ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

雄飛號

2010-04-18 17:56:00 | ライヴ
 舞台の構成は、前半を僕のソロ演奏、後半は前述の即席バンド、と決めた。バンドで通そうにも、即席過ぎてレパートリィが少ない。
 主体はあくまで僕の歌。俺様が主役である。えっへん。
「ソロでのライヴは演られないんですか」と、このところ不思議と重ねて問われていた。きっとトークショウが重なったりで、(一見)作風ほどに偏屈ではない実像が広まってきたのだろう。べつだんソロと銘打たなくとも、ラヂオデパートの楽曲は凡て僕の筆によるものであり、発表形態としては十全と感じていたのだが、お客さんの目からは違うらしい。
 僕は作家というのは作品の影に過ぎないと思っているし、音楽に関しても自分の詞や曲が伝われば充分満足なので、他の人達が上手く演ってくれるんだったら舞台袖に隠れていたい程なんだが、そういう態度をとられる事を、読者や聴衆はときに理不尽と感じるようだ。

 露出するにせよ隠れるにせよ、要は頃合の問題であって、出しゃばれば煙たがられ、隠れれば穿鑿される。それだけの話だ。
「私達の目の前で歌ってください」と仰有る方あらば、素直に歌ってお聞かせすればよいのだ。それが相手に及ぼす作用を計算するなどおこがましい。歌おうが歌うまいが一度の人生である。相手が嫌な顔をなさったら、黙ればいい。

  運命は美しい布だ
  奇怪な印度さらさだ

  花は輝き人は走り
  馬は血に染む

  笑ふ物、泣く物
  高まる物、低き物

  この布を裸身につけて
  われは踊る

  いのち短き一をどり。(村山槐多「音の連続」)

 リハーサルの苦労や本番の緊張を、ここに再現する気はない。言い訳がましい裏話など、お客さんに失礼なだけだろう。
「津原泰水コンソート」と題した初のソロ舞台は、どうやら好評だったようだ。僕自身は、未だ客観的ではない。終わった瞬間は、一生取り返せない程の恥をかいたような気がし、音楽を已めてしまおうかとすら思っていた。
 バンドの連中が楽しげにしているので、彼らの役には立てたかと少しだけ安堵していたら、ブッキングを仕切っている鳥井賀句さんが寄ってきて、僕の奏法を誉め、バンドを誉め、「次はBlue Velvet Night。いちばん上等の、土曜の枠。バンドと相談しといて」と仰有った。
 何がなんだか分からないまま朝まで痛飲し、眠って起きたら、好意的な感想のメールが幾つも届いていた。

 失敗は無数にも思い出せるのだが、どこが良かったのかは、本当に未だに分からない。ともかく来週末(4/24)に迫っているライヴの為に、バンドは練習を積み、僕もソロの練習を重ねて、きっと前回よりは上手く演れそうな気がしている。
 僕らはバンドに名前を付けた。雄飛號(ゆうひごう)。
 槐多も目撃した、大正時代の飛行船だ。「白いコスモス。飛行船のもの憂い光」だったという臨終の呟きが本当ならば、そのとき槐多の脳裡を横切った記憶である。

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