エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

ウルルン滞在記2

2008-08-25 08:02:05 | Weblog
8月16日(土)のことです。

朝おきたら膝の裏が痒い。蚊に刺された。
マラリア感染の可能性がある地域なのでちょっと恐い。
蚊帳と毛布の隙間から右足の膝の裏だけ出てしまっていた。
外が騒がしい。午前4時。
ホテルの部屋が面している道路の反対側にある長距離バスターミナルを皆待っているのだ。
四時半にゲートが開き、運転手の叫ぶ行き先の呼び声が飛び交っている。
「アジスアベバアジスアベバ」しか聞き取れない。
旅行でもし来たらバスになるので果たして自分は乗れるのだろうか?というくらいの喧騒なので今から心配になる。
そして来る予定になっている人が蚊に刺されやすい人なので奮発してランクルにしようかしら?とか先のことを思いながら、そして夜明けを見ようとカーテンの脇から外をチラチラ伺いながら、昨日の分と合わせてこの日記を書いている。
昨日の日記と合わせて書いていたからもう時間は既に6時半。
今から着替えを済まし、朝飯を下のテラスで済ませ、七時半よりサディ・ロヤへと向かう。楽しみだ。

テラスへ降りてみたがいすが全て片付けられている。
仕方なしに昨日昼飯を食べたレストランへ。こちらもまだ営業している気配が無いが、聞いてみたところもうやっているとのことなので、窓際の席に座ってメニューをもらう。
エッグサンドとカプチーノ。15%の消費税が加算されると合わせて19ブルになる。
何気なく座ったがあまりよい席ではない。時間が経つに連れて気になってきて、ウェイターに告げ、外のプールサイドの席に移る。
ウェイター達はだらだらとおしゃべりをしながらテーブルメイキングをしている。
こちらのウェイターウェイトレスは本当に自由だ。本人達にしてみれば気楽だろうが、サービスされる側としては決して心地の良いサービスではない。
エチオピアでよいサービスを期待することはとても難しい。
良いサービスを受ければ気持ちが良いはずなのだが、それを人にしてあげると言う感覚がどうやらないらしい。
プールは透明度がなくとても汚い。それでも信じられないことに一人のおデブちゃんがシャワーを浴び始め、まさかと思っている間もなくそのプールに飛び込んだ・・・
さすがエチオピア人・・・気温も15度あるかないかくらいなのに・・・と思っていたらエチオピア人達も驚いて見ていた。
でもその後にもう一人泳いでいる人が居た。どっちがエチオピアンスタンダードなのか良く分からない。
朝飯が来るのが余りにも遅いので部屋に一度戻り荷物を取り、そしてホテルのチェックアウトを済ませた。席に戻ってもまだ朝飯は来なかった。
そして朝飯が来る。フランスパンを焼いたものにオムレツがはさんであるだけのもの。味が全くついていないのでケチャップをもらう。
この国はテーブルごとにウェイターが必ず決まっていて、違うウェイターに注文した場合、最悪の場合無視される。
ここでは幸い通じたが、それがテーブル付のウェイターに伝わるまで時間差があったらしく、かなり経ってからケチャップは出てきた。
カプチーノも遅れて出てきた。この国は勝手に砂糖を入れて出てくる。そして砂糖を入れる器が貴重なのか、それとも1ウェイターにひとつしか入れ物が与えられていないのか、入れ物の絶対数が少ない。
そして勝手に入れられた砂糖は最低スプーン三杯以上ある・・・でもここはまだましだったけど。
良いサービスではないながらも静寂を楽しんでいたのもつかの間、リズムの激しいエチオピアンミュージックが流れる。
せめて音楽だけでも落ち着いたものを流せばもっと良く見えるのに、と思えるお店がエチオピアにはとても多い。台無しである。
でもこれに乗って踊ると結構これがまた楽しいことが最近の実験で分かった。

待ち合わせ場所に行く。一番乗り。専門家の方だけいらした。
しばらくして隊員も集まり聞いたところ、片付けられていたいすの脇にあった部屋で朝飯が食べられたらしく、そこではコーヒーと合わせても9ブルくらいだったらしい・・・
まあ一人で優雅?な朝飯を過ごせたから良しとしよう。

