撥弦楽器の左手は崖上りの様に指を動かす。つまり三本の指で弦を抑えて一(和)音弾く、次の音に移る時、今弾いたポジションの指を基準にして次の和音なり音のポジションに移行する、決して指板から全ての指を放さない。
これは実は理想であってそうできない場合は多々ある。ダイアナ・ポールトン女子は、その時は移行すべきポジションを視よ、と言っておる。然り、自転車、バイク、車、いずれも『見る』方に動く。ゴミ籠にゴミを投げ入れる時、そこを見れば入る。バスケットボールもそうだ。
さらに、人生も『見る』方向に進展する。『見る』とは『注意を向ける』或は『意識を集中する』が本質である。『不幸せな人生』を避けたい、避けたい、と思うその心は『不幸せ』に意識を集中している。結果、人生は不如意の方に向かって行く。
幼児体験として概ね幸せに生きた人の辞書には『苦境』とか『不幸』と言う文字がない、つまりそういう状況を『知らない』。知らない状況には遭遇しない。人が一般的な観察眼に善人、人格者と映るか、問題ありの人物と映るかはこの際関係ない。昔、『悪いヤツほどよく眠る』と言う小説か何かがあったがそこのところの機微をよく表わしている。
話が逸れた、リュート曲集などというものはざらにはない。仕方がないからインターネットから引っ張る。タブラチュアと称して現代譜面の五線のように弦を描いてある。そこにどの弦のどこを押さえると言う印がアルファベットや数字で書いてある。それをプリンターで出力して楽譜として使うわけだが【そのままでは使えない】、そのまま使うことも出来るが出来るのは相当のプロである。
従ってこれを一旦写譜する。それを見ながら弾いてみる、すると、指の動きに無理、不合理、が見えてくる。そこで例えば6コースの第一ポジションよりは7コースの第三ポジションの方が無理なく弾ける、と解ったら楽譜を書き直す。オリジナルの2割程度書き直すことになる。もっと多い場合もある。大体、ハイポジションの方が弾き易い。
一方モダンギターは弦張力が強く、3コースのハイポジションが鳴りにくいので余りこういうことはしない。中古のギターやリュートを見ると、特にリュートだが1,2,3コースの2,3ポジションしか使っていないのではないか?と思うことが多い。指板のヨゴレ具合を見ると判る。
これは実は理想であってそうできない場合は多々ある。ダイアナ・ポールトン女子は、その時は移行すべきポジションを視よ、と言っておる。然り、自転車、バイク、車、いずれも『見る』方に動く。ゴミ籠にゴミを投げ入れる時、そこを見れば入る。バスケットボールもそうだ。
さらに、人生も『見る』方向に進展する。『見る』とは『注意を向ける』或は『意識を集中する』が本質である。『不幸せな人生』を避けたい、避けたい、と思うその心は『不幸せ』に意識を集中している。結果、人生は不如意の方に向かって行く。
幼児体験として概ね幸せに生きた人の辞書には『苦境』とか『不幸』と言う文字がない、つまりそういう状況を『知らない』。知らない状況には遭遇しない。人が一般的な観察眼に善人、人格者と映るか、問題ありの人物と映るかはこの際関係ない。昔、『悪いヤツほどよく眠る』と言う小説か何かがあったがそこのところの機微をよく表わしている。
話が逸れた、リュート曲集などというものはざらにはない。仕方がないからインターネットから引っ張る。タブラチュアと称して現代譜面の五線のように弦を描いてある。そこにどの弦のどこを押さえると言う印がアルファベットや数字で書いてある。それをプリンターで出力して楽譜として使うわけだが【そのままでは使えない】、そのまま使うことも出来るが出来るのは相当のプロである。
従ってこれを一旦写譜する。それを見ながら弾いてみる、すると、指の動きに無理、不合理、が見えてくる。そこで例えば6コースの第一ポジションよりは7コースの第三ポジションの方が無理なく弾ける、と解ったら楽譜を書き直す。オリジナルの2割程度書き直すことになる。もっと多い場合もある。大体、ハイポジションの方が弾き易い。
一方モダンギターは弦張力が強く、3コースのハイポジションが鳴りにくいので余りこういうことはしない。中古のギターやリュートを見ると、特にリュートだが1,2,3コースの2,3ポジションしか使っていないのではないか?と思うことが多い。指板のヨゴレ具合を見ると判る。

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