真夜中のコーヒー2

人生の最終章
 ボケ防止のためにも
  ブログ遊びを楽しもう

心は生きている

2018-08-29 07:27:00 | 雑記

     
痴呆でも心はいきている   [ NO. 2009041401-1 ]


       <認知症は進んでも、心は生きている>

       認知症介護のエキスパートと言われる人の言葉である


       このところ暖かくなったせいか、母の動きも活発になり
       しゃべろうとする事も多くなった
       抱きかかえるようにして食事をさせている時、私の顔を
       まじまじと見上げて あなたきれいね>  アラアラアラ
       ありがとう ミヤコさんもきれいよ>  にこっとする

      腕 痛いでしょう? >  そう ミヤコさん おでぶさんだから
       重くって~>  声を上げて笑う


      ゴメンナサイね>  時々唐突に言い出す
      なにが? どうしたの?>  後は何かしゃべろうとするが
      意味不明 本人ももどかしげだが伝わらない


      でも、確かに母の心は生きている

  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


      ブログ日記の中に取り込んである一枚の画像を

     探し出すのに、ついつい読み返すことになってしまいました



 認知症の母の在宅介護の時

       母との思い出を残しておこうと書き出した

       介護日記「母との日々」のある日の出来事です


      10年あまりの介護の日々の日記と

       日々を詩にした「ほろ酔い詩日記」は今では

       母とのかけがえのない大切な思い出となりました



      私がストーブを持ち上げた時、胸の下を痛め苦しんでいると

        どうかしたの? 痛いの?>との問いかけに

        痛いの、みやこさん重いんだから>


      以来、母は一言も口を利かなくなり

            一週間後に亡くなりました      

      私の不用意な一言もしっかり受け止めていたんだと思います



       娘の顔も分からなくなっていても

        娘を守ろうとする母の心は確かに生きていたんです



      思い出すたびに生涯私の心の痛みが

             消えることはありません


                          
      