運転手達も遅れてから来、荷物を乗せていざ向かうはサディ・ロヤ。
エチオピア人の朝は早い。車で町を抜けるまで「チャイナ!」との声援を受け、町を抜ける。
町を抜けると森の中に入っていった。周りの景色を見回すと森に囲まれている。
よくよく見ていると山の形は今までの風景と変わっていない。丘陵地帯のなかを赤土を踏み固めた道が抜けている。
今までの風景と違うのはその丘陵が木に覆われていることだ。
エチオピアはかつては国土の40%が森に囲まれていたらしい。しかし近代の切り開きで森は10%にまで減少し、今もどんどん減っている。
こうした森を切り開いて今の風景が出来上がってしまっているのだろう。実際にアジスアベバからジマまでのほとんどの景色は人間によって耕されていた。
国民の75%が農業に従事することを考えれば人の住んでいない地域をエチオピアで探すことは難しいのかもしれない。

森は遠目には日本の森と良く似ている。しかし木一本一本のスケールが全然違う。一本一本が倍くらい大きいのだ。
この大きさは是非来て確かめてもらいたい、というくらいに写真では分かりにくい。
もう本当に嬉しくなっちゃうくらいに木が我々の感覚からするとスケールアウトしているのである。
道の両側には牛や馬が時々居る。人も歩いている。小さな町も二つくらいある。
エチオピアの田舎では良く見る形のバラックの続き家だ。
この辺りは他のエチオピアではあまり見られないくらいに本当に深い森が続く。
やはり日本人だからなのか、人間だからなのか、その緑に親しみが湧き、目的地までの道のりはとても気持ちよく進むことが出来た。
前を走る車の後部座席に乗っているエチオピア人がずっとこっちを見てくるのがとてもとても鬱陶しかったが。
ジマを出て一時間半くらいすると車はゆっくりとスピードを落とし、サディ・ロヤに到着した。

村に着くなり早速車を降り、泥道の中へ。アジスで買ってきた長靴が無かったらどうなっていたのだろうか?と言うような道が続く。
村の中ではJICAのプロジェクトが行われている。
森を守るプロジェクトである。
コーヒーの木は森の中に栽培されているために他の野菜を栽培するために森を伐採するとエチオピアの主輸出品であるコーヒーを最終的に脅かすことになる。
だからお金になる野菜作りを教え、森を切り開く必要を最小限にとどめ、彼らの生活を持続的なものとする、というプロジェクトである。
色んな農業を試験的に行っているところを見学し、茶屋で一休み。

茶屋では子供達に囲まれる。そして蜂にも囲まれる。
蜂は僕らの注文した砂糖入りのお茶に群がり、そして溺れ死んでいった。その馬鹿さ加減が異様にも写った。
茶屋で休んでいると乞食が一人、しつこく歌を歌いお金をせびり、なぜか腕にキスをされ・・・言葉にならないくらい気持ち悪かった・・・
その後子供を追い払ってくれた気違いに子供もろとも水を掛けられ、ジュースを飲もうとしたら蜂が顔に付いたり、散々。
茶屋を出るほうが休まることに気がつくまで割と時間がかかった。

