なんとなく書く気にならなかった話題。
1/16の屋根裏は、じつはモニターシステムがぶっ壊れていた。前のバンドで死にかけて、ラヂデパで昇天したようだ。不可抗力だ。どんな機械も壊れる。スタッフはよく努力していた。
昔のライヴハウスは、アンプから音が出るだけで御の字の有様だった。ゆえにモニター無しでも僕らは演奏できる。1/16は、ドラム、ベース、ギターの所謂「なか音」だけだった。厳密には僅かな音量でモニタースピーカーが鳴っている。しかし曲が始まると掻き消えてしまう。例外は〈まひるの夢〉の前半だけだった。
12/24(屋根裏)は小山の声の調子がわるく、僕は緊張していた。もし本番で小山の声が出なくなったら、小山のラインも歌わねばならないからだ。結果、怪我の功名、ボーカルの出来を称賛された。なんだ俺、やれば出来るんじゃん。
そうして歌への意識が高まっていただけに、モニターの無い状態に我にもあらず慌てた。小山の処や太朗の処は、僕の立ち位置よりは聞えていたらしい。小山はハンドマイクに出来るし太朗は歌わない。二人は立ち位置を動かせるのだから、替わってもらうべきであった。それを思いつかなかった。
お客に「モニターが壊れている」と説明し、五分、待ってもらえば良かったのではないか。そのあいだに妥協できる立ち位置を探せたのではないか。
モニターが無いと歌が荒っぽくなる。とりわけ語尾がいけない。
水の中にいるようだ。
不安だから意識が乱れる。展開を忘れそうになる。
不安を吹き飛ばそうとギターのボリュームを上げる。ますますなにも聞えなくなる。
「途中でギターのボリュームを上げたのが格好良かった」と後で云われた。怪我の功名? いや満足してはいかん。辛うじて歌いきれたのは、過酷としか云いようのない二十代のライヴ生活と、その反省の賜物だ。四十代の反省は五十代に活かそうじゃないか。
1/16の屋根裏は、じつはモニターシステムがぶっ壊れていた。前のバンドで死にかけて、ラヂデパで昇天したようだ。不可抗力だ。どんな機械も壊れる。スタッフはよく努力していた。
昔のライヴハウスは、アンプから音が出るだけで御の字の有様だった。ゆえにモニター無しでも僕らは演奏できる。1/16は、ドラム、ベース、ギターの所謂「なか音」だけだった。厳密には僅かな音量でモニタースピーカーが鳴っている。しかし曲が始まると掻き消えてしまう。例外は〈まひるの夢〉の前半だけだった。
12/24(屋根裏)は小山の声の調子がわるく、僕は緊張していた。もし本番で小山の声が出なくなったら、小山のラインも歌わねばならないからだ。結果、怪我の功名、ボーカルの出来を称賛された。なんだ俺、やれば出来るんじゃん。
そうして歌への意識が高まっていただけに、モニターの無い状態に我にもあらず慌てた。小山の処や太朗の処は、僕の立ち位置よりは聞えていたらしい。小山はハンドマイクに出来るし太朗は歌わない。二人は立ち位置を動かせるのだから、替わってもらうべきであった。それを思いつかなかった。
お客に「モニターが壊れている」と説明し、五分、待ってもらえば良かったのではないか。そのあいだに妥協できる立ち位置を探せたのではないか。
モニターが無いと歌が荒っぽくなる。とりわけ語尾がいけない。
水の中にいるようだ。
不安だから意識が乱れる。展開を忘れそうになる。
不安を吹き飛ばそうとギターのボリュームを上げる。ますますなにも聞えなくなる。
「途中でギターのボリュームを上げたのが格好良かった」と後で云われた。怪我の功名? いや満足してはいかん。辛うじて歌いきれたのは、過酷としか云いようのない二十代のライヴ生活と、その反省の賜物だ。四十代の反省は五十代に活かそうじゃないか。
大人になってもそーやって勉強するんだな。
家で勉強してもダメな事が、実践すると身につく事は大人になっていろいろ失敗してわかった。
「モニターが聞こえること」よりも、「生音が小さい事」の方が自分の声(ボーカル)をコントロールできます。まあ、生音が小さいと自ずからモニター聞こえるんだけど。
最近バラードも演るようになり、音を思い切り絞ったらお客の反応が良く、「こういう事か」と。それでようやくわかるとは、我ながら阿呆です。