昨夏8月25日に茅野市の寒天蔵を訪れたことを記した。その際触れなかったことだが、味噌造りをされている丸井商店の奥に“貧乏神神社”というものがあった。この名を聞いてピンと来る人は、きっと飯田市大瀬木にある貧乏神神社を訪れたことがある人だろう。いや、訪れずともその噂を聞いたことのある人はいるはず。茅野の地に貧乏神神社があることは、丸井商店を訪れるまでまったく知らなかったこと。
丸井商店内にあるこの貧乏神神社にあるいわれには次のように書かれている。
災いを福に変える プラス思考の災禍転福貧乏神神社 諏訪分社
私が貧乏神神社を創建いたしましたのは、私自信が貧乏神のわずらわしさをいやというほど味わってきたからです。夢を追って脱サラし、はじめた事業が次々と障害にぶち当たってしまい、心身ともにぼろぼろになり貧乏神に取りつかれてしまいました。崖っぷちで私が悟ったことは
『貧乏はお金ではない、心の問題』であるということです。
この悟りをもとに「貧乏神神社」を創建いたしました。
各事情に苦しみ、お参りされた方達からクチコミで広まり、“貧棒”で神前にある「ご神木」を三回たたき、三回蹴飛ばし、そして「ご神体」に向かって豆を投げつけるという独自の貧乏神撃退方法がマスコミにより大々的に紹介されるようになり「日本唯一のユニークな神社」といわれるまでになりました。
これほどの大反響は予想外のことで、祭主の私が貧乏神を撃退した実体験に基づいた有効手段が共感を呼んだのではと考えます。
この貧乏神神社の功徳をより多くの方に差し上げたいと念じ諏訪の地に分社を建立いたしました。どうかご参拝の皆様、自分の持つ「弱い心」を振り払い「よい事、ある!ある!」と念じ、プラス思考で、ご利益を掴んでください。「仕事が増えた」「お客さんが増えた」「足腰の痛みが軽くなった」果ては「宝くじが当たった」等々お礼参りをお待ちしております。
飯田市大瀬木
災禍転福 貧乏神神社 祭主 桜井鉄扉
味噌と貧乏神様の縁
辞書には「窮鬼」と載っています。すだれ眉毛に金壷まなこ、頭に角が一本生え、体が隠れるマントを被り、敗れた渋団扇を持っていると…。また、痩せこけて色青ざめ、さも悲しげに立っているとも…。江戸時代、大阪の富豪の家が毎日晦日に貧乏神送りをしたようです。番頭が貧乏神が好むという焼味噌を二つ作り、座敷から店へと家内中を持ち回り、終って川へ流したと伝えられています。貧乏神神社は、お願いでなく、叩いて蹴飛ばして追い出すという、「鬼は外、福は内」の発想です。
茅野市宮川
災禍転福貧乏神神社 諏訪分社
とある。Wikipediaには「詩人・中村光行によれば、貧乏神は味噌が好物で、団扇を手にしているのはこの味噌の芳香を扇いで楽しむためとされている」とある。また「貧乏神が焼き味噌を好むという説に関連し、大阪の船場には明治10年頃まで貧乏神送りの行事があった。毎月末、船場の商人の家で味噌を焼き、それを皿状にしたものを番頭が持って家々を回り、香ばしい匂いがあちこちに満ちる。頃合を見計らい、その焼き味噌を二つに折る。こうすることで、好物の焼き味噌の匂いに誘われて家から出てきた貧乏神が焼き味噌の中に閉じ込められるといい、番頭はそのまま焼き味噌を川へ流し、さらに自分も貧乏神を招かないように味噌の匂いをしっかりと落としてから帰ったという」とも。
諏訪分社とされた貧乏神神社も、飯田市大瀬木にある本社祭主による入魂式によって気が込められているというもので、いわゆる神社庁に認められた神社とは異なる、どちらかというと新興宗教的感覚の対象とも見える。
続く
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