私の母は、愛情を上手に表現することが苦手で、そして潔癖症だったので、
当然、赤ちゃんのころは抱いてもらっているが
物心がついたころには、ぎゅっと抱きしめてもらったなんて記憶はない。
口癖は「もぉー汚い」だった(笑)
確かに一日中外で虫を追いかけ泥だらけになって遊ぶ小学生は汚い。
大概、玄関から入れてもらえず裏の勝手口から入りお風呂で
足を洗えと指示されて、家に入ることを許される。
赤ちゃんの頃、ハイハイをしてなんでも舐めて心配だから
畳をクレゾール(逆性石鹸)で拭いていたと言ってた。
でも、クレゾールを舐めてるんじゃ・・・?
微量だったのかしら?かなり薄めていたのかしら?
クレゾールはいたるところに使われ、我が家は大概クレゾール臭かった(笑)
昔はクレゾール一択だったんだろうな。
母は、シーツの糊づけをよくしていた。
合成糊もあっただろうに、残りご飯で糊を作っていた。
晒布で濾して手間がかかったろうに・・・
冬は冷たくシーツが替えてあるとガックリした。
夏はひんやりと気持ちが良かった。
母は、祖母(私の曾祖母)と糊づけしたシーツをよく干していた思い出を話していたが
私は母を手伝った記憶がないことに今気づく。
兎に角働き者だった母。
ぎゅっと抱いてほしかった自分が確かにいる。
そして、母も母親がいないのでぎゅっとしてもらった記憶はなく育った。
そんな親子だったので、最初に介護で母を抱き上げるときは照れ臭かった。
オムツ交換も「あぁこうして育ててもらったんだなぁ」と感慨深く・・・
一番辛かったのは、食べてくれないとき。
食べない=死んでしまう なので、こちらも必死で。その不安は怒りに変わって
酷い言葉を何度も言ってしまった。
子育てのできなかった私は、介護は子育てのような感じだった。
母の介護は親子の時間を取り戻すかのような時間だった。
本当に有難かったなと幸せだったなと、思う今日の盆明け。
当然、赤ちゃんのころは抱いてもらっているが
物心がついたころには、ぎゅっと抱きしめてもらったなんて記憶はない。
口癖は「もぉー汚い」だった(笑)
確かに一日中外で虫を追いかけ泥だらけになって遊ぶ小学生は汚い。
大概、玄関から入れてもらえず裏の勝手口から入りお風呂で
足を洗えと指示されて、家に入ることを許される。
赤ちゃんの頃、ハイハイをしてなんでも舐めて心配だから
畳をクレゾール(逆性石鹸)で拭いていたと言ってた。
でも、クレゾールを舐めてるんじゃ・・・?
微量だったのかしら?かなり薄めていたのかしら?
クレゾールはいたるところに使われ、我が家は大概クレゾール臭かった(笑)
昔はクレゾール一択だったんだろうな。
母は、シーツの糊づけをよくしていた。
合成糊もあっただろうに、残りご飯で糊を作っていた。
晒布で濾して手間がかかったろうに・・・
冬は冷たくシーツが替えてあるとガックリした。
夏はひんやりと気持ちが良かった。
母は、祖母(私の曾祖母)と糊づけしたシーツをよく干していた思い出を話していたが
私は母を手伝った記憶がないことに今気づく。
兎に角働き者だった母。
ぎゅっと抱いてほしかった自分が確かにいる。
そして、母も母親がいないのでぎゅっとしてもらった記憶はなく育った。
そんな親子だったので、最初に介護で母を抱き上げるときは照れ臭かった。
オムツ交換も「あぁこうして育ててもらったんだなぁ」と感慨深く・・・
一番辛かったのは、食べてくれないとき。
食べない=死んでしまう なので、こちらも必死で。その不安は怒りに変わって
酷い言葉を何度も言ってしまった。
子育てのできなかった私は、介護は子育てのような感じだった。
母の介護は親子の時間を取り戻すかのような時間だった。
本当に有難かったなと幸せだったなと、思う今日の盆明け。
もう、母の亡くなった年齢をはるかに越しているのに、母にはかなわない…と、いつも思います。
結婚してからも、母は弱かったので、息子を連れて、始終、実家に。
今、思うと、休日、主人を残し実家もうでばかり。
良く、文句を言わなかったか…と、申し訳なく思ってます。
母親の話は、つきませんね!
