ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

カレーと嘘とデジタルカメラ

2008-12-15 05:52:05 | ライヴ
 中年以降の男性諸君、もし愛する彼女が「加齢臭が好き」と呟いても、「おいおい早く云えよ」と安堵してはいけない。エルメスの香水Calèche(カレーシュ)を買ってくれとねだられている可能性がある。意外かもしれないけど私、カレーのにおいが大好きなの(ていうか毎日でも食いてえんだよ。いま食わせろよ)という意味かもしれない。

 12/9の渋谷屋根裏は、そんな彼女なら随喜の涙を流すであろうカレー臭に満ちていた。ほんまに会場でカレーを作ったり販売していたのです。こういう文化祭のような真似を平気でやらかすのがシブヤネの楽しいところで、「暇だったら取り敢えずシブヤネに」という空気を演出せんとする、スタッフの情熱がひしひしと感じられる。
 察するに、ライヴハウスの運営は生易しくない。シブヤネの、あの場所の月の家賃ときたら、慎ましいNEATが一年暮らせるくらいだろう。正直、バンドに課せられるノルマも安くはない。かといってターミナル駅以外の、「降りたことないなあ」ってな駅の周辺に移ったとしたら、現在の集客も望めなくなる。
 バンド側に出来るせめてもの協賛は、良い曲を作り良い演奏をしてお客を集める、なのだが、いっとき「お客を集める」だけに特化したバンドが無闇に増殖して、「ライヴハウスの音楽ってこんなもん」という悪評を広めてしまった感がある。楽屋での時間をチューニングより化粧に費やしていたりアマチュアのくせにファンクラブの会員を募集していた、君や君や君のことです。まだ音楽演ってる? なら、まあ許そう。

 音楽「業界」と音楽との疎遠ぶりに話が及べば、また『ブラバン』くらいの長さを書かねばならなくなるので、自重しつつ、いちおう結論めいたいことだけ述べるとすれば、以下。
 なべて表現を志す者は、常に不定形で不快なものの影を感じつつも、我此処に有り、という土台を自ら見出し、見出せたならそれを死守して生き、生き抜き、力尽きて死ぬべきである。
 上述の、なんだか物凄い勢いでヘアスプレイを使っていた坊や達が、いま音楽を已めて別の道を歩んでいるとして、そうなったきっかけが「だってメジャーに行けなかったんだもん」ではないことを切に願う。「音楽より私を見つめてって彼女から云われまして」の方が何千倍も高級だ。だってあのとき採点されたのは、その彼女が大好きな君の顔や身長なのだ。君が魂を燃やしていたサウンドとは、なんの関係もないのだ。

 12/9のヌートリアスは、なかなか良い演奏が出来た。たまさかデジタルカメラによる動画が上手く撮れていたので、公式サイトに挙げておいた。御笑覧あれ。個人的には「何故こう弾けなかったんだろう」といった自責の連続だが、せめて自責は出来る演奏だったという事で、世に曝すと決めた。
http://www.tsuhara.net/nutrias/museum.html

 バンドのメンバーからさえ袋叩きに遭うのを覚悟で書けば、ロックというのはたいへん醜い、異形の音楽である。割れた声に割れた音、何奴も此奴も音楽理論に疎く、見た目も滅茶苦茶、楽屋も滅茶苦茶、会場にはたばこの煙にカレーのにおい。
 僕はこの歳になって、こんな時代に今更、涙が出そうなほどロックを好きになりつつある。
 正直であることの美徳を、ここまで懸命に保ち続けた文化が、いったい他にあるんだろうか?

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2 コメント

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Unknown (ラッコK)
2008-12-18 02:28:25
僭越ながらコメントさせてください。
ただもう、その濃密な音空間を自分のキャパ目一杯で受け止めたくて、楽しんだひとときでした。
ありがとうございました。

「君や君や君」は多分ここ読んでないと思いますが(笑)、俺も今さらながらロックにのめり込んで生きる意思を、人生最大級に強く持ってます。
津原さんに会えたことは自分にとって間違いなく宝であり、楔です。
また、伺います。
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Unknown (津原泰水)
2009-01-24 05:06:45
 コメントを無視してきた訳ではないのです。あまりに真摯なお言葉に、どう応えられようかと腐心していました。
 ひとつ申し上げられるのは、ああした体験はまず貴方のものであり、あの場の主役は、まぎれもなく貴方であったという事実です。
 共有なんてケチなことは申しません。素晴しい音楽など、実はどこにも存在しないのだと僕は思います。その音楽を素晴しいと感じられる、透明で、勇気に満ちた、貴方が存在するだけなんです。
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