日々是後悔也 ver.3.60

備忘録代わりのちょっとした旅行記と書き物

失われた鉄路の今 ((旧)八百津線編)

2010-06-26 14:09:40 | Weblog
こんなgdgdなブログでも読んでくれてる人がいることに感謝w おもろいですかね?w

さて、前に記事を書いた直後にW杯予選3戦目があったわけなんですが
ぶっちゃけすんませんでしたっ!
どうせ0-2ぐらいで負けてんだろ?とか思ってメ~テレでやってたパノラマカーの30分番組見て
どんだけメ~テレはパノラマカー好きなんだwwwwとか思って自分も満足したわけなんですわ。(わざわざ空撮とかも入れるぐらいの本気に惚れるわ
そのあとに「そういや3戦目やってるから負けっぷりでも見るか」と思ってチャンネル変えたら



10秒ぐらい画面見て現状が把握できませんでしたよ!(フリー2発入った後、前半35分ぐらい経過してた
で、そのあと結局6時まで(w)見てたわけなんですが、誰もが書いてると思いますけどデンマーク側のフリーキックを押し込まれたあとのアクションと3点目の本田のアシストと岡崎の押し込み。早朝なのに両手挙げて「すげー!!!」とか叫んじゃいましたy!
ちなみに選手の名前がわからんぐらいのど素人です。(選手の名前も思い出せなくて今確認したw

本田が3人引き付けてサイドにスルーパス。よく見てますよね+岡崎の瞬時の反応。
くそ素人でもわかるぐらいの凄いシュートでした。(海外も諸手をあげての絶賛なのがわかります。

それに比べAngel Beats!のあのわけわかんない展開と言ったらもう。。
わたしもKanonの頃からプレイしてる人間の一人で展開は安定して(いい意味で)裏切ってくれる、シナリオ読んでてワクワクが止まらなくなる物だと信じていたんですが、あれはないわ。
CLANNADとかはちゃんとギャグで落とすところと泣かせるところの住み分けができていたからこそのものだったのに。。
何でも詰め込みすぎは(・A・)イクナイ!!



さて評論はこれぐらいにして続きに行きましょう。
前回の美濃ー関とあわせてタイトルにもあるとおり(旧)八百津線を見に行ってきたわけですが、画像が凄く多いので(当社比170%ぐらい)覚悟してください。(ほんとに多い。画像編集してUPする途中で自分でいやになった。

関である程度満足(まあいろいろ足りないけどキニスルナ!)した時には既に16時。夏至直後なのである程度日はあるとはいえ、あまりのんびりしていられません。
ナビを八百津の疎水公園にセットしなおしてR248~県道381経由で移動します。
県道381に入るとなんとなく見覚えのある風景が。’96・’01年に自分で来ているのでその記憶を頼りにトレースしてみます。
すると。。

ごめ。うpがうまく行ってないみたいでサムネ埋め込みで(リンクでるけど失敗するので確かめないほうがいい)
なーんか凄くぁゃιぃ。。。駅前くさいにおいがぷんぷんする。(ある程度廃線や駅を回っていると何となーく匂う感覚。あれですよ)
枠だけになってますけど、これきっと駅の名前の看板があったんでしょうね。


スロープになっていたので車で乗り入れてみたw Miniならこんなのへっちゃら!
奥が明智側。使われなくなった自転車置き場とトイレがここに何があったのかを物語ってますね。


向かって八百津側。高架は東海環状道。歩いて見に行きましたが、高架の下だけが法面整備されてました。
アスファルトがここだけひいてありますが、あとは砂利のまま。何も考えずに「ふーん」とか思いましたが、今思えば高架を作るために使っていたのでしょう。
レールウェイマップル+’94年版スーパーマップルで確認すると兼山口駅跡のようです。家に帰ってきて確認したw
(ちなみにレールウェイマップル中部(1版1刷)のP27は駅表示が間違ってるから注意!)
なんとなーく痕跡があるのに満足して先を急ぎます。

県道381をそのままトレースしてたわけですが、途中、伊岐津志の集落の辺りで
軽トラに煽られたy! +そのまま凄い勢いでぶち抜かれたw
あほ!くそ!○ね!あぶないだろが!こちとら法定守ってるのに。ついでに言うと八百津の集落入ってからは狭くなるので対向車待ちをしようと路肩に寄せたらFitが無理に追い越そうとしてきt! 
なんでおまぃらほんの10秒ぐらいが待てないんだ。八百津の人間はこんな危ないやつばかりか?
もらい事故は勘弁だな。それでなくてもMiniは事故ると死ぬ確率高いから気をつけてるというのに。。

気を取り直して八百津駅の今を見に行きます。

木曽川を渡る手前は舗装しなおしてあって凄くきれいに。向かって右が明智側。
これ、あとで撮った画像なんですがわからなくて華麗にスルーして木曽川まで渡りましたw
さすがに木曽川渡るのはおかしいのでUターンして戻ると。。。
画像にもある広場が。



( ゜д゜)ポカーン はい?なんですかこれは。

奥に少し線路が見えます。もしかしてこれが。。。


「(旧)八百津駅跡」と凄く小さな石碑にありました。(見えるかな?画面奥に小さな石碑が埋まってる。
いやもう・・・凄い落胆しました。なんていったらいいんでしょうかね? 残すにしてももう少しやり方があるんでないかなぁと。


