尾崎 慎 の 彫刻ライフ

石彫刻家尾崎慎の作品の紹介や、展覧会情報、これまでに起こってきたエピソードや日記など様々な事を綴って行きます。

経歴

2011-04-04 14:07:57 | 略歴

尾崎 慎 経歴



1961.4.28 愛知県豊明市生れ

1985 多摩美術大学彫刻科卒業
神戸具象彫刻大賞展’85出品



1986 埼玉現代美術の祭典出品 (埼玉県立近代美術館)
国営昭和記念公園野外彫刻展       (東京都立川市)
メモリアルアートの大野屋グループ展    (埼玉県浦和市)



1987 多摩美術大学大学院彫刻美術研究科修士課程修了
神戸具象彫刻大賞展’87(優秀賞受賞)
第2回現代日本具象彫刻展出品     (千葉県県立美術館)
メモリアル野外彫刻石彫展         (埼玉県)
青山一番街ビル・グループ展出品     (東京)
有視界飛行展出品 (世田谷美術館)



1988 ロダン大賞展マケット展2点出品      (箱根彫刻の森美術館)
石の彫刻3人展 (東京)



1989 第3回現代日本具象彫刻展出品     (千葉県県立美術館)
第4回国民文化祭さいたま’89出品(彫刻プロムナード/埼玉県浦和市)
グループ「乙」展(以後92年まで毎年出品/東京)
ポケットの中の彫刻展/銀座フタバ画廊 (東京)


1990 アートヒル三好ケ丘’90彫刻フェスタ(審査員奨励賞) (愛知県三好市)
個展(ギャラリー竹内) (名古屋)
第1回グランフォルム展出品 (名古屋電気文化会館)
2人展(ギャラリー21+葉) (東京銀座)


1991 横浜彫刻展出品(優秀マケット)
2人展(毎日アートコレクションギャラリー) (名古屋)
個展(丸栄スカイル絵画サロン) (名古屋)
第1回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
個展(ギャラリー沙和) (名古屋)
個展(愛宕山画廊) (東京銀座)
個展(画廊じんがら) (愛知県知立市)
1992冬~1994年春までスウェーデン滞在



1994 個展(画廊じんがら) (愛知県知立市)
第4回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)



1995
個展(松菱デパート) (浜松市)
個展(丸栄スカイル絵画サロン) (名古屋)
個展(画廊じんがら) (愛知県知立市)
第5回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
彫刻10人展「潮風にさそわれてPART2/ギャラリーⅠ」(いわき市)


1996 個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)
個展(画廊じんがら) (愛知県知立市)
96宮崎現代彫刻展・空港展出品、以後毎年 (宮崎県)
96日向現代彫刻展 日向市民大賞 (宮崎県)
母校星城高等学校卒業記念モニュメント設置
第6回NSG彫刻展 (愛知県美術館)
ストリートギャラリー (名古屋市栄)
第6回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)





1997 個展(丸栄スカイル絵画サロン) (名古屋)
第7回NSG彫刻展 (愛知県美術館)
個展(画廊じんがら) (愛知県知立市)
第7回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
97日向現代彫刻展出品 (宮崎県)


1998 個展(あーとさろんきくち) (茨城県)
個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)
個展(旭川西部デパート) (北海道旭川市)
彫刻9人展(画廊じんがら) (愛知県知立市)
彫刻10人展「ギャラリーⅠ」 (いわき市)
98日向現代彫刻展出品 (宮崎県)
彫刻2人展(新宿三越) (東京新宿)
第8回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)


1999 個展(日本橋三越本店) (東京)
個展(丸栄スカイル画廊) (名古屋)
個展(画廊じんがら) (愛知県知立市)
第9回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
ふれる彫刻展(小田原城祉水の公園・常盤木問)



2000 個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)
第10回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
個展(画廊じんがら)



2001 個展(丸栄スカイル画廊) (名古屋)
第11回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)


2002 個展(日本橋三越本店) (東京)
個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)
日韓交流彫刻展 (ソウル)
日向現代彫刻展2002出品 (宮崎県)
個展(新潟三越工芸サロン) (新潟市)
第12回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)


2003 岐阜県蛭川村特別功労者賞受賞 (岐阜県蛭川村)
個展(丸栄スカイル画廊) (名古屋)
第9回十日町石彫シンポジウム参加 (新潟県十日町市)
南風の生活文化展 入選


2004 第14回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
グループ展(ギャラリー・ラウラ) (日進市)
個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)
個展(新潟三越工芸サロン) (新潟市)