一杯、おしゃべりしましょう。🍉🍏🍓
だからお世話出来た都忘れ様がうらやましいです。
お母様もとっても感謝されたのではないでしょうか。そして幸せな晩年でしたね。
お母様、とっても潔癖だったんですね。お洒落だったのでしょうか。
我が母は逆でアバウトでした。体もものすごく丈夫で体力もあり、豪快な人でした。
今は母のことを書く気になれませんが、落ち着いたらまた読んでくださいね。
素晴らしいお話、ありがとうございました。
都さんと一緒です
命日が近付くと心がザワザワして・・・
似た方を見かけると目が離せなくなって・・・
幼少期に虐待されてた自分は、
歳を重ねる事にその背景に何があるのか、考えるようになりました。
息子は愛せても娘は愛せない母。
母と祖母は嫁姑みたいな母娘、その時代がそうさせたのかもしれません。
存命の間にもう1度、ぎゅっとして欲しかったです
私も、心の奥にずっーと残ったまま、もう叶わない夢になりました
子供はみんな、どんな母であっても、お母さんが大好き♥
都さんにとって、
子供になったお母様との時間はかけがえのない大切な記憶ですね
読ませて頂きながら大泣きしてしまいました( 。-_-。)
あの八年間が無かったら、私は、もっと後悔していて、未だに立ち直り出来て居なかったと思います。
お互い、良かったね😺
おしゃべりは良くしていたので、精神的に繋がりはしっかりしていたと思います。良い思い出と同じくらい面白く無かった思い出もありますね。
私の場合、介護と言っても面会に行って、おしゃべりをして来るだけ、母も車椅子に座ってましたが、何かを介助する必要はなかったので。心がけていたのは、あくまでも「母」であるということでした。立場が逆転して子供扱いはしない、ということです。
娘は抱きしめて育てましたよ。体も小さかったので抱いて歩いてましたし、中学生までベッドに潜り込んで来てました。もちろんニャンズも、長男の場合は最期まで一緒に寝てました。どちらかと言うとドライな母と違って、過保護べったり母親です、私は
息子さんを連れて帰ってきてくれるアミさんのことを
お母さんは申し訳ないと思いながらも心待ちに
されていらっしゃったと思います。
ほっとするひと時だったのではないでしょうか。
ご主人様は、お優しい方ですね。
うちと大違い・・・(;^ω^)
母の話、つきません。また書いたら読んでくださいねっ。
お母様を亡くされていらしたのですね。
3年もの間、お会いできなかったとのこと・・・
それは余りにも長い年月でしたね・・・
深く悲しみが増したのではないでしょうか・・・
お母様のご冥福をお祈りいたします。
そうですね、私は親子の時間を過ごすことができて
有難かったです。私は良い子ではなく
母には迷惑やら心配やらを沢山かけてしまったので・・・
いつの日かお母様のお話、frozenroseさんの気持ちが
落ち着かれたら是非、お聞かせくださいね。
frozenroseさんの旅行記、とても好きです。
行った気になれます。どっぷりと。
でも、いつの日も大自然が桜子さんを守ってくれて励ましてくれているような気がします。
そして、ワンコたちに大きな愛情を注ぐ桜子さんは、とても素晴らしい♪
最近ではトレーラーを見かけると桜子さんを思い出します(笑)
私も高校生くらいまでは、そんな旅やキャンプが夢でした。
そうそう、レトロ自販機。高校にあったんですよ(笑)
食堂とかない、しょぼい高校だったの。
でも、大好きでした。しょっちゅう食べてましたよ。
桜子さん、泣かせちゃってゴメンナサイね・・・
naochanの奮闘ぶりやお母さまのお茶目なところ
同時期に介護をしてたから、感慨深い。
そうだね、私たちは幸せだったと思う。
ましてや、我が親だもの。良い時間を過ごしたと思います。
といってもどっぷりといった感じでもなく
えっ?過保護ママさんですか?
でも友達のような感じですよね?
娘さんもさっぱりとされた感じにお見受けします。
うちは、母が私に依存していましたからねー
自然となんでも世話を焼いてしまっていました。
人の数だけ、向き合い方がありますね。
マダムさんとお母様にはちょうど良いスタンスだったのだと思います。
因みに・・・うちの夫も抱きしめられていない人です。
ある時、大きな喪失感を感じる出来事が夫の身に。
私が可哀そうにと思い抱きしめたのですが「はぁ?」みたいな
顔をされたので、それから二度とないです。