その後はくじ引き。誰がどの家にいくかの抽選。
1~9番の番号があり、僕は7番。協力してくれることになった村の人々も番号を持っており、僕が当たったのは60歳程に見えるお婆さん。この人の家族とこれから二日間、三食一緒に食べ、生活する。
お婆さんと握手をして、後を着いて行く。
実はおばあさんの名前は・・・・・忘れてしまった。
エチオピア人の人の名前はとても覚えにくい。ガブリエルとかデイブとか慣れ親しんだ外国名のエチオピア人もいてそれならば覚えられるが、大抵が呼んだことも無いような種類の名前。しかも日本語にも英語にも無い発音だったりもする。
しばらく一緒に居ると今更名前を聞けないし・・・ということでほぼ全員の名前を忘れました・・・
お婆さんの家は泥々のメインロードから入った泥々の小道の脇にあり、土壁で出来た茅葺の様な屋根の家だ。エチオピアの南のほうに良く見られる典型的な伝統の住居形式なんだろう。
土壁は恐らく泥々の道と同じ赤土で出来ており、乾燥した壁はもうカチコチである。
家には子供が四人。これまた名前を忘れ、一人だけしか覚えていない。
双子の兄弟の弟ムルカン。(写真で僕が抱っこしてるのがムルカン)彼は6歳でなんとおばあさんの子供!そしておばあさんには更に一歳半になる娘まで居る・・・旦那さんは60過ぎって言ってたからお婆さんもそのくらい・・・!?・・・元気な国だ・・・負けていられない!
・・・、じゃないや。
ムルカンはほんとにもうほんとにほんとに可愛くって、その可愛さは言葉に表せなくってイライラするのでもう書かないことにする。だから写真を見てもらえればと思う。動いている彼はもう愛くるしすぎる。食べちゃいたいほどってこんな感じだと思う。
自分の子供じゃなくても彼だったら育てたくなる自信がある。
家の床は外と同じ、そのまま土で、寝床も土を一段盛り上げてある床の上に絨毯が敷いてあるだけ。
食べかすはそのまま床=土に捨てる。
清潔に対する意識が薄いのは土足の文化のせいがあると思う。そして外と中が土のままということがそれを更に助長しているのだろう。
日本とエチオピア、その文化は大きく違う。その違いがどうして生まれてしまったのかをこちらに来て常に考えるが、ここでは更にそれが如実に違う。ある意味分かりやすいのかもしれない。そしてアジスアベバで感じている文化の違いのルーツであったりもするのかもしれない・・・・・
家の奥にはキッチンとは呼べないが火を使うところがある。
家の中には照明は無く、自然光のみに頼る。次第に目が慣れてきて、暗がりに色々見えてきた。鶏が歩いている。これは音で気づいていたけれど。
子供達はみな土で汚れた格好をしていて、とても不衛生に写った。可愛くても抱っこなんてしたくは無いな、と思ってしまった。でも写真の通り、可愛さが勝った、ってのもあるけど一日一緒に居たら不潔に慣れてしまった。
子供達は恥ずかしがりながらも僕に興味津々で、ずっとこっちを見てくる。
案内されてすぐに別のところへ案内される。子供達三人も着いて来る。
いつの間にかどこかの家の子供も着いて来る。みんな笑顔でこれまた興味津々である。
別の家に案内された。甥っ子の家のようだ。そこには同期隊員でまだエチオピアに来て四日の啓が居た。
彼とは結局二日間ずっと行動を共にすることになった。
そこの家には30歳くらいの両親と、8~9歳くらいの子供二人。そして少し英語が話せるお父さんの弟が居た。
この日は一日中特に何するでもなくいろんな家を周り、食事を食べ、とうもろこしを炒っただけという素朴なお菓子(ボッコロ)を食べ、コーヒーを飲み、の繰り返しであった。
コーヒーは砂糖なし、砂糖沢山、塩入、色々とあったが塩入はちょっとおいしくなかった・・・
一日を通して心に残ったものは、恐ろしく暇だということだ。
テレビはなく辛うじてラジオがある。土曜日と言うこともあり仕事はなく、男達は家の中でごろごろするか、どこかの家に集まってコーヒーとボッコロを食べながらお喋りをする。
元始的な生活をしている人々に出会うことによって人間の本当の幸せの形を見られるのではないかと期待していた。しかし都会から来た者の正直な感想としては死ぬほど暇そうでつまらなそうに映った。
なぜこの人たちは日本のように発展せず、ほぼ元始的な生活を続けているのだろうか?なぜ発展しようと言う向上心が薄いのか?そもそも向上心が高い必要は実際にあるのか?そんなことが一日ずっと頭の中を渦巻いていた。
その流れのまま6時頃に夕飯を食べ、家の人と一緒に寝床のある近くの小学校まで歩いて行った。