2005 個展(日本橋三越本店) (東京)
第15回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
個展(丸栄スカイル画廊) (名古屋)
個展(ギャラリー・ラウラ) (日進市)
カゴメ株式会社合併調印式に「丘に登れば」採用 (上海)


2006 個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)
グループ展(ぶなの木) (日進市)
第16回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)


2007 個展(丸栄スカイル画廊) (名古屋)
第17回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
国際彫刻展(岐阜県博物館) (関市)
第1回刈谷現代彫刻展出品 (愛知県刈谷市)


2008 第18回石彫のつどい参加 (岐阜県蛭川村)
個展(日本橋三越本店) (東京)
個展(ギャルリ・ディマージュ) (愛知県刈谷市)
個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)
グループ展(ギャラリー・ユニグラバス銀座館) (東京)


2009 蛇雄、尾崎慎、常設展示場開設(ケ・セラ・セラ)  (愛知県東郷町)
二人展(尾崎 慎、角谷清和。ギャルリ・ディマージュ)
(愛知県刈谷市)
グループ展「響♪間」(ミュー自然美術館・長野県下伊那郡)
グループ展「彫展」(ギャルリ・ディマージュ)(愛知県刈谷市)


2010 個展(丸栄美術画廊)
個展(ミュー自然美術館・長野県下伊那郡)



2011 なよろ国際雪像彫刻大会2011(グランプリ受賞)
カナダ国際雪像彫刻大会出場
個展(ミュー自然館・長野県下伊那郡)
個展(豊橋丸栄美術画廊) (豊橋市)


パブリックコレクション
長野県更埴市 福島県姫沼アートランド2点設置
神戸市都賀川公園 岐阜県中津川市4点
宮崎県日向岬グリーンパーク  宮崎県高鍋町
愛知県三好ケ丘 愛知県豊明市役所
新潟県十日町市 埼玉県浦和市


現在 日本美術家連盟会員
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手紙

2010-08-01 12:10:04 | 略歴
先日美術館に来て下さった方にお礼の手紙を折り返し出しました。

実際この手紙を読むまでこの記事を読む機会が有りませんでしたので、とても嬉しかったからです。

もともとこの美術館では、地元の作家中心で成り立たせ、特別に有名な作家を扱っている訳では有りませんが、去年ここの美術館で行われた「響♪間」というグループ展が切っ掛けで、ここにお世話になる事になったのですが、このような機会でもない限りこの美術館との繋がりは出来なかったのだと思います。
都会で華々しく行われる個展、グループ展には無い、本当の意味で芸術に触れる事の出来るとても良い空間がそこには有ります。
「非日常」という言葉には特別な響が有るような気がします。
緑に溢れたテラスでゆったりと時を忘れ、コーヒーとたばこを燻らせ、普段決して味わう事のない空気を感じ取ることが出来ます。
また来年もここで個展が出来るかと思いますと、そこに訪れる方々の姿が目に写ります。

ここで発表する事は、僕の本来の姿を見せられるような気がします。

今回のこのコラムはその時の感想を見事に綴って下さいました。

もしこれをお読みなった方の中で、この美術館を知っている方や、私の今回の展覧会を見て下さった方がいらっしゃいましたら、その時の感想などを聞かせていただければ嬉しく思います。

さあ来年に向けてまた制作頑張ります。


これは普段私が使っている手紙を書くときの一式です。ボールペンは14年使い続けています。


ワックスと印で最後に手紙の締めくくりをすると、気持ちも引き締まります。こちらも使い続けて16年になり、お気に入りの一つです。
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心温まるお手紙

2010-07-29 00:25:52 | 略歴
昨日、ミュー自然美術館での個展後お礼状を出しましたら、そのお返事が届きました。
その方は地元紙の記事を書いておられ、娘さんとお孫さんで過ごされた非日常の事を綴られ、私の彫刻展に偶然出会い、素敵なコメントを綴って下さっていました。

