住友林業
平成23年4月11日 住友林業ニュースリリース
サクラ
- DNA個体識別技術によって新品種と判明 -
清岸寺(住職:吉田 真空 住所:品川区上大崎)は、浄土宗大本山増上寺(港区芝公園)の下屋敷内子院八ヶ寺の一寺であり、春には樹齢250から300年と伝えられる桜の古木、通称“祐天桜”が盛りを迎えます。“祐天桜”は、明治維新、関東大震災、東京大空襲などの歴史を生き抜いてきた東京23区内で最高樹齢の桜であり、桜としては唯一、品川区の天然記念物に指定された、非常に貴重な桜です。しかし、高樹齢であることと過去の戦災や災害の影響に加え、近年の急激な環境の変化により樹勢の衰えが目立つようになったため、後継稚樹の育成が望まれていました。
清岸寺、および祐天上人を開山と仰ぐ祐天寺(住職:巖谷 勝正 住所:目黒区中目黒)は、本年が浄土宗の宗祖法然上人の800年大遠忌に、また平成29年が祐天上人の300年御遠忌にあたることから、その記念事業として、貴重な“祐天桜”を後世まで受け継ぐことを目的として、後継稚樹を増殖することを決定しました。
住友林業株式会社(社長:市川 晃 本社:千代田区大手町)は、住友林業筑波研究所(所長:梅咲 直照 住所:つくば市)と住友林業緑化株式会社(社長:山本 泰之 本社:中野区)との協働により、植林事業や緑化事業を目的とする樹木の増殖技術の開発を行っております。今回、“祐天桜”の後継稚樹の増殖を成功させるため、これまでに開発した手法を応用しながら研究開発を進めてまいりました。その結果、バイオテクノロジーの一手法である組織培養法を活用することにより、貴重な“祐天桜”の苗木の増殖に成功しました。
■ | 祐天桜 |
これまで、“祐天桜”の種は不明とされていましたが、今回の調査研究の中でDNAによる品種識別*を行ったところ、既存の品種とはDNAが合致しなかったことから、新品種である可能性が高いと考えられます。なお、住友林業では花の形態的観察から、“祐天桜”はヤマザクラ系とエドヒガン系の桜が交配して誕生した品種と推測しています。
*住友林業が(独)森林総合研究所等とともに開発した約200品種の桜のDNAから構成される桜のDNAデータベースを用いた。
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■ | 組織培養法のメリット |
通常、桜の苗木は接木により増殖されますが、接木では樹齢がそのまま受け継がれるため、できた苗木は元の桜と同じ樹齢となります。これに対して、組織培養により増殖された苗は、幼若化という現象が起こり、若返りが期待できると言われています。また、樹勢が衰えている場合は枝の伸長が少なく、接木に適した状態の良い枝の採取が難しいのに対し、組織培養は芽の組織があれば増殖が可能となります。 さらに、屋外で育てる接木による増殖は、病虫害が発生した場合、被害が蔓延し全ての苗が枯死する危険性があります。しかし、組織培養法による増殖は、1つの芽からでも多くの苗の増殖が可能であり、無菌の試験管内で増殖を行うため、病虫害による被害の心配もありません。試験管の培養液を交換することで、半永久的に安全な条件下で保存することが可能であり、貴重な名木を未来永劫受け継いでいくには最適な方法と考えられます。 なお、筑波研究所では、これまでに醍醐寺(京都)“土牛の桜”、紹太寺(小田原)“瓔珞桜”、仁和寺(京都)“御室桜”、安国論寺(鎌倉)サザンカ、霊鑑寺(京都)ツバキの後継稚樹の増殖に成功しております。 |
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■ | 今回の組織培養法による増殖の流れ |
(1) 冬芽を採取し、その中から芽の分裂組織(茎頂(けいちょう)部)だけを顕微鏡下で摘出する。
(2) 茎頂部を試験管に移し、“祐天桜”用に開発した培養液を中に入れ、垂直に回転培養することにより、大量の芽(多芽体(たがたい))を生産する。
(3) 多芽体を水平に旋回培養することにより、多芽体から芽を伸長させる。
(4) 伸長した大量の芽(シュート)を1本ずつ切り分け、発根を促す培養液を添加した人工培養土に植えつけると、2週間程度で発根し、完全な植物体(幼苗)が再生される。ここまでは、無菌条件下で行なわれる。
(5) 低温処理を2週間程度施した後、外の条件に慣らすため温室内で育苗する(順化処理)。
“祐天桜”の組織培養による増殖は、これまで報告事例がなく、一から条件を解明する必要がありましたが、今回は開発に着手してから約1年で成功することができました。短期間での技術開発に成功した理由は、住友林業が世界で初めて組織培養により開発に成功した「フタバガキ科(ラワン)の増殖」や「エドヒガン系の桜の増殖」の経験を活かすことができたためです。 |
