エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

一年(GR)

2009-06-23 22:58:45 | Weblog
左上からデミス、アクレム、トーマス、アベル、デレッセ、ゲタベカル、ダグム、テクレアブ、メヘレット、アシェナフィ、サミュエル、
下段左からベムネット、ナホム、僕。
これでクラスの半分である。
顔が引きつりそうになっているのは撮ってくれた人がなかなかシャッターを押してくれないから。
それは良いとして、出発してからほぼ一年が経った。
来る前はエチオピアに携帯があることも知らなかったし、ビルがあることもほとんど知らなかったし、誰一人として知り合いが居なかった。
今や32人の生徒を一年間教えて、生徒一人一人の性格を事細かに説明できる。
彼らにしてみれば一年前のある日突然
「キョウカラワタシガアナタノクラスヲモチマ~ス。ドウゾヨロシク」
ってな感じだっただろう。
今やアムハラ語でなんとか授業が出来るまでになったが、最初は英語だけの授業。生徒たちは英語が出来ない。
よく生徒たちはそれに対して不満も漏らさずに(僕に言ってないだけかもしれないが)着いて来てくれたと思う。これは奇蹟かも知れない。
ちょっと腐りそうになったときもあったが、来年は今年一年頑張れなかった、到達できなかった領域で頑張りたいと思う。
もう一年経ってしまった、でもあと一年もまだある。
二年目の構想は色々とある。きっと彼らの役にも立つはずだ。あとはやるだけだ。
一年後、何が心に残っているだろうか、楽しみになってきた!

From left, Demis, Akrem, Thomas, Abel, Deresse, Getabekalu, Dagem, Tekleab, Meheret, Ashenafi, Samuel.
From bottom left, Bemnet, Nahom and me.
They are half of the class.
My face looks drawn with tension but it was jusut because of the shooter kept waiting for us for long long time...
Anyway, it is just a year since I left Japan.
Before my coming, I didn't know there are cellphones, there are high rise buildings, there was nobody whom I know.
But now I taught 32 students for a year and I can explain down to detail.
For them, one day a year ago,
"HI, I AM GOING TO TEACH YOU GUYS. PLEASE GIVE ME A BEST REGARDS!"
Could be something like this.
Now I can teach them in Amharic but in the very begining I could speak no Amharic and taught only by English. Students can't speak English that well.
But I thank to my students that follw me without any complain (Or they might said individually...).
This might be some thing.
Although I was almost give up for some cases but next year, I would like to reach the higher goal.
One year has already past, but I have another one year.
I have a lot of plans that I would like to do and might help my students.
What I have to do is just execute them.
What will remains in my mind a year later? I am bubbling with expectation!

Photo: Half of my students and me.

夢(E410)

2009-06-11 13:29:23 | Weblog
夢を見た。帰国して、日本に居る夢。
地元の大きな交差点を歩いていて、「日本の車安全運転~!車おせぇ~!」とかなんとか。
でも「日本いいなぁ~!」と夢の中で実感し、叫んでいたのを覚えている。
夢の中で本当にもうなんとも言えず無条件に安心できるあの日本の懐かしい感じを堪能した。
こちらへ来てもう1年。残りはもう1年。たまに日本に帰りたいという気持ちが出てこないかというと嘘になる。しかしそれは大して強いものではなく、前述の安心感を久々に味わってみたいなぁ~、という程度のものである。
夢から覚めて、起きてから考えた。羽田に着いて、何か食べるのだろうか?最初のご飯は何を食べるのだろうか?ラーメン?寿司?カツ丼?牛丼?
でもその食後においしいエチオピアコーヒーのマキアートは無いし、愛想は悪いが時にかわいらしいエチオピア人のウェイターウェイトレスは居ないし、マクドナルドに入れば「いらっしゃいませ~!600円になります~!1000円からお預かりしま~す!」などと言われてしまうのだろう。
そして帰ってちょっと経てば帰りの喜び、そして当たり前のように会えていた隊員、すべてが遠くなる。
街行く人達はどんな顔をして歩いてるんだろうか?エチオピア人の様なあのたまには鬱陶しいくらいの笑顔で歩いているのだろうか?
こっちでしているみたいに店員さんに話しかけたらどんな反応が返ってくるんだろうか?
子供は生き生きしてるだろうか?
理由を挙げればきりが無いが、想像すればするほど帰ってから自分がエチオピアを愛しく思い出せる理由に尽きなかった。
リアルな夢を見てそれを考えて、ではなく一瞬で実感してなんだか寂しくなってしまった。
でももっと目が覚めて考えてみたら、この国での活動はまだ半分にちょっと達していないくらいであと1年もある!(笑)
これを忘れずに(と言っても今日の夜には実感は薄れてるはず・・・)、そして大事に日本にもって帰りたいと思う。