・・・ミュー美術館では尾崎慎石彫展を行っていた。美術館前の庭には、二つの母子の石像が置かれていた。自然の中に置かれた母子像は優しく温かな母親とみどり児の姿であり、「いい石像だな」と感じた。
 そして、中に入り石彫展を見て、この前庭の石像が尾崎氏の作品の一つであることを始めて知ったのである。尾崎氏が言われる通り、「自然の中に置かれる彫刻は、また普段と違った表情を見せてくれると思います。」とパンフレットにあったが、美術館の前庭にすっかり溶け込んでいることに驚いた。
 作品はユニークで、固く冷たい石に一つの命が吹き込まれ、さまざまな形に表現された造形は見る者に心のあり処、人と人との関わりを感じさせてくれた。
 壁には、母親でもある、画家「尾崎チエ」氏の油絵作品も展示されており、彼の作品には、画家であった母親の影響が強いことを感じた。
チエさんも二紀展に入選し、東京、名古屋、松本等々、全国で個展を開催していたが、1990年に58歳で亡くなった。母親が残した「作品の力は生きる力だ」という言葉が印象的で、強いメッセージとして私たちにも響いてきた。
 会場は石像と油絵の二人展といった感じがした。慎さんは、大学を出ていなかったためなかなか認められず苦労したチエさんに「大学だけは出るように」と言われたという。素晴らしい親子関係だと思うが、芸術家だけに大変な関係だったのではと想像した。
 美術館に行きたくて出かけたのだったが、思いがけない画家と彫刻家が見られ、しかも親子ということで、作品から醸し出される雰囲気にも何か響き合うものがあり、良かった。・・・

とても素敵な文章で、読んでいるだけでもそこの情景が映し出されるかのようでした。


今回の展示では母親の作品は2点だけだったのですが、ここを訪れた方達には二人展という風に写ったのか、それとも壁面の作品全体を母親の作品と見たのか、そこまでは定かでは有りません。
もし母親の作品2点に対して私の作品、壁面は10点、石彫は野外彫刻を含めて14点の作品展示でしたが、この2点の作品で二人展と言われてしまったショックは有りません。
まだまだ精進しなくてはこの2点にも生きる力は及ばないようです。
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個展回数

2010-07-25 23:04:23 | 略歴
私の初個展は1990年、名古屋の中心からは少し離れた場所で、決して交通の便が良いとは言い難いビルの3階だったのですが、20点の作品を出品して、11点の作品が売れました。
29才の時で、自分でもそれだけの作品が世の中に出て行く事をとても不安にさえ感じた事を思い出します。
その個展成功の話はデパートに伝わり、それから個展がどんどんと舞い込みました。
多い年には年に5回こなし、個展をしない年が無い程でした。
その後スウェーデンに行った時以外毎年個展をし続け、去年初めてこの個展の無い年にしましたが、今年は2回もう済ませました。
先日のミュー自然美術館で38回の個展をしてきた事になります。
おそらく来年は40回を通過することでしょう。

この個展は数を沢山こなせば良いというわけでは有りません。
地道に続けてきた結果そうなったのですが、これから考えますと今からちょっと難しいかなという個展100回を目指そうと思います。




ミュー自然美術館にて


丸栄スカイル美術画廊にて


日本橋三越アートスクウェアにて
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明日から個展です。

2010-02-03 22:49:50 | 略歴
明日からいよいよ個展開催です。
今日はその為の搬入に行って来て、最初は会場の広さを物凄く意識して、不安でなりませんでした。
昨日から作品の梱包をしていたのですが、会場を埋め尽くせるか不安で頭の中が爆発寸前。
最初は石彫35点と壁面に飾る絵の作品を15点の予定で作品リストを出したのですが、どうにもこうにも不安です。
「もうちょっと持っていった方がいいかな?」
倉庫の中を見て見るとまだ今回の会場で発表していない作品が数点有りましたので、これも持って行く事にしました。
作品が少ないより多い方が安心ですし、もし多ければ展示しなければいいと思い数点余分に箱に詰めます。

いざ搬入会場に到着してみますと、何時もですとデパートの水曜日は催事の入れ替えが有ってエレベーターはとても混雑するはずなのですが、今日は全く順番待ちが無くてすんなりと会場入りできました。
箱詰めされた作品を順番に出して行くと「作品多かったかなぁ~?」
昨日までの不安はいっぺんに吹き飛びました。

今回の個展も36回目を数えると、陳列の要領も得ていますので、順調に展示も進み、石彫作品がなんと40点と壁面作品15点!合計55点の作品が並びました。

お~これだけの作品数だとかなり見応え有るなぁ~!

