エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

代田橋(GR)

2010-10-11 19:38:16 | Weblog
カメラの1GBのSDメモリーに入っている写真の一番最初はどこまでも続くトタン屋根で、最後の一枚はさっき撮ったこの写真。

エチオピアからの帰国後、まだ若い僕にはまだ早すぎるくらいにのんびりした静岡の実家で毎日海鮮を食べながらほんとに就職できるのか?と思っていたらなんとか仕事を見つけることが出来、今月から目黒で働いています。
北海道の仕事をしているので、来年四月から約二年間は北海道を行ったり来たりを繰り返すことでしょう。北海道の方、要チェックです。

エチオピアのことなんてもうとっくに頭から無くなり、と言いそうになるけれども実際は風景は頭に残っている。
デスクトップを30分に一回変わりながら占領するエチオピアの写真たちに写る砂利道、縁石、子供たちの服、チリチリ髪の毛、どの写真のどの部分も、触ったことのあるものから無いものまで、質感を手に取るように想像できるくらいに思い出せる。
住んでいた家の前の道の写真なんかを見ると、今家を出て少し行ったらまたあの道を渡って野菜や肉を買いに行けるんじゃないか、と想像できるくらいに。
なんだかこうして書いてみるとかっこつけて言っている様にいやらしく読めたりするが、でも事実である。
そしてそんな間近に感じる風景や質感は実際にはとてつもなく遠くにあるもので、でもしかし今夜23:35に関空から出る飛行機に乗ったら明日の夜七時にはアジスアベバの空港に着けたりするのである。
なんだかアベコベで良く分からないけれども。
そして本当にあの世界は存在したのだろうか?という疑問が同時に付きまとう。
そのくらいに今周りを流れている世界は全く違う。

日本に帰ってきてから東京を通るたびに毎回思うこと、それはみんなは誰のために生きてるんだろう?ということ。
お互いにストレスを溜めあって、誰の幸せのためにみんな生きているんだろう、と、目的不在の人生を皆が気がつかずに送ってしまっているんじゃないか、と思ってしまう。
そのくらいエチオピアでの生活はしくみが簡単であった気がする。
日本は利用者としてすべてのしくみを利用するとそれはそれは快適であるが、自分が供給側に回るとそのしくみはとても複雑で、自分を疲れさせる。
そして人々の人生の多くの時間は供給側としてのものであるのではないか。

正直なところその感覚はこの三ヶ月間全く抜けずに残っていて、自分がその真っ只中に急に入り、どこまでやっていけるのか、いややっては行けるのだがやるべきと思い続けて続けられるか、というところには大きな疑問が残っている。
まあまだ一週間、仕事を始めて全てが一気に加速を始め、一番エキサイティングでありながら一番先が見えないタイミングである。
とにかくしっかりとこの先を見極めながら生きて行きたいと思う。

ということで報告していた人、していなかった人も含めて改めて就職&引越し報告でした。
来月には違う報告も出来る予定です。

Photo: Ginza with Tokyo sky tree, the new tallest landmark of Tokyo.