I saw a dream. About I went back to Japan after the program.
I was walking on the big junction in my hometown then I said “What a slow cars they are! What a safety driving they are!” I clearly remember the scene.
I enjoyed every bit of that original absolute relieved feeling of Japan.
It is almost 1 year since I got here. I have another 1 year. I cannot say that I never thought about the desire to go to Japan sometimes. But it is not that strong desire but is like “I want to feel that relieving even if just a tip!”
After I woke up then I thought, “What are we going to eat for the first time of our coming back to Japan? Ra-men? Sushi? Pork cutlet with rice? Beef bowl?
But there is no Ethiopian macchiato after the meal, there are no inhospitable Ethiopian waiters & Waitresses that are sometimes very cute.
If I go to McDonalds, the staff on the register might say, “Welcome! 600yen! From 1000yen, here is your change!”
Then after a very short while of my arriving Japan, the other volunteers who share so many things and could meet very easily will go to far all over Japan.
How is the face of the people walking on the street looks like? Are they smiling like Ethiopian? What will happen if I try to talk to the staff of the shops like I do in Ethiopia?
It is endless that I give examples, the more I think about Japan, the more I got reasons to love Ethiopian life.
I felt everything without thinking because of the realistic dream, then I missed it.
But after I woke up more, I have just spent almost 1 year in this country and there is another 1 year or more for my Ethiopian life!
I would like to bring those things I missed about to Japan.

Photo: Children in Piassa Ethiopia.

スック(E410)

2009-06-01 04:32:01 | Weblog
駄菓子屋のような、タバコ屋のような。
エチオピアにある「スック」っていうのを説明するとするとそんな感じ。
エチオピアのどこの街角にもあるほんとにちいさなお店。
洗剤、シャンプー、料理用の豆、ボールペン、お菓子、飲み物、トイレットペーパーなどなど。
日本の今で考えるとその便利さはコンビニに位置づけられるのかも。

大体は女性が店番をしていて、行きつけのスックだったら店員さんとはすぐに友達に。
店員さんと話し込んでいると近所の人が来てその人とも知り合いに。
まあ私外人ですから目立ちますからね、皆話したがってくれて、すぐに仲良くなれます。

家のまん前にも以前このスックがあったのだけど、一時期閉店していた。
数ヶ月の沈黙の後、最近ようやく再開。近所でスックを営んでいた妹が、道路拡張工事で立ち退きを迫られ移動してきたとの事。
店員は新しく来たガナットと、そのおねえさんのヌグスト。
家を出ると必ず「元気!?」と大声で声を掛けてくれて、僕も何も買わないけど握手をしてちょっとだけ話をする。
たまに子供たちも居て、声を掛けてくれる。子供は英語を話せるのでちょっと英語を教えたり。
時間があるときは家にちょこっと招いてもらってコーヒーを振舞ってもらったり。
これは外国人だからの特権、ってのもあるかもしれないけど、とにかく凄いフレンドリー。

このあいだコーラを買いに行った。
この国ではコーラを常温で飲む習慣があって、買いに行くとカザカザ(冷たいの)か、カウチ(ぬるいの)かを聞かれる。
この日は聞かれなかったのでカザカザをお願いした。
5分くらい世間話をしてから出てきたのはカウチ。
「これカウチだよ!?カザカザがいいの。」
って言うと、
「風邪に冷たいのは良くないからだめ!」
と。僕が数日前から風邪を引いていたのを知っていたのだ。
強く言えばカザカザが出てきたかもしれないが、そんな心遣いがなんだか嬉しくてありがとう、って言って受け取って帰ってきた。
そういうのって何で嬉しいんだろうね?

僕の予想だと、このスック、国の発展とともに消えていくのではないかと危惧している。
スーパーが出来て、皆そこで買うようになって、スックが立ち行かなくなる。
今の界隈の賑わいはスックによるところがとても大きい。是非なくならないで欲しい。

Photo: Suq, the small shop just in front of my house.