http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011070500589
“節電”をエネルギー消費社会からの脱却だけで捉えれば、こうした取り組みは良いと思います。
基準が昨年だと我が家は絶対に除外されますね。
毎年、節電を意識してきた人よりも、去年ジャンジャン電気垂れ流してた人がちょっと節電したら表彰されたり商品券がもらえたり(笑)
こうした仕組みは、やる気のない人を金や名誉で釣り上げる、なんとも日本らしい仕組みであります。
裏方は人間のエゴを突いた良い仕組みを考案したなぁ、と思う反面、こういうことするから国民は“お客様気分”になるんじゃないかな、とも思います。
本質的な部分で考えると、節電や節“エネルギー”は、自分たちのためにやるべきことです。
教育では“エサ釣り”が一番ダメな教育だとボクは思ってます。
修得できた結果に対しての“ご褒美”と、“ご褒美”目的に修得意欲を掻き立てるのとでは意味合いが全く違います。
後者は対価が無ければ意欲が湧かないという、逆パブロフの犬になる危険性を内包していると思うのです。
だからボクはYUUTAくんが生まれた時から、「何々してあげるから何々しなさい」という教育は一切していません。
RIEさんにも「そういう教え方はやめて」ときつく言ってあります。
自分たちの弱点を知るには、自発的な意識の高まりが必須で、たとえコーチに「お前のランニングフォームは腕の振り方が悪いんだ」と言われても、
本人に「なんでボクは頑張って練習しているのに速く走れないんだ」という意識がセットにならなければ、
それは教育ではなく刷り込み、劣化コピーに過ぎません。
もちろん幼児教育にはそうした教育も必要な場合もあると思いますが、大の人間に対してエサ釣り教育をするのは如何なものでしょうか。
日本の教育の悪い部分は、教える側が“結果ありき”の教育をするところです。
これは間違いないと思います。
日本が一大技術立国になったのは、こうした劣化コピー教育による均一品質の工業製品である“人間”を数多く製造した“支配階級”の努力の賜物です。
考えることより結果を先に求めることは、短期的には多大な成果を上げるでしょう。
日本も戦後、短期間で高度成長を遂げました。
でも短期的な成果でした。
今の日本を見れば、長期的な効果のあった教育だったとは思えません。
結果主義・結果を出させるための教育は、おそらく間違った教育なんだと思います。
ボクらは人間として生きています。
ニンジンをぶら下げなければ走れない馬ではないはずです。
一回くらい大規模停電すればいいな、って思いますよ。
自分たちの弱点を知らずして、劣化コピー教育を受けていれば何とか生活出来てしまう“結果ありき”の教育結果が、“無関心”“ことなかれ”などに繋がっているのではないでしょうか。
今の日本人は、ボク含めてですが、結果ばかりを求め経過を疎かにしているような気がしてなりません。
“節電”というものを、どう捉えましょう。
大規模停電を回避するための“節電”ですか?
表彰されたりお金もらったりするための“節電”ですか?
節電って一体なぜやるんでしょう。誰のために。
少し考えてみたいものですね。
“節電”をエネルギー消費社会からの脱却だけで捉えれば、こうした取り組みは良いと思います。
基準が昨年だと我が家は絶対に除外されますね。
毎年、節電を意識してきた人よりも、去年ジャンジャン電気垂れ流してた人がちょっと節電したら表彰されたり商品券がもらえたり(笑)
こうした仕組みは、やる気のない人を金や名誉で釣り上げる、なんとも日本らしい仕組みであります。
裏方は人間のエゴを突いた良い仕組みを考案したなぁ、と思う反面、こういうことするから国民は“お客様気分”になるんじゃないかな、とも思います。
本質的な部分で考えると、節電や節“エネルギー”は、自分たちのためにやるべきことです。
教育では“エサ釣り”が一番ダメな教育だとボクは思ってます。
修得できた結果に対しての“ご褒美”と、“ご褒美”目的に修得意欲を掻き立てるのとでは意味合いが全く違います。
後者は対価が無ければ意欲が湧かないという、逆パブロフの犬になる危険性を内包していると思うのです。
だからボクはYUUTAくんが生まれた時から、「何々してあげるから何々しなさい」という教育は一切していません。
RIEさんにも「そういう教え方はやめて」ときつく言ってあります。
自分たちの弱点を知るには、自発的な意識の高まりが必須で、たとえコーチに「お前のランニングフォームは腕の振り方が悪いんだ」と言われても、
本人に「なんでボクは頑張って練習しているのに速く走れないんだ」という意識がセットにならなければ、
それは教育ではなく刷り込み、劣化コピーに過ぎません。
もちろん幼児教育にはそうした教育も必要な場合もあると思いますが、大の人間に対してエサ釣り教育をするのは如何なものでしょうか。
日本の教育の悪い部分は、教える側が“結果ありき”の教育をするところです。
これは間違いないと思います。
日本が一大技術立国になったのは、こうした劣化コピー教育による均一品質の工業製品である“人間”を数多く製造した“支配階級”の努力の賜物です。
考えることより結果を先に求めることは、短期的には多大な成果を上げるでしょう。
日本も戦後、短期間で高度成長を遂げました。
でも短期的な成果でした。
今の日本を見れば、長期的な効果のあった教育だったとは思えません。
結果主義・結果を出させるための教育は、おそらく間違った教育なんだと思います。
ボクらは人間として生きています。
ニンジンをぶら下げなければ走れない馬ではないはずです。
一回くらい大規模停電すればいいな、って思いますよ。
自分たちの弱点を知らずして、劣化コピー教育を受けていれば何とか生活出来てしまう“結果ありき”の教育結果が、“無関心”“ことなかれ”などに繋がっているのではないでしょうか。
今の日本人は、ボク含めてですが、結果ばかりを求め経過を疎かにしているような気がしてなりません。
“節電”というものを、どう捉えましょう。
大規模停電を回避するための“節電”ですか?
表彰されたりお金もらったりするための“節電”ですか?
節電って一体なぜやるんでしょう。誰のために。
少し考えてみたいものですね。
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