合ですが、基本的には大人と同じでしょうが、もう少し積極的に働きかけることができると思います。
 子どもを放任的にしてしまうと、子どもが生活に必要な知識や技術を得ることができませんので、必要なかかわりを必要な時にきちんと持つように、周りが注意することが大切だと思います。
 でも、かかわりすぎて手や口を出す、子どもの気持ちでなく親の気持ちを優先して要求する、これらだと、前にも触れた子どもの反発や親への拒否感が強くなって、気持ちの不安定から地道な活動はしにくくなるでしょう。それで短気な自己中心性が育ってしまうかも知れません。
 周りの冷静な行動、落ち着いたかかわり、子どもとの対話の能力等が大きな影響を与えることになるでしょう。
 本日はこれで・・・
何か反応があると、書いてよかったーとも思うのですが、よかったらコメントください。

















自己中心性について

2013-12-12 13:50:43 | 教育相談
自己中心性について

 いわゆる自己中のことですが、最近は、自己中の言動や行動をとる人が増えてきているようです。どうしてなのかわかりませんが、まずは自分の権利を主張して相手から攻められないようにする、言葉を換えれば自分を守るため、防衛のために自己中になっている場合もあるでしょう。
 あるいは、最近は、成長過程での経験の不足などが影響しているのか、人の気持ちがわからない、相手の気持ちを感じることができない、相手の立場に立てない等のことで自己中になっている人もいることでしょう。
 子どもの場合には、加えて、言葉を使う能力が少し低下してきているかもしれません。自分の考えや気持ちを言葉で表現する力が弱いかもしれません。テレビやゲームなどの遊びが中心で、人と関わって遊ぶことが少なくなりましたし、年齢の違う子どもたちと遊ぶことも少なくなっているでしょう。
 それから、子ども間のトラブルなどが起こっては後が大変と、予防的にはじめから大人が子どもの世界に介入してしまうことも多く、子ども間の本音の交流とかも減っているかもしれません。
 様々な要因が絡み合って、日常生活に必要な人との交流能力が十分に育っていないことが考えられます。
 そのなかで、まずは自分の権利や立場を守るためにとか、思いついたことを後先も考えずにやってしまうとか、心の中の不満やいらいらなどをストレートに表現してしまうなどで自己中になっているのかとも思われます。
 自己中の子どもは、手助けがある場面、子どもがまだ小さいときなどは立場が守られて生活していけるのですが、大きくなるにつれて周囲とのあつれきが生じて、本人も周りも困るようになります。
 自己中は、ほぼ、「自分の心をコントロールする力が弱い」と言うことと同じ意味だと思いますので、そのままでは、本当にその子どもが本来持っている能力を発揮することができにくくなり、本人も複雑な思いや劣等感などを持つこともあるでしょうし、親も、心配でやきもきしたり不安になったりするでしょう。
 子どもが自己中に育つと、特に大きくなると、親も振り回されて心配や苦労が絶えないようになるかもしれません。
 親も、日常的な子どもとの接触の中でがんばって、子どもの自己中心性を強くしてしまわないように十分に注意していくことが大切だと思われます。親と子のバランスのとれた関係が大切であると思われます。
 すでに自己中になってしまったかなと心配の方もおられるかもしれませんが、その対応法については、また次に考えたいと思います。








上手に交流できない

子育てのポイント

2013-12-08 10:06:04 | 教育相談
子どもを受け入れにくいときは?

 子どもを育てている親はとても大変です。家事、育児、それから仕事等に振り回されてしまうようです。自分の時間がなくなったり、何かに動かされているようにも感じてしまいます。
 疲れも加わってくると、本当に自分の子どもであっても、育てるが大変になります。
それで、子どもについつい拒否的な態度をとってしまうことも起こるようになることもあります。
 また、自分は何となく、この子どもが好きになれないとか、何となく性格が合わないとか、いつも常に感情的になってしまう、どうしてなのか理由もよくわからない、などもあります。
 また、いろいろなことで追いつめられたりしていて、手を出してしまう、激しすぎる言葉を使ってしまう、子どもがいやがっていることを、強くやってしまう等の場合もあります。
 このような場合に子どもが示す態度や行動は、親のやり方に反発して、乱暴になったりもしますし、やる気が少なくなって前向きな行動が見られなくなったり、悪いことでもかまわずにやってしまう、というような行動を見せる可能性があります。
 親のやること、つまり親からの刺激ですが、それへの反応としての子どもの活動が起こっているということと考えられます。
 現代の現状の生活の中では、親を取り巻く環境も過激ですから、親が子どもを受け入れる余裕が少なくなることもあると思われます。
 しかし、少し考え方を変えたり、少し心にゆとりを持っているように心がけたり、落ち着いて冷静に、考えながら、子どもの様子を見ながら行動していくようにすれば、子どもを受け入れて育てるような気持ちが持てるかと思います。やってみる価値は十分にあると思います。
 子どもの問題が少ないと、親もそれだけ楽になりますので、ゆとりを持ってがんばることが必要と思われます。
 どうしても子どもを受け入れることができにくい場合には、当面子どもが必要とすること、必要としていることを、感情にとらわれることなく、落ち着いてやってあげることでいいかなとも思われます。
 それから、子どもの話に耳を傾けてていねいに聴くことはいつの時でも大切なことであると思われます。
 まず、やってみるとよいかと思います。















