病気、薬に無縁で過ごしてきた私が唯一飲んでいる
サプリメントの核酸
その説明会が近くであるからと誘われて出かけて行った
そこで紹介された方
<私、90歳なんです> 言われて驚いた
ちょっぴりおしゃれして明るく若々しい
隣の駅から一人で電車に乗って出かけてくるこのパワー
この集まりが楽しくて毎月出かけてくるのだとか
<ワンちゃんと二人?で飲んでいるんですよ>
ワンちゃん年取って歩行もママならず垂れ流し状態なんですよ
少しでも元気になってもらいたくてと笑っておられる
こんなとこにも老老介護があったんですね
又いつかお会いしましょう お元気で。。。 お別れしました
<あぁ~ なんと素晴らしき哉 90歳>
今の90代のお年寄りはホントに元気です
私の周りにも、 親友の103歳のお母様を筆頭に
98歳 96歳 ~等々
94歳で亡くなった母がとても若死にしたような
感に思われてきます
サプリメントの核酸
その説明会が近くであるからと誘われて出かけて行った
そこで紹介された方
<私、90歳なんです> 言われて驚いた
ちょっぴりおしゃれして明るく若々しい
隣の駅から一人で電車に乗って出かけてくるこのパワー
この集まりが楽しくて毎月出かけてくるのだとか
<ワンちゃんと二人?で飲んでいるんですよ>
ワンちゃん年取って歩行もママならず垂れ流し状態なんですよ
少しでも元気になってもらいたくてと笑っておられる
こんなとこにも老老介護があったんですね
又いつかお会いしましょう お元気で。。。 お別れしました
<あぁ~ なんと素晴らしき哉 90歳>
今の90代のお年寄りはホントに元気です
私の周りにも、 親友の103歳のお母様を筆頭に
98歳 96歳 ~等々
94歳で亡くなった母がとても若死にしたような
感に思われてきます
雑草でも花は花
春、花の時期だというのに、花の手入れが苦手なわたし
したがって我が家の庭は自然を謳歌してます
名も知らぬ雑草の花々が次々と咲き乱れています
タンポポは終わりました
こぼれ花
何の花だかわからないけど、一株、あまりにきれいに芽を
出しているのでそのままにしておいたらこんな見事な株に
今では、朝雨戸を開けると次々に可愛い姿を見せてくれます
今日は母の月命日、早いもので3ヶ月が過ぎる
100ヶ日はこの世に留まっているとか
だとすれば、本当の別れはすぐそこに~!!
母のお供は
ハリケーン共が、お婆ちゃん一人で寂しがると可愛そうだからと
母に頂いたシンピ
今ではすっかり花が終わって、容赦なく歳月は過ぎてゆく
複数画像投稿できるようになりうれしくてうれしくて~。。。
しばらく 遊びます
残念ながら材料が無いので住まいの近くをご紹介します
国際展示会場から見た幕張メッセ
メッセの中を流れる川、この先は海にでます
メッセは埋め立ての上に出来た砂上の楼閣です
海とは反対側
かっては将軍家のお狩り場であり、戦前は陸軍の練兵所
今は自衛隊の航空部隊が名残を留めています
いち早く東京のベッドタウンになりましたが
歴史の名残を今に伝えるこんな神社も近くにあります
しばらく 遊びます
残念ながら材料が無いので住まいの近くをご紹介します
国際展示会場から見た幕張メッセ
メッセの中を流れる川、この先は海にでます
メッセは埋め立ての上に出来た砂上の楼閣です
海とは反対側
かっては将軍家のお狩り場であり、戦前は陸軍の練兵所
今は自衛隊の航空部隊が名残を留めています
いち早く東京のベッドタウンになりましたが
歴史の名残を今に伝えるこんな神社も近くにあります
これがぼた山です
きれいなピラミッド型でシンボルになってました
が、今は緑に覆われてます
昔はこの河を石炭を積んだ船が若松まで往来してたそうです
町の中を大きな川が流れているので、橋の多い街です
かよちゃん
画像、お借りしました
きれいなピラミッド型でシンボルになってました
が、今は緑に覆われてます
昔はこの河を石炭を積んだ船が若松まで往来してたそうです
町の中を大きな川が流れているので、橋の多い街です
かよちゃん
画像、お借りしました
確か20年?ほど前の、米国のTVドラマ<青春白書>
の続編がはじまった
当時、日米で青春ドラマとしてヒットし、又映像も斬新
だったと記憶しているが、今回同じ監督?で、同じような
カメラ回し撮影方法のようだが、20年もたつとドラマの
内容と共に目新しさは感じられない
当時の出演者達がどんな変わり方をしているかに興味があるくらいです
やはり米国ドラマ <パパは何でも知っている> を覚えている
方は多いと思います
ドラマ終了20年後(確か)、そのままのメンバーで20年後の一家を
一話完結で放映されたのをご存知ですか
皆で集まって観たのですが、
今でこそ珍しくは無いでしょうが、?十年も前のこと、米国の
底力に感嘆し、何よりも皆の話題になったのは、出演者の変わり様でした
この20年という歳月を身に着けて、再び画面に現れてきたのです
観ている外野雀は騒がしい
特に3人の子供達は、どのような人生の選び方歩み方をしたのか
一人一人の顔をみながら想像ししゃべりあいました
最後の結論は
当時よく言われた言葉
<40過ぎたら、自分の顔に責任を持て> ということでした
私、そんな人生を送れたのでしょうか
この秋に高校の100周年記念の同窓会の案内が来てます
紅顔の美少年> 時別れて以来の今浦島達の再会です
自分の顔に自信の持てない私、 出欠迷ってます
母を在宅介護するようにんった時
先の見えない母との暮らしの憂さ晴らしにと
自分自身に向けてのホームページ開設でした
書き連ねていくうちに、ネットでの介護のお仲間の
輪に入れて頂き、皆様の暖かい励ましに支えられながら
母を看取ることが出来ました
このネットの皆様との交流によって、介護の現状を
知ることが出来ました
永い永い年月、いろんな壁にぶつかりながらも
明るく前向きに介護生活を送ってる人達の
なんと多いことか~、驚きでした
皆様の介護に比べ、今のところ、痴呆ではあっても
穏やかで元気な母にホントの介護はまだまだ先と
油断してました
今にして思うこと
これから介護をなさる方々、どんなに些細なことでも
ネットの皆様はご自分の体験からいろいろアドバイスを
してくれますよ。 私はもっと頼るべきでした
そうすれば些細な症状も見逃さなかったのではないか
亡くなる直前に私が体調を崩し、キーボードを打つことも
出来ず、ネットに書き込みも出来なかったこと
言い訳になりますが今でも悔やまれます
顔も知らない方々ですが、ネットで素晴らしいお仲間と
お知り合いになれたこと、母が最後にくれた贈り物でした