日々是後悔也 ver.3.60

備忘録代わりのちょっとした旅行記と書き物

失われた鉄路の今 (武豊線編

2010-07-03 13:37:30 | Weblog
当然「紅の豚」見ましたよ。ポルコ△www
空中戦もかっこいいんですが、ポルコの自分の意思のぶれないところがまたいいです。
ジブリシリーズの中で「紅の豚」は大好きなんですが、飛行機の操縦シーンを見てて思ったのが
Miniもあんな感覚だ
ということ。運転じゃないんです。「操縦」してる感覚。自動と呼べるようなものが一切ないですからねぇw
オートマも楽でいいんですが、友人の車で出かけるときに強く思うのが「えらくつまらない」w

自分で「操縦」するあの「感覚」を感じて「そいえばの乗り物が好きになったきっかけはそういうことだったな」と思い出しました。
(がきんちょの時にパノラマカーの先頭に座るのが大好きだったので、きっとそこらへんがインスパイアされてるかと)

ま、「紅の豚」より好きなのは「おもひでぽろぽろ」なんですがね!
「あけぼの」に乗って山形で降りる冒頭。終わり際で帰るときにローカル線から乗る457と気動車w いやぁ、よく観察して描いてあること。
そ言えば全体的に鉄道ってよく出てくるなぁ。
トトロの30年代の郊外電車とボンネットバス。魔女の宅急便の貨物と交換する特急(信号所交換というのも怪しいwwww)。
紅の豚も貨物編成の最後尾につけられた長物車の乗せられた飛行艇のボディ。

スタジオ内にヲタがいるに違いない!(あれ。。宮崎監督が好きなんだっけ・・・?)
タモリさんとか芸能人にも隠れ鉄道ヲタが多いよねw
「おもひでぽろぽろ」ってTVでやる機会があんまりないからちょっと寂しい。。



さて、与太話はこれぐらいにして。
今回はネタ造りに武豊線に行ってきました。目的は(旧)武豊港駅の直角二線式の転車台。

普通、転車台と言ったらこれですわね。こいつは天竜浜名湖のやつ。遠鉄フェアがやってたときについでに見てきたw
これも有形登録遺産に指定されてたっけ(隣にある車庫と一緒に)。

保存されてから1回も見に行ってないので(地元はそんなもん)いい機会です。


距離もそんなにあるわけでもなし、のんびりとR155からR247、大府から農免道路を使って武豊へ。

高校時代に1回来たきりで凄く久しぶりです。ホーム上の上屋が変わったぐらいであんまり変わってないですね。
ここで旅客は終点なのですが、武豊港までのおよそ1キロを道沿い(というか、道そのもの)を辿っていきましょう。

ホームから50mくらいでエンドレールになっていますが、昭和61年ごろ(だったか)まではここから日本油脂(現 日油)まで通勤のために専用線が出ていました。世代的に間に合わなかった(というか、興味がその頃専用線にはなかった)ので見れていませんが、後で調べたらまだ車両が保存してある様子。こっちは別で見に行かなくてはいけないですな。
線路用地沿いにガーター橋が置いてあるのを横に見ながら南に進むと(武豊駅からだと途中で右に曲がるが、一方通行路で続いている)

お、桁が残っていますね。コンクリ作りで堤防と一体になっているのでわざわざ壊す必要性がなかったのでしょう。
武豊港行き、というより、この先から分岐(していたはず)の日本油脂専用線のためにコンクリで補強したのでしょう。


川を挟んでの南側。草が生えている辺りもJR東海の管轄の旨の看板がありました。
3線分の幅はそのまま放置みたい。ここもあとでぐぐったらやはり当時の画像として3線分でした。

草むらの向こうは突然遊歩道とデイケア施設になっており、散策のための地域の案内看板とベンチが設置してあります。
この辺、「ミツカン」に代表されるような醤油と味噌の蔵がたくさんありますからねー。
(TOPの半田駅の周りにもたくさんある。半田市は”蔵と運河の町”を観光の目玉にしたいらしい。なんか北海道でも見たことあるようn(ry)

ゆるーくカーブした道を進むと

あー、ありました。確かに直角に2線分。
何でこんな形になったかの説明看板も。それによると”海岸沿いに引込み線が直角にあったために方向転換を90度ですませるため”とか。
確かに2線あればちょっと楽かな。。。?

