黙示録と世界情勢を較べ見て来て、今現在、世界は16章まで来ていると思う。ここしばらく17、18章に出て来る『大いなるバビロン』が一体何かと考え続けているが中々見えない。
見えない理由の一つは・・・6節『・・・我これを見て大いに怪しみたれば・・・』の『怪しんだ』が何故かについて、あるブログでそれが『聖母マリア』だったからだ、との解説に、なるほどと思ったからだ。つまりこの大いなるバビロンとはキリスト教であると言えば言えない事もない。しかしそうすると17章2節の『地の王たちは彼と淫を行い・・・『、18章3節、『・・・地の商人たちは彼の驕りの勢力によりて富みたればなり』と言う記述を満たすには少し根拠が弱いと思うのだ。
17章3節にはこれが緋色の野獣に乗っていると書いてある。聖書の他の箇所の記述からするとこれは『政治勢力』と考えられる。政治を操っているのは何か?と考えれば多分『経済』である。しかし経済、乃至経済体制或は資本主義などと考えると上記のヨハネが訝った姿・・・これはキリストの母マリアじゃないか?!との疑念に答えていないように思う。
そこでとりあえず現在世界を動かしている経済態勢なるものは要するにキリスト教世界から出て来たものであると考えることにしていたがどうも的を射ていないのではないかと思って居る。と言うのは、17章16節以降に、『汝の見し十の角と獣とはかの淫婦を憎み、之をして荒れすさばしめ、裸ならしめ、且つその肉を喰らい、火をもてこれを焼き尽くさん・・』とあるからだ。経済は国家存立の基盤、それが無ければ政治は機能しない。それが何故、十の角、つまり世界の全ての権力が揃って経済機構を破壊するのか?と思うからだ。
また、18章4節には『・・・我が民よかれの罪に与らずかれの苦しみを共に受けざらんため、その中を出でよ・・・』とある。自給自足生活に入れと言うのだろうか?ド田舎なら或は出来るかもしれないが都会でそれはムリだろう。
ところで別の表現は17章4節で、『女は紫と緋を着て金、宝石、真珠で身を飾り・・・手に淫行の金の盃を持ち・・』『我この女を見るに聖徒の血とイエスの證人の血に酔い・・・』とある。一言で言えば傲慢と不義。さらにまた18章7節には『・・・我は女王の位に座する者にして寡婦には非ず、決して悲しみを見ざるべし・・』と豪語していると書いてある。つまり元々『神』に寄り添い仕えていたわけではない、と言っているわけである。これはキリスト教会の標榜するところと違う。
そういう理由でどうやらこれはキリスト教世界発祥の経済機構ではないように思う。なにかそれらと無関係な存在ではなかろうか。
17章1節には『多くの水の上に座する大淫婦』と書いてある。15節には『汝の見し水、即ち淫婦の座するところは もろもろの民、群衆、國、国語なり』とある。するとこれはグローバルな何かである。また続く18節では『汝の見し女は地の王たちをつかさどる大いなる都なり』と書いてある。宰どる、だから政治権力を支配していることになる。
ここでバビロンについて調べてみた。人類史の初めから長い間、中東、地中海辺りで色々な国家の興亡があったが、バビロンと言う都市はニムロデの時代からササン朝ペルシャの時代にまでの長い期間、繁栄していたと言う。つまり政治勢力の興亡とは無関係に存立していた。
ひっかかるのが聖母マリアの顔を持っていると言う点で、実はマリア崇拝だと言うカトリックを調べてみた。すると、マリア崇拝の背後にはバベルの塔を造って『神によって散らされないようにしよう』・・・その本意は『神に対抗しよう』との意図を持った・・としたあの大いなる狩人ニムロデの母セミラミスが隠されているとのこと、ついでながらイエス・キリストの生誕日として祝われる12月25日とはニムロデの生誕日であるらしい。
すると、この大いなるバビロンとは『神を眼中におかない』で存立している、政治権力を動かしている、繁栄を続けている、何かであって人類史の初期に在ったものがその予型となっている何かだろう。
神を無視して立つグローバルな存在で、政治勢力の栄枯盛衰に無関係ながら、政治を動かし、栄華を誇り、人がそこで生きるか或はその外で生きるかを選択できる存在、何だろう??