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■ | 今後の予定 ~組織培養から育成条件解明、DNA鑑定、そして“祐天桜”を後世に~ |
茎頂培養により増殖した苗は、理論的には必ず同じ花が咲きますが、桜は繊細な植物であるため、増殖した苗のDNAのチェックおよび開花後の花弁調査などを行い、花や葉などが同じであることを確認する必要があります。その後、祐天寺の記念事業等において、培養苗を活用していく予定です。
今後も関係各位と協力を行い、23区内では大変貴重な“祐天桜”を後世でも楽しめるよう、維持管理に努めてまいります。 |
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■ | 住友林業の今後の取り組み |
(1) 桜のDNAデータベースや組織培養法を活用し、栽培品種名の不明なサクラの識別を行うとともに、今後は日本各地にある名木・貴重木の増殖ビジネスにも取り組んでいく方針です。
(2) さまざまな樹木の種や個体の識別、種の多様性、生い立ちなどを確実に把握することで、次世代へ貴重な樹木をつなぐ取り組みを推進していきます。
(3) 当社ではDNAによる個体識別技術を用いて、平成19年に、人工林を構成する同一品種の苗、植林木、丸太や合板などの木材製品をトレースできる技術を開発しています。この技術をもとに、今後も苗木の品質管理、森林の多様性保全、木材加工品の合法性の科学的証明などビジネスへの展開を推進していきます。
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<参考資料>
■ | 祐天上人 | |||||||||||||
祐天上人〔寛永14年(1637)~享保3年(1718)〕は、浄土宗大本山増上寺第36世で、江戸時代を代表する僧侶です。磐城(福島県いわき市)に生まれ、12歳で芝増上寺の檀通上人のもとで出家し、修行しました。50歳の時に増上寺を離れて牛島(墨田区)に草庵を結び、念仏三昧の日々を送りながら「南無阿弥陀仏」の名号を書写して多くの人々に授けました。やがて、その名号を手にした人々がさまざまな利益(火難・水難・剣難から免れたり、霊魂得脱や出産にまつわる利益)を得ます。名号の噂は5代将軍綱吉の生母桂昌院の知るところとなり、将軍家や皇室、諸大名家からも帰依を受けます。正徳元年(1711)には6代将軍家宣公から増上寺36世住職を命じられました。一度引退した身でこのような出世を遂げたのは前代未聞のことでした。正徳4年(1714)に増上寺を退隠したのちも、ひたすら念仏と名号書写の生活を送り、享保3年(1718)7月15日に82歳で遷化しました。 | ||||||||||||||
■ | 祐天寺(目黒区中目黒5-24-53) | |||||||||||||
祐天上人の高弟祐海上人が、「念仏道場を建てて欲しい」と言う祐天上人の遺命により、享保3年(1718)に建立しました。当時は新寺の建立が禁止されていましたが、8代将軍吉宗の取り計らいにより、善久院という小庵に祐天寺の名を付す形で建立することが特別に許可されました。5代将軍綱吉養女の竹姫や6代将軍家宣正室の天英院など、将軍家から寄進された諸堂宇によって伽藍が整えられました。明治27年(1894)に火災で本堂などを全焼しましたが、仁王門・阿弥陀堂などは震災・戦災から免れ現在に至っています。 | ||||||||||||||
■ | 清岸寺(東京都品川区上大崎1-5-15) | |||||||||||||
清岸寺は、法性山浄国院と号し、浄土宗七大本山の一寺である増上寺(港区芝公園)の下屋敷内子院八ヶ寺の一寺です。暁誉上人が寛永元年(1624)に江戸の八丁堀に創建、寛永12年(1635)に芝金杉へ、明暦4年(1658)麻布魅穴へ移転し、寛文元年(1661)に現在の場所に移転しました。本堂は天保8年(1837)に再建されたもので、周辺では清岸寺だけが戦災を免れました。“祐天桜”は、祐天上人の手植えの桜と伝承されており、当寺の創立の寛文元年(1661)頃に植えられたと思われます。 | ||||||||||||||
■ | 住友林業株式会社 筑波研究所 概要 | |||||||||||||
「自然と人が共生できる環境づくり」をめざし、1991年茨城県つくば市「筑波研究学園都市」に設立。 木材・建材、住宅、バイオ、環境といった「木」の総合的な活用をめざし、広く研究開発を行う。
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