ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

歌が聞えない

2007-01-30 00:33:43 | ライヴ
 なんとなく書く気にならなかった話題。
 1/16の屋根裏は、じつはモニターシステムがぶっ壊れていた。前のバンドで死にかけて、ラヂデパで昇天したようだ。不可抗力だ。どんな機械も壊れる。スタッフはよく努力していた。
 昔のライヴハウスは、アンプから音が出るだけで御の字の有様だった。ゆえにモニター無しでも僕らは演奏できる。1/16は、ドラム、ベース、ギターの所謂「なか音」だけだった。厳密には僅かな音量でモニタースピーカーが鳴っている。しかし曲が始まると掻き消えてしまう。例外は〈まひるの夢〉の前半だけだった。

 12/24(屋根裏)は小山の声の調子がわるく、僕は緊張していた。もし本番で小山の声が出なくなったら、小山のラインも歌わねばならないからだ。結果、怪我の功名、ボーカルの出来を称賛された。なんだ俺、やれば出来るんじゃん。
 そうして歌への意識が高まっていただけに、モニターの無い状態に我にもあらず慌てた。小山の処や太朗の処は、僕の立ち位置よりは聞えていたらしい。小山はハンドマイクに出来るし太朗は歌わない。二人は立ち位置を動かせるのだから、替わってもらうべきであった。それを思いつかなかった。
 お客に「モニターが壊れている」と説明し、五分、待ってもらえば良かったのではないか。そのあいだに妥協できる立ち位置を探せたのではないか。

 モニターが無いと歌が荒っぽくなる。とりわけ語尾がいけない。
 水の中にいるようだ。
 不安だから意識が乱れる。展開を忘れそうになる。
 不安を吹き飛ばそうとギターのボリュームを上げる。ますますなにも聞えなくなる。
「途中でギターのボリュームを上げたのが格好良かった」と後で云われた。怪我の功名? いや満足してはいかん。辛うじて歌いきれたのは、過酷としか云いようのない二十代のライヴ生活と、その反省の賜物だ。四十代の反省は五十代に活かそうじゃないか。

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3 コメント

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ギタリストのためのブログやってます! (ニートギタリスト)
2007-01-30 00:40:13
よかったら見てみてください!
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Unknown (bookie)
2007-02-03 05:52:09
>小山の処や太朗の処は、僕の立ち位置よりは聞えていたらしい。小山はハンドマイクに出来るし太朗は歌わない。二人は立ち位置を動かせるのだから、替わってもらうべきであった。それを思いつかなかった。

 大人になってもそーやって勉強するんだな。
 家で勉強してもダメな事が、実践すると身につく事は大人になっていろいろ失敗してわかった。

 「モニターが聞こえること」よりも、「生音が小さい事」の方が自分の声(ボーカル)をコントロールできます。まあ、生音が小さいと自ずからモニター聞こえるんだけど。
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Unknown (tsuhara)
2007-02-05 13:53:52
 恐らくは下手だからなんですが、「聞えない」と文句を云われていた時期が長く、コノヤロと音がでかくなってしまったんですよ。言い訳ながら、時代性もあったような気がします。最近出掛けたライヴは、どれも抑え気味でハイファイでした。クラシック的というか。機材が昔とは比較にならないほど良質なんですね。
 最近バラードも演るようになり、音を思い切り絞ったらお客の反応が良く、「こういう事か」と。それでようやくわかるとは、我ながら阿呆です。
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