見えない理由の一つは・・・6節『・・・我これを見て大いに怪しみたれば・・・』の『怪しんだ』が何故かについて、あるブログでそれが『聖母マリア』だったからだ、との解説に、なるほどと思ったからだ。つまりこの大いなるバビロンとはキリスト教であると言えば言えない事もない。しかしそうすると17章2節の『地の王たちは彼と淫を行い・・・『、18章3節、『・・・地の商人たちは彼の驕りの勢力によりて富みたればなり』と言う記述を満たすには少し根拠が弱いと思うのだ。
17章3節にはこれが緋色の野獣に乗っていると書いてある。聖書の他の箇所の記述からするとこれは『政治勢力』と考えられる。政治を操っているのは何か?と考えれば多分『経済』である。しかし経済、乃至経済体制或は資本主義などと考えると上記のヨハネが訝った姿・・・これはキリストの母マリアじゃないか?!との疑念に答えていないように思う。
そこでとりあえず現在世界を動かしている経済態勢なるものは要するにキリスト教世界から出て来たものであると考えることにしていたがどうも的を射ていないのではないかと思って居る。と言うのは、17章16節以降に、『汝の見し十の角と獣とはかの淫婦を憎み、之をして荒れすさばしめ、裸ならしめ、且つその肉を喰らい、火をもてこれを焼き尽くさん・・』とあるからだ。経済は国家存立の基盤、それが無ければ政治は機能しない。それが何故、十の角、つまり世界の全ての権力が揃って経済機構を破壊するのか?と思うからだ。
また、18章4節には『・・・我が民よかれの罪に与らずかれの苦しみを共に受けざらんため、その中を出でよ・・・』とある。自給自足生活に入れと言うのだろうか?ド田舎なら或は出来るかもしれないが都会でそれはムリだろう。
ところで別の表現は17章4節で、『女は紫と緋を着て金、宝石、真珠で身を飾り・・・手に淫行の金の盃を持ち・・』『我この女を見るに聖徒の血とイエスの證人の血に酔い・・・』とある。一言で言えば傲慢と不義。さらにまた18章7節には『・・・我は女王の位に座する者にして寡婦には非ず、決して悲しみを見ざるべし・・』と豪語していると書いてある。つまり元々『神』に寄り添い仕えていたわけではない、と言っているわけである。これはキリスト教会の標榜するところと違う。
そういう理由でどうやらこれはキリスト教世界発祥の経済機構ではないように思う。なにかそれらと無関係な存在ではなかろうか。
17章1節には『多くの水の上に座する大淫婦』と書いてある。15節には『汝の見し水、即ち淫婦の座するところは もろもろの民、群衆、國、国語なり』とある。するとこれはグローバルな何かである。また続く18節では『汝の見し女は地の王たちをつかさどる大いなる都なり』と書いてある。宰どる、だから政治権力を支配していることになる。
ここでバビロンについて調べてみた。人類史の初めから長い間、中東、地中海辺りで色々な国家の興亡があったが、バビロンと言う都市はニムロデの時代からササン朝ペルシャの時代にまでの長い期間、繁栄していたと言う。つまり政治勢力の興亡とは無関係に存立していた。
ひっかかるのが聖母マリアの顔を持っていると言う点で、実はマリア崇拝だと言うカトリックを調べてみた。すると、マリア崇拝の背後にはバベルの塔を造って『神によって散らされないようにしよう』・・・その本意は『神に対抗しよう』との意図を持った・・としたあの大いなる狩人ニムロデの母セミラミスが隠されているとのこと、ついでながらイエス・キリストの生誕日として祝われる12月25日とはニムロデの生誕日であるらしい。
すると、この大いなるバビロンとは『神を眼中におかない』で存立している、政治権力を動かしている、繁栄を続けている、何かであって人類史の初期に在ったものがその予型となっている何かだろう。
神を無視して立つグローバルな存在で、政治勢力の栄枯盛衰に無関係ながら、政治を動かし、栄華を誇り、人がそこで生きるか或はその外で生きるかを選択できる存在、何だろう??
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