ロードバイクde通勤日誌

我慢しないで自転車通勤。

真夏の凧揚げ

2007-08-24 | Weblog
先週日曜、久木野あそ望の郷です。
あの忌まわしき(?)阿蘇望メイン会場です。
昨年の阿蘇望参加から我が家の夏のお楽しみスポットの一つになりました。
メシはうまいし、ソフトクリームも濃厚で美味。お土産はもちろん久木野蕎麦。
当日はフリスビードッグの競技会が開催されてました。
広場はひろーく、流れる小川は冷たくて水遊びに最高。

で、凧揚げです。これは私が楽しみにしてました。
お気に入りにの雑貨サイト(http://www.assiston.co.jp/)で購入。
この日が処女航海です。
画像では娘が遊んでますが9割は私が遊んでました。娘には退屈だったかも。

水遊びをするカミサンと娘を尻目にオッサンが一人凧揚げ。さぞ怪しい光景だった事でしょう。

ちなみにこの凧、購入後にカリーノTUTAYAに売ってる事判明。わざわざ送料まで掛けて買ったのに…。
しかしネットや雑誌で商品のバックボーンなど事細かな紹介を見て、購入欲そそられる事ってないっすか?(負け惜しみですが)

血??!

2007-08-22 | 自転車
先週土曜日、朝6時から峠の茶屋まで。
午後もお時間頂き、暑い中熊本新港まで。チョロっと自転車しました。
新港から戻るとカミサン・娘は実家に行って留守。
のんびりとシャワーを浴びながら…チョイとションベン。

ギョっとしました。コーヒーみたいな血尿です。
ドボドボ出てます、赤茶色の液体が!!!
じきに直るだろう。と放っときましたが、その後2回。やっぱり赤い。
カミサンにも言い出せず…

翌日は正常に戻り、ホッと一安心。
月曜日普通に出勤し昼休み、ふとネットで「血尿」検索したら恐ろしい事がツラツラと…
怖くなって火曜日、検査受けました。
問診表には「もしもの場合、告知を希望しますか?」とか「もしもの場合、ご家族に連絡しても良いですか?」なんて質問が。

で結果は問題無し・異常無し・健康体。
何だったんだ?
自転車乗れなくなるかと心配して損した。(笑)

ワルダクミ

2007-08-21 | Weblog
どうも私に非常のよく似た方が存在するらしい。

先日カミサン・娘と3人で、買い物しておったら、前方より40歳位の見知らぬオジサンがニコニコ手を振り近づいてきた。
後ろを振り返って確かめるがそれらしき人無し。オジサンはもう目の前。

オジサン「○○くん…でしょ?」
ワタクシ「いえ。違いますよ。」

オジサン「これは失礼しました。」

完全に人違いです。

私のソックリさんの存在、カミサンも認知した訳で。
へっへっへ、これは使えるかも。

ああ、柄パン。

2007-08-07 | Weblog
日曜日・夕方、車を運転しながら久しぶりにFMを聞いていたら、福山雅治の番組が流れてきた。
暫く聞いていたら福山雅治がリスナーの相談・質問に答えるコーナーが始まった。
主婦からの質問で、中学生になった長男がブリーフから柄パンに変えた。そうしたら小学生の次男が自分も柄パンがいい、クラスの友達には、もう柄パンの子がいる!と言い出した。どうしたら良いでしょうか?という相談(?)

福山雅治の答えは。
「柄パンは中学生になってから!何故なら小学生は短パンを履く。柄パンだとナニが短パンの脇からコンニチワするから!」

下らなさとアホ臭さに一人で大笑いしながら、ふと思い出した。

私は中学生活を、ある男女共学・全寮制中高等学校で過ごした。
天草の田舎子供だった私。当然パンツは白いブリーフ。
柄パンの存在さえ知らなかった。

入寮して直ぐ、先輩たちの色とりどりの柄パンに目を丸くした。
(ナニ?あの派手なの、パンツ?)
そしてその柄パンが、この上なく素敵で、大人を象徴するモノに見えたのである。

その学校は、とある山中にあり完全に一般社会と隔離されていた。
着るものといえば、学校指定の学生服、体操服、所属する部活動の練習着、ユニフォーム。そして下着。オシャレとは無縁の世界である。
そんな中にあって、柄パンはまさしく自分をアピールするファッションアイテム(?)だったのである。大袈裟ですか?本当です。

同級生に数人、柄パン野郎が居た。大阪や東京の都市部から来た者だったと思う。
彼らはブリーフ君たちを明らかに馬鹿にした目で見ていた。(ように思う。)
その中に、やたら派手な柄パンを履く色白のミカワという男が居た。
見る度に違う柄を履いている。聞く所によるとパンツ会社の息子らしい。
その内、先輩たちがミカワ君に優しい行動を取る様になった。優しくするとミカワ君から柄パンが上納品として献上されるのである。
(イジメられない為の自己防衛手段?だったのか?)
全寮制の学校である。普通に後輩イジメが横行している中でミカワ君は特別な存在になった。
ミカワ君が羨ましかった。憧れの柄パンが無限に手に入るのである。その上、先輩連中からイジメられる事もない。
当時、柄パン自体が珍しい存在だったのかもしれない。

私も1年の夏休み、帰省した際に母親に柄パンをせがんだ。一発で却下された。
私の柄パンデビューは中学2年だった。ように思う。
体操服が短パンだった為、柄パンの裾がはみ出るのを気にしながら授業を受けていたのを記憶している。
未だ○○○の毛も生え揃ってなかった頃の懐かしい思い出である。
ミカワ君は無事、パンツ屋の社長になったのだろうか?

落ちの無い、下らない話でゴメンナサイ。