真夜中のコーヒー2

人生の最終章
 ボケ防止のためにも
  ブログ遊びを楽しもう

つゆさんへ <行き暮れて

2021-04-03 20:12:32 | 雑記

  ブログ 「蓬窓閑話」の中での
   
「長い一生のうちには、さまざまな事があり、それこそ
 喜びも悲しみも乗りこえて、いま、ここにいる。
    行き暮れて……」

    つゆさんのこの言葉、身に沁みます

     
    そして 誰もいなくなった>

    昔、笑い話にしていたこの言葉が、気がつけば
    今わが身に起こっています

    今は只々彼岸の岸で待ってる人の顔を数を数えて
    諦観して日々過ごしています 

   「諦観の境地に至り、何事にも動じなくなった」
     のは良い事か悪い事か。。。


   私の人生航路は
                 
     行き暮れて  倒れしままの  我が身かな 

              
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6 コメント

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つゆさんへ (つばら)
2021-04-07 15:40:33
忠度、文武両道の人だったようですね

昔の人の教養が羨ましいです
私も歌が詠めたら、この先を<歌詠み人>で
過ごせればと望むんですが、残念ながら<笑
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釈豊輝さま (つばら)
2021-04-07 15:26:45
いえいえ、トンデモナイ
自分で言い聞かせているだけでお恥ずかしいです

何事にも封をして、生きてはいるけど人生は終わったと、身の回りの事だけを我儘に過ごしています
これも良いことか悪いことかも考えることも止めて
います。ただこれらが<諦めでも絶望でもない>と言うことに感謝し、我儘人生の最期の日々を過ごしています
諦観というのは言い過ぎでした。お恥ずかしいです
返信する
Unknown (つばら)
2021-04-07 14:55:51
こんにちは、 今日の海は綺麗でしょうね

そうですよ、kinshiroさんまだまだお若い!
明るい春を見据えてkinshiroさんらしく
明るく元気に日々過ごして下さい
<下手な考え休みに似たり>
まだまだオバサンに同調するのは早い早い!
ですよ<笑
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この歌を詠んだとき (つゆ)
2021-04-04 10:10:38
平忠度は、三十代か四十代でしょうね。
行きくれての言葉に、もう先がないことが暗示されていて、それが歳を重ねてきた、私たちの胸に沁み入るのでしょう。
出だしの五語に、こんなにも深い意味を感じさせるとは、やはり名手ですね。
返信する
Unknown (yo-サン)
2021-04-03 23:20:40
>「諦観の境地に至り、何事にも動じなくなった」

それは素晴らしい。当に禅の境地。三昧ですねぇ。敬服の極みです。
恥ずかしながら私は仏教者の端くれ。経を読み、時には袈裟をかけ、法話もします。
されど己が心は荒波を行く小舟の如。恥ずべし、痛むべし。失礼致しました。
(三帰依>  yo-サンこと 釈豊輝
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Unknown (kinshiro)
2021-04-03 21:02:41
過去には、悲しみ、分かれ、辛さに出会っても、まだまだ先がある、未来を信じて生きていこう!と思っていた身が、今まさにその胸中にある!!

人は誰も最後は一人
でも、最後まで最後の一人にはなりたくない、、

さて、どうやって、この悲しみ切なさを乗り越えるか・・
と、思いながら月日は黙っても過ぎ越し行く・・

春でも明るい春でない、、それでも季節は移り行くから、やはり強い気持ちをもって、自然に逆らわず、生きていくしかないんですね。

色々と考える昨今、何だかねぇ‥共感を得たのか、得た気分にホッとしてるのか、、です
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