HDDさばくったら見つけました。現役時代の八百津駅舎。立派ですよねー。たぶん開業した当時、東美(とうみ)鉄道時代の駅舎そのままなのでしょう。時期は思い出せませんが’97か’98年ごろの画像。


こちらは現役最後の年、’01年7月か8月ごろ。公園になっている角度からすると逆側からの画像。
公園にある線路の位置がなんとなく間違っている気がしないでもないです。駅を発車するとすぐに踏切がありましたので、きれいになっていた道路はやはり幅を広げていますね。
画像を撮ったところには細い道が通っていたはずなので、この道もかなり広げられて痕跡がありません。


踏み切り(と思われる)所を渡って駅の逆側。奥が明智側になります。
線路跡は道路として利用(このパターンも多い。。)され、県道381の幅の狭さを新設の道路が補完しています。なんとなくですが、車の止めてある辺りに面影があるような。。

まあ、結論からすると凄く残念な結果に。個人的に思ったのは、あの残念な公園ならもういっそないほうがましな気がして。。
跡地は個人のお宅の敷地として利用されていますので、写真を撮りに行く方は要注意です。
(あまりの変わり果てように「なんじゃこりゃー」と叫んで八百津高の女子高生にガン見されt)←たまたまバスを停留所で待っていたらしい。。

 
だいたい(旧)兼山駅のあった場所(?)
左の画像が八百津側。右が明智側を見たところ。何も痕跡がなくて判断がつきませんが、もう少し明智側に行ったところに丘を削ったような跡が見受けられたのでそのあたりなのかも。(現役の時は見てないので判断できない)

線路跡の道路をトレースして県道381とぶち当たると

(゜д゜)! あるよあるよ痕跡が! くそ軽トラにぼっかけられたので気がつかなかった!
どう見ても手前側の築堤を削ってフラットにして直角に道路入り口をつけたけど、逆は手をつけてないのがわかります。
街灯の立っているところから手前がイレギュラーで異質なものに見えます。本当にありg(ry


コンクリの部分にちょいと寄ってみましょう。汚れやコケのつき具合が時間の経過を教えてくれてます。
現役の頃に八百津まで行っているのでアンダーパスしたはずですが、記憶にないよ。。
かかっていたのはコンクリの鉄橋なのかあるいはデッキガーターか。。

もう少し明智側に戻ってみます。
右に兼山ダム(発電所のマークがある。書いてる途中でYahoo!地図で確認した)手前辺りで
 
暗梁が残ってる! しかも築堤のとこから直角に車が出てきた!
=築堤をアンダーパスする道が向こうからあるということ


やっぱり残ってた。さすがにこの辺りは手がつけられてないらしいw


コンクリの上には柵と若干のバラストも。
画像の右側がお墓の敷地になっているところから判断すると(旧)中野駅手前辺りか。。。?


車を止めた喫茶店だかカラオケ屋だか(判断に苦しむ店舗)の奥に築堤の名残が。
線と矢印を書き入れてみたけどわかるかな?(白いところに文字入れたけど見えないからスルーしてw)
ほんとはこの上に上がって駅を確かめたかったけど、犬小屋があったので断念しましたw(わんこにほえられるのはちょっと勘弁w)
たぶん画面奥が(旧)中野駅だと思われ。


うろうろしていたので17時を回ってしまいました。まだ日はありますが、ここで取りやめ。おつかれさまでした。
建築物はあまり残存していないのが現状でしたが、痕跡があるだけましでしょう。既に廃止から9年。県道381の幅が狭いことを考えるとこれらの遺構もそのまま残るとは思えない現状です。
今回は6月に訪問してしまったため雑草やらを考慮した結果、築堤から徒歩での探索は諦めるしかありませんでした(歩こうとも思いませんでしたがw)
次回がもしあるなら自転車を持ち込んで1日がかりで探索したいところではありますね。
(やるにしても秋~冬の雑草が枯れたときしかやれないけど)




























□今日の失敗
前後編で2回分書いてきましたが、記憶の薄れているところだった箇所の再訪問だったのでナビを頼りにしたまではよかったのですが、結局かなり迷いましたw
そりゃそうですわ。現在ある地図を頼りにナビのデーターを作成してあるので過去の路線図なんぞ載っているはずもありません。
どうせ車で行ったのだから古い地図も持っていくべきでした。(←もうここから間違ってるよね。)


現役の頃のキハ30.たぶん可児川にかかる鉄橋だったかの画像。
結局ここも寄れなかったし。。
確か八百津線でお役ゴメンになったあと、三河(海・山)線に来て’04年まで仕業をこなしたあとは東南アジアにドナドナされたんだっけ。。
今思えば車齢が短かったから第3セクターで買ってもらえばよかったのにと思わないでも。
(三木の車両は取り合いになったという話だし、キハ10はくりやま行った例もあるしね。20は30が来たときに代わりに廃車。)

向こうに行った車両はきちん整備とかを受けながら使ってもらえてるんだろうか。。(だいたい使い捨てになることが多い)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 失われた鉄路の今 (美濃市~... | トップ | 失われた鉄路の今 (武豊線編 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事