たわ言

思いつくまま

馬見古墳群の一こま

2010-10-19 18:13:05 | 日記
 馬見古墳群の一部を歩いた。広陵町の馬見丘陵って全く市街地だと思っていたが、丘陵地は都会。間の集落は田舎で内心ほっとした。
 都会地でも地域に残る文化遺跡って、ほんとに一部の人にしか関心がないらしい。
 まず、牧野(ばくや)古墳、舒明天皇の父、敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子の墓に比定される古墳である。馬見北9丁目で降りて、道を通る団地の人に聞いても全くわからない。お店で聞いてやっと所在がわかったが「うまの公園」で行く道がわからない。聞いて聞いてたどり着いたが、次の河合町の「佐味田宝塚古墳」、天理の黒塚のように30数枚の鏡がでた古墳で、広陵・上牧・河合町の交点にある古墳だが広陵・上牧では分らない、ある奇特な人が河合町に出る道を案内してくれて、河合町に辿りつき、やっと教えてもらった。
 団地内は20数mの道路が通っていても、町村界は昔の里道のままだ。その範囲は1kmに過ぎない。 隣の町は知らんという。歴史文化度はいかがなものか。
 その点従来の田舎は親切だった。疑問なところは追っかけて着て、教えてくれたり。わからんことは町内の○○さんに聞いてと。教えられたり感謝しています。

 一般には、こんなとこ訪ね歩く変人もいるものだと思われているのだろう。  まいる
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