エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

思う(DP1)

2008-12-19 05:45:55 | Weblog
「昔はここら辺一体砂利道でね、空き地があってそこで子供達が遊んでたりしたのよ。」
とか、
「昔は・・・だったんだけど今はすっかり変わっちゃったね」
というのを子供の頃から今に至るまで良く聞く。
子供の頃は自分の居なかった時代の変化について思いを馳せていたが、自分が生きてみてそれが脈々と続いていることを感じた。

最近夕方5時から家の周りを散歩に出ることにしている。

始まりはこの道

ここは毎日が快晴、そして赤道にも近いので、散歩を同じ時間に始めると毎日同じ風景が見られると言っても過言ではないかもしれない。
道は石畳、と言って我々がイメージするものとは程遠い石畳があり、その先に砂利道の大通りが広がっている。
家を出てからずっと砂利道を歩いている。
あえて選んでいると言うよりかは、心のままに歩いていくと自然と砂利道を選んでしまう。

歩いていると子供達が道端で遊ぶ風景、下校途中の子供達、スックと呼ばれる100m置きくらいに点在する駄菓子屋のような日用品屋さん、そこに溜まって何するでもなく時間を過ごす人々、男同士で小学生のように取っ組み合ってじゃれ合う人たち、羊達を連れた羊飼い、すれ違いざまにエチオピア流のとてもとても長いあいさつを交わしたり。
とても表情が豊かなのである。
…と思ってほほえましく見てるとたまに「チャイナ!」と言われたりもするが…

日本も少し昔はこうだったのではないか、と思う。
僕はそれらが失われつつある時代に生まれて、今は体験としてほとんどそれを知らない。
でもかつての日本はこうだったのではないか。
そう思いたいだけなのかもしれない。
親の世代はその過渡期を生きてきているはずだと思うので、両親がエチオピアに来た際には是非散歩に連れ出して意見を聞きたい。

彼らは全く信じないだろうが、今彼らが手にしているそういった豊かさを失うことは発展とともにいとも簡単なのではないだろうか?
かつての日本だって(僕が想像しているとおりであれば)そういった情緒や風情が発展とともに消え去ってしまうなんて思いもしなかったであろう。
もしかすると今現在でも我々日本人がまだ辛うじて持っていて、後からなくしたことを悔やむであろう情緒や風情があるのかもしれないが。
そしてそのエチオピアを見てエチオピアを憂うと同時にそれらを失ってしまった日本を憂う。
日本はもう取り戻せないのだろうか?
どうやったら取り戻せるのであろうか?
そして何を本当に失ってしまったのだろうか?
エチオピアを散歩しながらそんなことばかりを考えている。



比較的大きなとおりもメイン通りから外れるとこのように砂利道になっている


男同士が二人で歩いている後姿を見るとなんだか凄く楽しそうで、かわいくて、ほほえましいのである。
たいていがキャッキャ言いながら笑い話をしている。
この国は男同士で手を繋いで歩いたりもする。


家の前の道。
例に漏れず砂利道で良いのだが、大通りからタクシーで来ると10ブル(約100円)多く請求される。


少し歩くとこんなブリキで出来た小屋が沢山ある。
ちなみにこの中は機織(はたおり)小屋。伝統布を織っている、多分。
一回訪問しようと狙っている。


家の近くの二階にあるカフェからの大通りの眺め。
建物は平均的に依然としてまだ低い。


このように大型ビルが建設ラッシュになっている。
多くは複合ショッピングビルになる。
そしてタクシードライバーは
「アジスアベバはこれからこういうビルが建ち並んで素晴らしい都市になるんだ!」
と言っている。


そしてそのすぐ反対側にはこんなのが広がっていたりする。


そんなこんなを横目にしながらカフェでマキアートを飲みながら本を読み、家路に着く。