小学校は平屋の小屋が並んでいるかたちで、その教室の中にテントを張って寝る。
最初は校庭にテントを張って寝るとのことだったが夜はハイエナ、そしてたまにチーターとか黒豹がいるとのことなので校舎の中に急遽変更になったとのこと。ありがたい、と思ったものの当然ですよね・・・
校舎の裏には校庭があり、探検をしに行った三人ほどの隊員が一目散に逃げて帰ってきた。日がもうとっぷりと暮れた校庭の真ん中に、光る二つの目が在ったので逃げて帰ってきたとのこと。
この日は空一面の星を期待していたのだがあいにくの曇り空。明日に期待である。
アジスアベバでも全ての星が見えると言われて来たものの、大気汚染のせいか兵庫の空よりは見えるものの、といったくらい。なので電気も無く、車もほとんど走っていないこの村に期待をしている。
落ちてくるくらいの一面の星空、アフリカという大地を想像したときに僕達は言葉にならないような景色や物事を体験することを期待していると思う。僕だけだろうか?
ヨーロッパに旅行する目的とは明らかに違う、地球のもっと生の姿に出遭うよろこびを切望する。
行きがけの道中で一度それに出遭った。これから何に出遭えるのかワクワクしてしまう。
途上国に来た、アフリカに来た、いろんな意味で生なものを見て、それを通して自分、日本、そして僕の場合は建築=生きるということを考えることになるだろう。それをしに来たのである。

テントは快適で、久々に恐い話をしながら何故か修学旅行のようなちょっと甘酸っぱい気持ちを思い出しつつこの日はエチオピアに来てから一番というくらいにぐっすりと寝た。理由はよく分からないけど。
明日は朝早くから夜まで、今日よりももっと長くこの村の家族と一日を共にする。

またまた長文読んでいただいた方ありがとうございます。
だんだんあと二日間分を書くのが億劫になってきました。でも頑張ります。

Photo: Me and Kei and our host family in Sadhi Loya village Ethiopia.

ウルルン滞在記1(GR)

2008-08-19 21:49:24 | Weblog
8月15日(金)のことです。

今日はアジスから南へ行ったジマという町へ向かう。
アムハラ語の総仕上げとして農家へステイするためだ。今晩はジマに泊まり、農家はそこから更に車で一時間ほど行ったサディ・ロヤという村にある。
ジマまではアジスから車で六時間、長距離バスだと八時間という道のりだ。
早朝5時にドミトリー同室の隊員の目覚まし時計が鳴る。出発は八時だというのに。
準備がまだ気になるのだろうか?
七時半になると隊員9名はいつの間にか集まり、迎えの車もいつの間にか到着。
今回は色々あってランドクルーザー二台をチャーターとなった。本来であれば長距離バスであったので感謝感謝。
一台はJICAカー、もう一台はレンタカー。僕の乗った車の運転手のアマルは英語がほとんど話せない。

始めのうちは隊員五名と運転手、アムハラ語の会話に花が咲く。日本語にしてしまえば「今日は暑いね!、ジマはもっと?」とか、「私はティグバレッドで建築の先生をします。でも今は雨季なので休みなのです。」とか他愛もないのだけれども、カタコトだとなぜかこれが楽しい。
半年前にまだ日本で仕事をしていた頃に、会社にスペイン人が居たときに、皆は彼ととても楽しそうにケラケラ笑ながら喋っていた。彼と英語で会話が出来る僕よりも遥かに楽しそうに。
そういうことだったのか、と今になってわかる。
話を始めて30分もするとアジス市街からはすっかりと抜け、見渡す限りの丘陵と平原が広がる。その中に本当に小さな土壁作りの集落が点在し、人々が農業に従事している。
平原、川、歩行者、牛飼い、ロバ使い、集落、しばらくはその繰り返しが続く。ここはアフリカだったんですね。

僕らは自足100km/hで進んでいるのにたまに「チャイナ~!」との応援が飛ぶ。無論この速さで
「チャイナじゃないよ、ジャパンだよ!」
なんて言い返せるわけも無い。

そうこうしているうちに景色は再び変わり、道は山道に。
とはいっても日本の山道とは訳が違い、ゆったりとした丘陵の中を道が分け入っていく。時計を見ると標高はアジスとほどんど変わらぬ2200m。
11年前に御茶ノ水のアウトドアショップで買ったプロトレック、今もまだよく働いてくれている。

