Dの嵐 

だいさくな日々

なかなか

2014-04-02 17:06:01 | Weblog

昨日カキコの方が出来ずに居ましてと言うのも少し早めの営業でした
同級生で友人の〇雲君が 職場の同僚を連れてお店に来てくれました
又其の同僚の方も良く知っている方で 携帯に電話を頂いた後お店にも頂いての営業となりました
流石に普段の開店時間を2時間近く遡っての営業と言うのは深夜が心配でなりませんでした
ゴルフ談義に花が咲いて非常に楽しいフライングの開店をさせていただきました
そしてなんと二人は夜の九時までお店の方でお酒を飲んで居られたのでしたが 終いには・・・
「帰らんでもいいのか」とか「意識の有る内に帰らんといけん明日仕事じゃし」と言いながらの代行と成りました
気も使わずになんと五時間もの間を僕のお店で過ごされて上機嫌で帰られたのでした
そうしているとカキコが一切できなかったと言う事で 本日のカキコとなってしまいました
昨日も遅くまでお客様で賑わって頂き又楽しく過ごさせて頂きましたが なんと嬉しい事に今月は・・・
毎週金曜日に2Fの方での宴会が 昨日が1日にも拘らず全て埋まってしまいまして
決してこれはエイプリルフールではない事を この場を借りて御礼と感謝をお伝えしておきます
どうも有り難う御座いました

さて昨日はそんな風で始まったお店でしたが 閉店時間も午前十二時を大きく廻ってしまいまして
非常に良いと言うか 有り難い話を聞いたのでしたと言うのは 三原の内港の東側にある「錨(いかり)」の事でした
お客様から其の錨の話と三原の歴史に関する話を聞いて 気持ちが非常に熱くなったのでした
船の名前をたしか「こうえいまる」だったと思うのですが この船が非常に歴史のある船なのです
と言うのは 戦時中に朝鮮に移民と言うか住んでいた日本人を 日本に帰る時に使った船であると言う事
そして其の利用者たるもの相当な数であると言う事 そしてこの三原に何故あるのかということそれらを話して頂いたのでした
直接には三原市は余り関係ないといえば関係ないのですが 歴史的に風化をしていっているこの時代です
こうした事実は時代が進んでも残るべきだと思います 何故三原にあるのかというとそれは・・・
三原市の木原で昭和54年に老朽化による解体を余儀無くされて 此処三原の地にやってきたそうです
日本全国にこのこうえいまるに乗って帰ってきた人たちが居られ 態々鹿児島や北海道から見学に来られたとの事でした
そして 片方の錨は下関の韓日フェリー乗り場に展示されて祭られているとの事
そしてもう片方が其の縁で三原にあるということで これを保存するに当たり市民がお金を出して買ったと言う事
色んな話を聞く中に 今公と言うか行政からはこの錨は邪魔者で 扱いが非常に粗末に扱われていると言う事
一個人がお金を出して買ったものを市に寄付して それを保存している市側が風化させているのではないかといった話もチラホラ
温故知新とは良く言ったもので 又先日のアカデミー賞で始めて黒人の人が賞を取った後にも同じ様な事を言われた
「過去があるから今がある決して今は今始まったものではない過去を忘れてはいけない」と言う事
なるほどそうだなあと思っているうちに時間は午前様になっていたというわけなのです
僕は其の錨が 鷺島の沖で沈んだ船のものだと 多くの死者を出した船のものだと 話を聞くまで思っていたのですから
もっと三原のことを知りたいと思う反面 繰り返してはいけない歴史はあるけれど 其の認識は今も昔も同じだと言う事を 考えさせられたのでした

さて 本日牛スジの仕込みをしていまして 昨日も朝一出汁採りをしたのですが 本日も出汁採りが有りました
今日は睡眠時間が先程言いました様に遅くなったので 余り寝ていませんしかもも今非常に眠い状況です
今夜閉店までは何とか頑張らねばと思っているのですが 腰も痛くて 難儀をしています
何処かで気圧が動いていると思うのですが 外の天気は一応晴れていまして 果たしてこの疼きは
腰がスカッとしないので中々しんどい毎日なのですが これから少し残っている仕込みをして 今日も頑張りたいと思います
今日もどんな出会いがあるのか楽しみですが こころよりお客さまの来店をお待ちいたしております

と言う事で 又カキコ致します ではでは