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故郷と友と

2018-08-27 11:53:58 | 雑記


    故郷の友へ


      ウン十年前の確か中学3年の夏休み明け

      夏休み中の作品展示室で見つけたのが

      ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の感想文


      書いたのは隣のクラスのN君

      当時、中間・期末テストの結果は学年ごとに張り出され

      競い合っていましたので、クラスは違ってもよく知ってます


      それだけに本に関しては誰にも負けないと自負していた私には

      ショックでした。

       知らない作家であり、作品です

  
     悔しくって<笑 ヘッセの作品2~3冊、立て続けに読みました

     マ、ヘッセに関してはそれまで、好みの作家ではなかったようです<笑




     それから幾星霜

     地元に残って同級生のリーダーとして、文才を活かし

     同級生便りを発行していたℕ君

     高校の東京支部会の同窓会に地元代表の一人として

     上京してきました。

      高校卒業以来の再会は40代半ばです



     その席で、中学時代のヘッセの話をし笑いあったのですが

     半年後、無二の親友のḾちゃんから、彼の訃報が届きました

     
     それからまた半年後、今度はМちゃんの急死です


     180本の白いカーネーションで埋めた彼女を

     見送ったときは、<二度と同窓会には出席しない>と

     誓った辛い一年でしたね


    
     地元にいたT君もS君も早々と逝ってしまって

     皆の早過ぎる死を悔しがり、

     彼らがが元気でいてくれたなら、私の故郷とのかかわりも

     今少し違ったものになっていたのではと思えてきます



     それもこれも過ぎ去った遠い遠い昔


      私、暑い暑い夏の日々を

       読書とブログ書き、

       現実逃避も悪いものではないと

           独り穏やかに過ごしていますよ


       
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戦争を語り継ぐ<戦場秘話

2018-08-18 14:57:22 | 雑記


       戦後73年

       今年は6月の沖縄戦終結から始まって

       広島・長崎の原爆、8月15日の終戦日

       いずれもメディアの扱いが薄れたような

       まるで政府からの干渉でもあるのかと

       思いたくなるような取り上げ方を感じてしまいます

        
       いよいよ戦争も風化していくということでしょうか



       
      戦争時は幼く被災もしなかったので

       語り継ぐ体験談は持ち合わせていませんが


        義父はソ連に抑留されて帰国後

      何も語らないまま亡くなりました

      それほど過酷な状況だったのだろうと

        頭の中では理解していたのですが

      
      帰国したとき、アメリカから思想教育の尋問を

      受け、一か月上陸できなかったという話を思い出し

      今、検索してみました


      もちろんソ連の思想教育のことも、抑留中のことも

     「黒パン俘虜記」等本での知識はありましたが、小説と違って

      生の調書の声に今、怖さで鳥肌立ってます

      
      私が戦争に関心を持つようになったノンフィクション作家

      角田房子の「満蒙開拓団 八万人の墓標」を読んだ義父が

      「こんなものじゃない」と一言言った真意がわかったような

      気がし、今更ながら、こんな過酷ななか生き抜いてきた義父が

      愛おしく、晩年、もう少し優しく楽しく

       接すればよかったと悔やまれます




    <戦場秘話>

      親しくしていた年上の知人の父親は中野兵学校出で

      玉砕した00島でナンバー2の地位だった人らしい。

      攻撃前、最後の船が日本に向けて出港するとき

      側近の若い兵士を日本に返したそうです 


      その兵士が夜訪れて来て、母親が風呂に入れ

      食事をさせていたのを覚えていると言ってました


      父親がどんな思いで若い兵士を日本に返したのか

      彼女たちも船を見送る父親の最期の様子を聴く事が出来

      命を存えた若き兵士はその後も弔いに訪れ続けたそうです


      戦後、マスコミが戦争未亡人達へのインタビューも

      母親は決して受け付けなかったというのは

       戦争に対するせめてもの抗議だったのでしょうか

   

      人間をも狂気に陥れる戦場での

        チョット感動したしらぜざる友人一家の物語です
        

         
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ウオーターサーバー

2018-08-15 21:44:23 | 雑記


       日本も水を買うようになりました

         たかが水 されど水




       
      かっては将軍家の御狩場であり

      明治以降は陸軍の練兵所を控えたこの地域

      地下水が完備していて


       夏は冷たく冬は暖かい水の美味しいところ

       として知られていましたが。。。




       さすがに今となっては

        水道水を直接飲むのはためらわれます


       
       で、いち早く冷水・温水が飲めるサーバーを

       設置していたのですが。


        今では

       10ℓのウオーターボトルを取り換えるのは

        重すぎて至難の技、しばらく中止してました




       が、やっぱり不便です

       いっぱいのお茶の為に湯を沸かす

        ナンてのわね~。



       改めてサーバーを付けることにして

        今ではいろんなサーバーがありますね


       メーカーも形も水の種類も

       南アルプスの水 富士山の水等々

       
        まぁ~、どこの水だろうと

         大差ないと思ってます<笑


       今回は取り扱いが便利なこと 軽い事が

        取り付ける一番の大事な目安です

         少々気に入らなくとも仕方ありません

      
 
       ものを選ぶ基準が

         歳によってこんなに変わるとは

       出来ることなら歳は取りたくないものですネ

        
              
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猫ジャンプ

2018-08-14 18:55:52 | 雑記


       最近顔見知りになった<笑

         ご近所の猫くん



       今では我が家の庭も

       私と目が合っても逃げることなく

         慌てることなく

        のっしのっしと闊歩していきます



       深夜、 バサッ バサッとすごい音に

        ギョッとして顔をあげると


       😸君がガラス戸にとびかかってるんです


       私と目を合わせても

        ひるむことなく何度も挑戦繰り返してます



           


       
       蛾かもしかするとヤモリ?

         狙っての跳躍です



        顔みしりになったからって

          なんとも傍若無人な!



       マ、網戸を破かなければいいか

          ガンバレ 😸君


        デモ、ヤモリは止めておこうね


        ヤモリは家を守るって言うそうだから。。。


             
            

       
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イソフラボン効果

2018-08-14 16:26:33 | 雑記


         尾籠な話で恐縮ですが



        私の便秘は横綱級です

         何が原因でいつの頃からなのか

        記憶は遥か彼方の闇の中

        以来何十年もの仲の良いお付き合いです


        
        もちろんその間

        病院以外はいろいろ試してみました


        病院の薬 売薬 サプリなど

        が、全て効果なし


        デ、自然に任せることにしました<笑

        気にしない、気にしない

        体調壊すわけでは無し

         気にしすぎるのが一番の毒と

        私流処方術を押し通しています




        春頃、出先の業務スーパーで見つけました

                   


        子供の頃

         福岡の我が家では、大豆をすって

         呉汁を作っていましたが 

          私は作ったことがない、と言うより

         大豆料理ナンてほぼつくらない



        で、試しに買ってきました

         少々お味を付け直し

         箸休めで食しました



         ナントナント、効果てきめんです

             

            このくらいの量より

          量が多ければ多いほど効果は早い


         但し、採りすぎは良くないと言われるらしいが

          
         マ、いいか

          自分流に適当に調整しながら

         便秘薬として食することにしましょう

           
            ヤット見つけたイソフラボン便秘薬です




         良ければ

          同じお悩みの方  お試しあれ! 

          
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