そのうちに道は長い下り坂に差し掛かった。
そしてこの二ヶ月くらいではもちろん最も、そして人生では1番目か2番目かの景色に遭遇した。
そこには見渡す限りの谷が広がっていた。
谷の幅は10km以上あるのだろうか?谷の底にはかすかに道が見え、その脇には小さな町が広がっている。そして谷の向こうまで続く道はまた登っていき、反対側の山の向こうへと消えていく。
「今からあそこへ行くぞ」と運転手の言うとおり、見渡す限りには僕らの進む道が延々と続き、山の向こうへと消える道へと続いている。
同期隊員4人と狂喜し、今アフリカに居ること、そしてエチオピアにいるという喜びをかみしめていた、思いがけず。
心からは言葉にならない言葉が沢山出ようとしていて、そしてそれは全て感嘆としてのみ僕達の口から出るしかなかった。
雨季のエチオピア、谷の底は一面の緑で二ヵ月後には一面に花が咲くという。
本当に凄い、本当に凄い。小説家でもない僕の口から出せる言葉といったらそれくらいしか思いつかなかった。

小さい頃に家族で車でアメリカ横断をした。色々見たし、グランドキャニオンだって見た。しかしこの感動には叶わない。
景色の持つ力の分量の違いではなく僕自身が今は大人であるという事実によるところが大きいのではないか、と今になって実感として思う。頭ではそんな気はしていたのだけれども。

谷底は標高1200m。2400mのアジスから来ると1200mはとても低く感じる。そしてここはとても暑い。谷山からは一気に1000mも下ってきたのだ。
谷底の町の人々は珍しいアジア人を見て手を振る人、唯一知っている英語で「ユーユーユーユー!」と言う子供。総じて皆素直な目をしているが、半数はその後に口に手を当てその後手を出し「1ブル、1ブル(こちらの通貨単位)」と言う。
10歳にもならない女の子までが薪を背負い、道路を、そして坂を登っている。
僕らはと言えば、快適な車の中ではしゃいだり、ゆっくりと寝ていたり・・・

谷を渡り再び2000m程まで登りきり、途中でマントヒヒのようなものを目撃しつつ、気がつくと寝ていて、気がつくとそれまで途上国とは思えないほどに綺麗だった道は荒れ、市街地に入っていた。
ジマに到着した。

ホテルで遅めの昼食を取り、翌日村でお世話になるJICA専門家の方とお会いし、スケジュールを確認。
村ではテント泊なので夜はハイエナやチーターに気をつけろ、とのこと。
やっぱりここはアフリカなんだ、と再確認。

チェックインの後、町をしばしぶらつく。
イスラム教信者の多いこの町には教会は見当たらず、てっぺんに月と星のマークをあしらったモスクが二つほどあった。
町はかなり小さく、短い方では端から端まで10分もあれば歩けてしまう。
人々はアジスとは比べ物にならないくらいにジロジロ見て、そして声をかけてくるが嫌味は無い。素朴で良い印象だ。
丁度オリンピック女子1万mでエチオピアのツルネシが金メダル。この日記をメモするノートを買おうと入ったスック(商店)で中継を目にし、お店の人と硬く握手を交わしてこの瞬間を喜ぶ。こちらの時間で夕方五時、果たして本当に生中継であったのだろうか・・・?

ノートを買って外に出ると「僕にもノートを買ってくれ」と、少年にせがまれる。しかし仕方が無いがキリがないので無視するしかない。
一通り見物してホテルへ帰る道すがら、3~4歳の少年と出遭った。
名前はマンデラと言い、一緒に歩いていた隊員と片手ずつ持って挟み、ぶら下げて遊んであげた。
「マンデラ良いなぁ!」「マンデラ元気かぁ~!?」
と道行く人に声を掛けられる。
ホテルに近づくとマンデラは口に手を当てそして手を差し出し、
「1ブル、だめならサンチーム(こちらのセントみたいなもの)を頂戴」
という。
横に歩いてきた10歳くらいの少年がマンデラに「やめなさい」と言い、マンデラの兄だと言う。
ホテルの入り口まで来たマンデラと少年は警備員に止められ、僕らは部屋に帰った。
そして水しか出ないシャワーを浴び、同期に呼びかけられてテラスで食事。
生ビールを二杯飲み、最後に皆で早口言葉ゲームをし、最後まで言えなかった人が「バスガス爆発」と言いながらコマネチを三回することに。
早々言えてしまったはずの僕は、なぜか負けた人と一緒にコマネチをし、部屋に帰り、寝た。

長々とどうもすみません。

写真は一眼レフでかなり撮ったもののウイルスか何かのせいで全部消えてしまいました。これはGRに残っていた数枚のうちの一枚です。

Photo: View from th window of the car, on the way to Jimma from Addis Abeba.

