ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

楽団ひとり

2010-04-17 23:45:00 | ライヴ
 暫く、こちら向けの文章を書いている余裕が無かった。主に仕事に追われていたからで、この不景気下に有り難い話ではあるが、このブログを楽しみになさっている奇特な方々には、御心配をおかけしました。
 間に、「ツイッターを懐疑する」と題したこちらの文章を読まれた記者の方から電話取材を受けたが、あまり僕について御存知の感じではなかったので、勝手に円城塔さんを紹介してしまった。彼の方がしっかりした見識をお持ちだろうし読者も喜ばれようという判断だが、万が一、御迷惑が生じていたら、御免なさい。
 このところ色んな人達とお会いして、僕が批評嫌い――自著を批評されるのが嫌い――だと思われていることも分かった。いやいや、コクトオの信奉者を自認しているくらいで、まったく嫌いではない。批評に対して批評的であるというだけだ。個々の批評ではなく批評という行為に。

 初めて楽器を手にしてから三十何年か経つのだけれど、先月初めて、ソロ演奏でのライヴというのを経験した。友人の結婚式の余興にさえ、なるべく即席のバンドを組むというタイプで、独りで人前に立つのは本当に珍しい。
 そういえばある結婚式では、新婦の友人達が森高千里の歌をうたうので、そのカラオケ代わりを独りで演ってくれ、という無茶な注文をされた。遠方(四国!)だったから会場の下見など出来ない。まあ、ギターアンプが常備されているとは思えなかった。司会者用の簡易PAとカラオケマシン程度だろう。リハーサルも無い。アコースティックギターをがちゃがちゃやっても、きっとカラオケで練習しているであろう歌い手達は音程がとれまい――。
 現実の会場状況はほぼ予想通りで、歌の二人と僕のギターとで、一つのカラオケマシンを共用したのである。僕は、セミアコのエレキギターとモジュレーション・ディレイと簡易ミキサーを持参していた。会場係に「そんなことしてカラオケが壊れませんか」としつこく問われながら、ミキサーを介して全部ぶち込んだ。そうせざるを得なかった。
 ギターに関しては、モジュレーションで分厚くした音を、本当はディレイでテンポと同期させたかったのだが、後者は諦めた。どうせ歌の為のエコーがギターにも掛かってしまうから、下手に残響を増やすとぐちゃぐちゃになってしまう。ともかくそんな音作りで、低音を弾いてはオブリガート、低音を弾いては複音ソロといった感じに、イントロも間奏もきっちりと弾いた。いま考えても神業であった。もう出来ないような気がする。

 ソロの舞台を踏まねばならなくなったのにも、このところの不景気が大きく関係しているのだが、その辺の事情は書いても面白くないので省略する。
 四国での経験など胸に去来させつつ、舞台構成を練る。グレッチの低音にだけボスのオクターヴァを掛ける(OC-3にはそういう機能がある)と、弾き方によってはギターとコントラバスのピチカートが共演しているような、一人二役が可能だというのには気付いていた。他のギターだと低音がオルガンっぽくなってしまい、あまり上手く行かない。グレッチの音色がコントラバスっぽいのだろう。心惹かれてきた筈だ。
 僕が元々、3フィンガー奏法というかチェット・アトキンス奏法というか、いい加減な代物ではあるが、その種のことが得意なので成立した次第だ。またチェットの音色を意識して、ドライ音(エフェクトを経ていない音。これが別個に取り出せるエフェクターもある。対義語はウェット音)には、スラップ・エコーを掛けた。

 ギター>オクターヴァ(ドライ)>エコー>ギターアンプ
           (ウェット)>ベースアンプ

 これで一人二役。歌も入れたら一人三役。ついでにドラム背負ってペダルに紐付けて足踏みで叩くか? いやそれは痛々しいので已めにする。
 歌いながら、この為に買ってきた携帯レコーダーで録音してみる。確かに一人三役に聞えるし、歌も悪くない。
 しかし初ソロ舞台への不安を、容易には払拭できない津原であった。続く。

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