まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは19!

2007-11-27 20:24:28 | 音楽
とんでもなく、やおいかんごとなってきました!

                それでは、どうぞ!
生と死がテーマみたいになってきましたが、そんな難しいテーマを、私が書ける訳でもなく、文豪でも上手く書けるのが大変難しいテーマなんですから。

私なりに、経験として書いています。

大体、私は作文なんか苦手なほうなのです。

それでも、読んでくれている人たちがいて、もし、このブログを読んで生きる希望が沸いて来たり、死ぬのを思い留まってくれたなら、私は満足です。

前にも書いたけど、娘が読んでくれて私が、そういう状態の時に娘の事をを思っていた事が、娘に伝われば良いと思っています。

場面は集中治療室からです。

酸素吸入器は、1日ではずれました。集中治療室は2日間ぐらいだったと思います。

看護婦さんから、

「イビキは大丈夫でしょう。」

とか、

「隣の人に迷惑をかけないように。」

とか、言われてましたが、結果的には迷惑をかける事はなかったのでしょう。

隣の方は、2日目の朝、早くに集中治療室からいなくなりました。会社の同僚たちが帰った日の次の日でした。

私は、たった2,3メートルの先の人に話すことも無く、部屋からいなくなりました。朝早くにゴトゴトとベッドを動かす音が聞こえただけでした。

よくよく考えてみると、隣からは、

「こはーっ!こはーっ!」

と荒い息の音だけが聞こえて来ただけでした。ずーっと意識がなかったのでしょう。だから、イビキで迷惑をかける事はなかったのです。

私は隣の人がどうなったのかは知りません。看護婦さんに聞きもしませんでした。私が集中治療室にいる間、隣の人は一言も声をだしませんでした。荒い息の音だけです。ベッドを動かす時に、肉親の人のかすかな泣き声が聞こえただけでした。

私は、その時、冷静でした。寝ていたのを起きて、すぐに、また、寝ました。だから、どうなったのかは、今でも知りません。本当の事です。

次の日、目覚めて、部屋の扉が開きました。私が倒れて3日目、集中治療室での2日目のお昼ごろです。一人きりの集中治療室です。

「まことー。」

一言だけでした。懐かしい聞きなれた声でした。母親でした。母は、大きな体格に似つかわしくないか細い声でした。

「大丈夫ねー・・・。」

私は、正直に嬉しかった。間違いありません。大きな体を小さくまるめて、申し訳なさそうに母が部屋に入ってきました。私は、

「何なー!来たとなー?来んでも良かって言いよったろうがー!」

と笑って言いました。

「忙しいっちゃけん、来んでも良かったとい!遠かところい。」

と、嬉しくて笑ってしまいました。            ・・・つづく