新居!(DP1)

2008-08-04 23:26:45 | Weblog
家が決まりました!
正確には契約していた家にようやく入りました!ですが。
どう、どう、よいでしょ?
前に僕と入れ替わりで帰った方が住んでた家で、大家さんも良い人でとても快適です。
風呂とトイレもかなり綺麗でうわさによると湯船も張れるみたいです!
今日元気があったら試してみます。

8人での共同生活に一人だけ終止符を打って来る、ちょと寂しかったのでちょっとずつ引越ししようかしら、なんて女々しいことを考えてましたが一晩寝てみて意外と快適だったのですっきりさっぱり引越しすることにしました。
12日にケガで派遣が遅れてる隊員が来るのでもし来たら少しの間また共同生活を一緒にしようかと思ってます。

場所はマガナンニャという地域で便利ながらもショラという地元の市場があったり山が近かったりと、なんだか自分の中のバランスにしっくり来ました。
職場までもミニバスという乗り合いタクシーで一本です。

家は写真のリビングルームの他に、バスルーム(トイレ含)、書斎兼ベッドルーム、そしてダイニングキッチンがあります。
ダイニングキッチン意外は土禁にしちゃいました。やっぱり家の中で靴ってのは嫌ですよね。それに一日に一回は確実にウ○コを踏んでるはずなので・・・
ヤギとか羊とかロバとかの糞が余りにも多すぎて多分土と同化してるんですよね。
ですから・・・

家はもちろん快適で、BBCとかも見られます。
大家さんはドイツ語の先生したりドイツ大使館で働いてたり、娘さんはドイツに留学に行って帰ってきてたり、家族みんな英語がペラペラです。
英語が退化する懸念があったのですがその家族と喋っていれば大丈夫そうです。

スペースは余っているので遊びに来たら泊まれますよ~。
来る前に「行くから!」って行ってた人が実際に何人くらい来るのかなぁ~、ってみんなでカウントしてます^^

Photo: The living room of my new house!

新居!(DP1)

2008-08-04 23:19:17 | Weblog
家が決まりました!
正確には契約していた家にようやく入りました!ですが。
どう、どう、よいでしょ?
前に僕と入れ替わりで帰った方が住んでた家で、大家さんも良い人でとても快適です。
風呂とトイレもかなり綺麗でうわさによると湯船も張れるみたいです!
今日元気があったら試してみます。

8人での共同生活に一人だけ終止符を打って来る、ちょと寂しかったのでちょっとずつ引越ししようかしら、なんて女々しいことを考えてましたが一晩寝てみて意外と快適だったのですっきりさっぱり引越しすることにしました。
12日にケガで派遣が遅れてる隊員が来るのでもし来たら少しの間また共同生活を一緒にしようかと思ってます。

場所はマガナンニャという地域で便利ながらもショラという地元の市場があったり山が近かったりと、なんだか自分の中のバランスにしっくり来ました。
職場までもミニバスという乗り合いタクシーで一本です。

家は写真のリビングルームの他に、バスルーム(トイレ含)、書斎兼ベッドルーム、そしてダイニングキッチンがあります。
ダイニングキッチン意外は土禁にしちゃいました。やっぱり家の中で靴ってのは嫌ですよね。それに一日に一回は確実にウ○コを踏んでるはずなので・・・
ヤギとか羊とかロバとかの糞が余りにも多すぎて多分土と同化してるんですよね。
ですから・・・

家はもちろん快適で、BBCとかも見られます。
大家さんはドイツ語の先生したりドイツ大使館で働いてたり、娘さんはドイツに留学に行って帰ってきてたり、家族みんな英語がペラペラです。
英語が退化する懸念があったのですがその家族と喋っていれば大丈夫そうです。

スペースは余っているので遊びに来たら泊まれますよ~。
来る前に「行くから!」って行ってた人が実際に何人くらい来るのかなぁ~、ってみんなでカウントしてます^^

Photo: The living room of my new house!