 
敷地内にはこれも。まあ、鉄道を象徴するものとしてはよくあるものですw
腕木信号機の後ろの煙突はあとで地図を見たら製鉄所だそう。地番が”1号地”とあるのはよくある埋立地の地番。
隣を通っている道路にも緩やかな坂が埋立地に向かって走っているので当時の海岸線がなんとなくわかります。


R247とクロスする交差点。左右が247.
さっき通ってきた交差点までの道はというと

なんてわかりやすいw そのまま線路だy!
新鉄道廃線を歩くの付録、停車場一覧によれば’30~’65年までの間、支線扱い貨物線だったようで。


思い出したかのように見てきましたが、納得できたのでついでに「武豊線といえばこれも」ということで半田駅へ。

現役最古の跨線橋。柱だけだと意外とあったりしますがねー。改めて見るとそこかしこに院時代のものが見受けられます。


これも忘れちゃならんですね。いわゆるランプ小屋。ランプの燃料は火気物なのでレンガで作るのが当時一般的。
同時期の東海道、関西線にも残っているのは有名なところ。


跨線橋を渡ってホームにつながる上屋も今では懐かしくなりました。各所に見られたんですがねー。
梁の部分とかは木造ですが、古レールとか使っていたりするのでそっちも面白いですよね。
(名鉄は日本各地から集めたらしく、貴重なのは名鉄博物館で保存してるとか)


こっちは駅本屋。あれ。。この作りどっかで見たことあると思って家に帰ってきてHDDのフォルダーをさばくって見ると

あぁ。これといっしょなんだ。。暖地の標準的な作りだったんですね。
ちなみにこれは愛知御津駅。半田駅と一緒で駅玄関だけリニューアルして駅舎に続く上屋だけそのまま利用しているパターンですか。
でもこれもそのうち武豊駅みたいに作り変えてしまうのでしょう。
もしくは東海様のことですから無人駅にしたら飯田線のように無味乾燥なコンクリ製になってしまうかもw
電化されたときにはどうなってしまうんでしょうかねぇ。。一応有形文化財登録はしてありますが。

さて。も1つ。やはり武豊線といえばここも外せません。

こちらは現役最古の駅舎の亀崎。
残存する駅舎としては長浜のほうが最古。向こうもじっくり見たことがないのでいつか行きたいかな。
本屋の壁は以前に張りかえられているのでぱっと見には古く見えませんが、本屋から上屋に続く屋根が時代を物語っています。
ホーム上屋は残念ながら大府駅とかと一緒のものに取り替えられていますね。


武豊線はここまで。今回は転車台を見に行くことしか考えてなかったのですっかり専用線のことが頭から抜け落ちていましたww
調べれば調べるほどもったいなかったなぁ、と。武豊から3キロちょっとしかなく、半分腐れていながらも保存車両がいるとか。
次回は日油までのこの3キロ(2,3年前のあった爆発事故もそこ)と保存車を見に行くことでしょうかw

とまあ、満足して家に帰ってきたわけですが、半田駅の跨線橋の画像を見ながら”なんか変”ということに気がつきました。
駅本屋側の土台はどうやってもホームにしか見えない。
通常なら利便性を考えれば愛知御津のようにホームとして利用するのがスジ。じゃ、何に使ってた?
ぐーぐるせんせーはえらいですね。調べると出るわ出るわ・・・・ ’70年初頭までやはり引込み線が多数存在してたようで。
瀧上工業に肥料製造の日本肥料、カネニ飼料。原材料は衣浦臨海ができるまで武豊線経由だったか。。通りで半田駅構内が妙な広さだと。
しかも素通りしてた乙川(おとがわ、ではなく、おっかわ、と読む)にも専用線の痕跡があるとか。
(゜д゜)! R247沿いの妙な空き地は輸送機工業のモノもだったのか。しかも専用線まで。。妙な入り口があったのは見たけど気がつかなかったy

さすが古い歴史を持つ武豊線。日油といい、滝上といい侮れんw またネタが増えたw



























□今日の武豊線列車
時間が悪かったので実際にホームにいる列車とはすれ違いでしたが、キハ75の運用なのは周知の事実。HDDをさばくって過去の列車を探したんですが時期が悪くて2点しか見つかりませんでした。

65+58のどう見ても”のりくら”から引っぺがした2両w 
通常は65なんて見たことなかったので(大学に通っていた時分では)たまたまなのかも。
朝夕は”のりくら”があったころは間合いでそのままの編成が入ってました。なのでキロにも定期で座れることも。。


通常編成はこっち。共和ー大府の架線下をいく58+28.
以前は数時間に1本ぐらいの割合で名古屋直通の快速がありました。今は朝夕だけらしいですが。
大学までの通学に好んで乗った覚えがあります。架線下を行く気動車はなかなかないですからw

58なんかあっさりその辺を(武豊行きでしたが)走っているのが普通でしたが、これすら過去になってしまいましたね。。

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