まるで他人事のように思ってしまったのでした。

明日から始まる個展はかなり緊張もしますが、ちょっとSなのかこの緊張感がとても心地いい私なのです。

ご近所の方達は是非是非私の個展に来て下さい。

お待ちしています。
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最近の日常

2009-10-01 21:09:57 | 略歴
日頃、こういった芸術活動をしていると、作品だけを作っていれば済むという訳では無く地域の美術展や、様々な絵画の指導や審査まで借り出される事になる。
今日も地域の図書館での展覧会の搬入に行ってきた。
こういった地域との密接したお付き合いも芸術活動をする上では大切な事だとは思うのだが、人と接触する事無く一日のんびりと石を叩いていたい。
でもこうした時は人と会って人間観察をして、制作の肥しにすればいい。
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尾崎 慎 略歴

2009-07-23 09:29:35 | 略歴
1991   横浜彫刻展(優秀マケット)
       2人展(尾崎慎・近藤均/毎日アートコレクションギャラリー(名古屋)

       第1回石彫のつどい参加

個展     丸栄スカイル絵画サロン(名古屋)
       愛宕山画廊      (東京銀座)
       ギャラリー沙和    (名古屋)
       画廊じんがら     (愛知県知立市)

前年の個展成功を切っ掛けに個展4回をこなす。
特に愛宕山画廊での個展は印象的で、初日オープニングパーティーには出席者が70人以上来て下さり、その中に三木多聞氏が来ておられ、「今後ずっと見て行きたい作家の一人です。」と言って下さいました。

       
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尾崎 慎 略歴

2009-07-21 15:32:06 | 略歴
1989   第3回現代日本具象彫刻展出品   (千葉県立美術館)
       第4回国民文化祭さいたま’89出品
        (彫刻プロムナード/埼玉県浦和市)
       グループ「乙」展(以後'92まで毎年出品)
       ポケットの中の彫刻展/フタバ画廊(東京銀
       イタリア、スェーデンに遊学

この年母は銀座のサエグサ画廊で個展をし成功を収めるが、これが
       最後の個展となる
       。

1990   アートヒル三好ケ丘 ' 90彫刻フェスタ
       (審査員奨励賞/愛知県三好市)
       初個展             (ギャラリー竹内/名古屋市)
       第1回グランフフォルム展     (名古屋文化会館)
       2人展(尾崎 慎・金子 久利/ギャラリー21+葉/銀座)

母が後病床につき私は看病の日々が始る。癌は乳癌から肺癌、肝臓、脳まで侵し、死を宣告されるが、最後まで希望を捨てず、看病に当たった。入院中アートヒル三好の入選が決り、母は私に「もうこれで彫刻家としてやって行けるね。」の言葉をくれた。母は最期まで絵筆を置くことをせず、力の入らない手で絵を描き続けた。7月23日母他界58歳という年齢。私が29歳だったので、丁度折り返しの年でも有り、「死」というものを深く受け止めた。母は画家としてもこれからという上昇気流に乗った処で、無念の死だった。 
母を亡くし、毎日のように涙が自然と溢れ、彫刻以外の事をしていなかった私は、これからの生活を考えると不安で押し潰されそうになっていた。そんな時母の絵の額縁を入れていた方が独立をして、画廊を開いていて、「ここで個展を企画でやってあげるから準備しなさい。」と言って下さった。22展の作品で始まった個展は初日からDMの作品が売れ、最終日までに11点の作品、合計180万円の作品が売れた。この時画廊オーナーが、「最初からこんなに売れてはいけない!」この言葉は「これに甘んじるな」という戒めの言葉だった。しかし、これが切っ掛けとなり、次々と個展が決まっていった。       
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尾崎 慎 略歴

2009-07-17 19:05:17 | 略歴
1988    ロダン大賞展 マケット展2点出品   (箱根彫刻の森美術館)
      石の彫刻3人展       (ワコールアートスペース・銀座)
      


      この年母が癌に侵され看病の為アトリエを引き揚げる。

母は自分の余命を悟るかのように、私と神戸市、群馬県など作品が設置された処へ旅をした。

     母との2人展を自宅でする。




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尾崎 慎 略歴

2009-07-15 20:41:47 | 略歴
1987   多摩美術大学大学院彫刻家修了
     修了制作が学校買上げとなり、長野県更埴市に設置される。
     群馬県那須高原姫沼アートランドに2点設置
     神戸具象彫刻大賞展’87 優秀賞受賞
     父、喜久雄 心不全の為他界

    大学院の修了式の前日父が亡くなった。次の日が友引だった為修了式には
    出席する事が出来た。
    修了式の日、中井先生が新宿のペチカというバーに連れて行ってくれ、
    ここで初めてドライマティーニを飲んだ。
    「明日から俺とお前は対等だ。」
    最高に厳しく最高に嬉しい言葉だった。
    父の葬式の日目を開かない父に修了証書を見せた。涙が溢れた。
 