子どもへの接し方

2013-12-04 08:51:33 | 教育相談
今日のブログ 子どもへの接し方 学級・学校で

学校で、緊張していて自分の力を発揮できない子どもを見ることがあります。
いろいろと感じたり、考えたりしているのに思い切って手を挙げられない、意見を表明できないで、小さくなっている。そんな子は、本人ももどかしいし、親も心配な面があるでしょう。
 このような状態の背景には、何があるのか、何かがあるのでしょうが、小さい子の場合には、家庭で必要以上に大切に育てらあれた、本来は子ども自身が行うべきことを親が代わりにやってあげた、やってしまった。それで、本人が自分のやることや言うことに自信を持てないで小さくなっているというような場合もあるかもしれません。
 子どもの成長の実態に合わせて、自分自身が取り組み、課題を解決できるように、それとなく援助する、そんな援助がよいかもしれません。節度のある子育てが大切と思われます。
 以上のようなことに、学校の先生がどのように対応していくかを考えてみると、少し地震が少ない、学級に存在感が感じられない、存在感が弱い場合には、その子どもの存在をどうにかして承認することが大切と思われます。子どもからすれば、帰属意識を育てるということかと思われます。
 一番簡単で、いつでもできる対応策は、まず名前を呼んでやる機会を増やしてみることはよいと思います。特に、プラスの面で名前を呼んであげると喜び、帰属感を強めることができると思います。
 また、子どもと意識的に視線を交わすことも有効だと思います。先生の落ち着いて暖かな視線は、子どもの緊張を弱めるのに大きく効果があるのではないかと思います。
 しばらく続けていくと、子どもにきっと変化が現れるのではないかと思われます。子どもが情緒的に安定していくと、きっとそれぞれの子どもが持っている可能性を一層発揮するように成長していくと思います。





不登校の意味について

2013-12-02 19:25:45 | 教育相談
今日の記述

 思春期になると、不登校も多くなってきます。中1ギャップとか言っていますが、確かに中学にはいると不登校の出現率が高くなります。
 中1の頃は、いろいろなことが気になってくるときです。生活も複雑になるので、乗り越えて行くにも力が必要です。
 で、この時期を「疾風怒濤の時代」とか言うのでしょう。確かに思春期の圧力は、この時期の子どもにとって圧倒的なのでしょうね。
 で、この時期のテーマは、今までの生活を総合的に振り返って、自分らしい自分を自分の力で作り上げていくということなのでしょう。
 大人に向かって行くのですから、自分なりの考え方や行動の仕方を身につけていくと言うことは当然のことなのですが、現在のような、ある意味で恵まれた、実体験の少ない、経験の中で、自分で考えていくと言うことは、とても困難な面があるのでしょうね。
 全ての子どもがこのようなことに直面するのですが、場合によっては、悩みを抱えてしまう子どももいるというのが現実かと思われます。
 あまりにも、悩みとか何かの課題とかを持ってしまった場合には、その解決のために、あるいは悩み等にとらわれすぎて、多くのエネルギーを、その軽減や解消に向けて使ってしまって、動けなくなると言うこともあるのかと思います。
 さて、周りにそのような子どもがいたら、周囲の人としてはどのように接していったらよいのでしょうか。
 何しろ、子ども自身がいろいろな課題を感じているのですから、落ち着いて考えられる、落ち着いた環境を用意してあげることが、子どもにとっては一番嬉しいかも知れません。
 早く動け、早く動けと促すことは、子どものペースを乱して、却ってさらに混乱させる可能性があるかも知れません。
 どうしたら、心が安定するかですね。でもそうすると、何か身勝手なことばかりしているように思えて見ていられないと感じることもあるでしょう。
 そんな時に、周囲の人としては、何をどう考えてやっていこうと思うかに集約されると思います。子どもの身になって真剣に考えてみることが必要でしょうか。