土の上にも三年

農への道

スギナ

2011-02-28 23:58:03 | 幼稚な日記(農業系)
◎畑の雑草として、スギナが厄介だという記述を良く見かけます。

ところがこのスギナ、面白い生態をしているのだなーと思うのです。


◎レンタル農園で教えてもらったのですが、スギナは強酸性の土壌を好む雑草らしいのですが、葉っぱではカルシウムを生成するようなのです。

カルシウムはアルカリ性みたいです。

強酸性の土壌にしか出てこないのに、スギナだらけになると、枯れ葉が土壌を中和してしまうのです。

そうなると、自分で自分たちの住処を悪環境にしているのですが、なんでこんな仕組みを持っているのかな?と考えてみました。


◎害虫の定義は人間の都合で決まるようです。

たぶん雑草の定義も人間が決めた都合なのかな、と思います。

スギナを雑草と呼び除草するから、強酸性の土壌を改良する手段を考えなければいけなくなるわけです。

そういった、都合に都合を重ねた超合理主義の賜物が現代農業なのかな?と、ちょっと過激に考えたりもします。


◎行き過ぎた合理社会が人間を脅かす場合は、格差社会だ、切り捨て社会だ、と叫びますよね。

人間以外に対して合理化させることはどう考えればいいのでしょうか。

ボクは、合理化の代表的な例として養鶏施設を思い浮かべるのです。

ニワトリを卵製造機に仕立てて、病気になると全羽殺処分してしまい、施設の人は生活苦を訴える。

その様子がひどく悲しいのです。


◎それでも便利だし、楽だし、利益上がるし、合理化に疲弊しながらも一度手にした合理の賜物、便利さや文明を手放せないのは、ボクにもよくわかるのです。

でも、合理化が巡って自分たちの首を締める事になっているのが今ではないでしょうか。

例えば契約労働者や臨時労働者で人件費を削減しても、結局、彼らの所得が低下して消費が冷え込みました。

ますます合理化しなければならないのですが、そろそろ限界が見えてきているように思うんです。


◎いくら除草してもしきれない雑草や、どれだけ品種改良しても拭えない病気、どんな良質の薬品を使ってもいなくならない害虫たち。

彼らは人間の進む道に「そっちじゃないよ」と言ってくれているように感じます。

自分たちの首を絞めてまで土壌を変えていくスギナは、より多くの生き物が生きられる環境を提供することで、人間たちに語りかけているのかもしれません。

「ボクらスギナは身を呈して他の生き物の住みやすさに尽力しているのに、なんで人間は他者を犠牲にして自分たちの首を絞めているのかな?」ってね。

そう考えると、雑草と呼ばれるスギナを見る目が変わってきそうです(笑)

レンタル農園にスギナ生えないかな!

土筆の佃煮を食べたいです。(そこかよっ)


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