    神戸具象彫刻大賞展に入選したので、一人大学の作業場を借りて制作に取
    り掛かった。この時点ではまだ賞は決まっていなかったので、必死で制作
    した。他の学生達の模範の立場だったが、この緊張感がたまらなく心地
    良かった。

    第2回現代日本具象彫刻展    (千葉県立美術館)
    メモリアル野外彫刻展      (埼玉県)
    青山壱番街ビル・グループ展   (東京青山)
    有視界飛行展          (世田谷美術館)


アトリエを埼玉県川越市に友人と構える。

この後長崎県平戸市の観光協会より、日本最大の石彫一本彫り7mの石像「青年渡唐大使像」の制作依頼を受け、長崎県佐世保市の黒島で制作をする。
この大きさの作品は普通1年から1年半の制作期間が必要とされるが、3カ月での限定制作で10時間~16時間の労働時間だった。台座が9m有り、この上に設置された時点でもさらに制作は続けられた。
この時私だけ、よそ者扱いを受け、地上16mの足場の上でも私だけが、命綱を手渡されず、酷い仕打ちを受けながらの制作だった。
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尾崎 慎 略歴

2009-07-10 07:00:15 | 略歴
1985   多摩美術大学彫刻科卒業
     神戸具象彫刻大賞展’85入選
    
     多摩美術大学大学院彫刻科合格
     4年間一緒にやってきた連中と同じ試験、面接を受けなければならない
     辛い試験だった。
     結果は直ぐ出たのだが、私だけが先生に呼び出しをされた。
     「本当はお前はここに居れない人間なんだ!」
     ショックだった。
     その次の日から朝6時から夜10時近くまでひたすら石を叩き続けた。
     一年近くほとんど誰とも口を訊かない位だった。
     


     その時制作した作品。
     当時荻原守衛の「女」という作品が好きでそれを意識して作った作品。

1986   大学院2年 ようやく先生が私と口を聴いて下さった。
     「この一年よく頑張った。ここまで石を叩いや奴は私が20年間見て来た中で誰も居なかった。」
     本当に嬉しい言葉だった。
     
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尾崎 慎  略歴1983~1984

2009-07-09 06:11:12 | 略歴
1983   大学3年、この時自分の好きな素材を選択するのだが、あえて自分の
     一番不得意とする石彫を選択する。
     「この堅い石を自由に扱えるようになったら、これからの人生にも自信
     が持てるようになる。」そう思った。
     外の素材に木彫、金属、塑像と有り、その中でも特に塑像は得意だった
     た。
     私が一年の時ちょうど舟越保武先生が東京芸大を退官され、多摩美の
     教授として来られたのだが、この舟越保武先生に君は塑像を
     やるといい。」と言われるほどだった。
     いざ石彫実習に入ると他の連中は少なくともこの石という素材を得意と
     しているので、私だけ課題制作を思うように進められず、悔しい想
     いをした。
     そこで、私は体力をつけようと毎日腕立て伏せを200回欠かさずした      。     
     
     この時の石彫の先生は中井延也先生。アル中だったのだが、
     何時も厳しく、言う事は的を突き人間味に溢れ誰もが尊敬していた。

1984   大学4年生。この作品は卒業制作の作品。
     まだ稚拙な作品ですが、これが私の原点です。



     この時点では全く石という素材に勝つ事が出来ず、自分自身にも負けて
     いた。     
     
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尾崎 慎 略歴1961~1982

2009-07-07 09:35:41 | 略歴
彫刻の道に入ろうとしたのが16歳。
これまで一度となくこの道からブレた事が無くここまでやってこれたのは、私を取り巻く環境や意志だけでは無く、これまで私を支えて下さった方々のお陰だと思います。

1961   愛知県豊明市に画家尾崎喜久雄・尾崎チエの長男として生まれる


1977   石田学園 星城高等学校入学 この時彫刻の道に入る事を決意する。

1978   美術高校へ再挑戦するが、失敗に終わる。

1980   美大受験 東京造形大学一次試験を突破するが、失敗。
     立川美術研究所(現 立川美術学院)で浪人生活
     この時出会った勝野真言先生の、「強い意志がなければ石なんて彫れな
     い。」という言葉が後の私の人生に大きく影響した。

1981   多摩美術大学彫刻科に最終補欠として合格。
     この時、私は入学した連中の中で自分が一番劣っていると思い、必死に
     なって、授業や制作に取り組んでいた。

1982   授業で石彫実習が有り、石の抵抗感に完全に翻弄され、勝野先生の言葉
     を思い出し、これを克服したいと強く思う。
     これが「石」との最初の出会いだった。
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