筆不精、トルシヤです。のんびり気質のアフリカに慣れてきたのでしょうか?
最近チャックがよく全開です。アフリカ気質に慣れてきたのでしょうか?
これは良いことなのでしょうか?
先日調整員の方が学校に様子を見にいらした。
調整員は僕らボランティアの活動を赴任から帰国まで面倒を見てくださるJICAの職員。
僕の隊次が全員ようやく配属先への赴任が完了したので、先週と今週とにわたって様子を見て回っているらしい。
授業を任されても授業崩壊気味の隊員、順調に授業を進める隊員、授業を持たずに課外授業みたいなものを担当することになってしまった隊員、することが今のところなかなか無い隊員と、色々である。
僕はその中でも恵まれたほうではないかと思う。
僕の配属先は僕で4代目の隊員。なので日本人が、JICAが介入してくることに慣れていて、
「どの授業やりたい? いつから授業する?」
と聞かれ、その希望通りのまますんなりと授業が始まり、今日で一ヶ月くらい経つ頃ではないかと思う。
生徒達の名前は全て覚えた。
生徒達はとても素直。一人一人に教えていると写真のようにみんな集まってくる。
そして少しでも何かを得て正しい答えを導き出そうとしている。
しかし理解力が恐ろしく低い。そして英語が話せない。
僕は製図学科で教えている。
幼少期の図画工作等の授業がなく、お絵かきの様な授業も無いらしく、立体に関する思考回路がかなり弱いのではないかと思う。
今は作図をして透視図(パース画)を作成することを練習しているのだが、とにかく線と線が交わっていたらよし来た!とばかりに結んでなんとなくそれっぽく仕上げてしまう。
各線の意味や、どの交点を追うべきか等を細かく説明したいのだが、英語で説明しても伝わらない。
お陰で現地語のアムハラ語は少し上達してきた。
幸い図を介して会話が出来る教科なので、ノートを片手にいつもクラスをぐるぐる回っている。
授業は一日4~5時間。途中休み時間を取ったら帰ってこなかったことがあったので、休み時間はなしに。
遅刻が酷かったので今日から遅刻者は点数を半分にすると言ったら割りと時間通り来たり。割と素直。
僕の懸念としては、アムハラ語ができないことによってエチオピア人教師が教えるよりも学力が下がってしまうことであった。
しかし生徒達に聞くと割と評判はよく、日本のことも色々と聞いてくる。
毎回の作図した答案に名前を書くわけだが、日に日にカタ仮名で名前を書いて提出してくる生徒が多くなってきた。
「キョウカラワタシガアナタタチノセンセンデス」
って来たらいやだろな、って話を人にしたら、いきなり外国人が来て教えてくれたら楽しみだと思うけどな、と言ってもらえ、確かにそうだと、元気が出た。
笑いながら会話が出来るように、とにかく楽しんでもらえればと思う。
エチオピア人の先生は教室に張り付いていることはせず、課題を出したら自分は事務所に引っ込んで皆が終わるのを待っていたりする。
僕は言葉の壁があるので出来る限り顔をつき合わせて手探りでコミュニケーションを取るようにしている。
それでも理解力は低い。元々二日間の授業で終わるはずだった内容に5日間かけ、そして依然として理解してもらえていないことが分かったり。住んで4ヶ月経ってきて知らない間に溜まっていたストレスも相まって、昨日までちょっとやり場の無いストレスを感じていた。
ストレスのうまい解消法も無いし、状況は変わらない。
なので諦めることにして、逆にどこまでどうやったら理解してもらえるかという挑戦と言ったら大げさだが、そういう方向に考え方を変えることにした。
一番の問題は立体を二次元に描くということで、三次元から二次元への変換ができていないこと。
なので三次元は三次元で分からせようと模型を作成し、三次元と二次元の変換をダイアグラムにし、生徒にプリントを配ることにした。
昨日は遅くまで準備していたので今日の睡眠時間は5時間弱。昨日の睡眠時間よりも短いのだが、寝覚めは昨日とは打って変わってなぜか爽快だった。
そして授業に行くと、生徒は二人くらいしか遅刻せずに皆揃っていて、いつになくすんなりと授業は進み始めた。夜なべしたプリントを配り、このプリントで分からないところは無いか、と聞くと先週は大きく首を振っていた生徒達は
「ガッバ、ガッバ(分かった分かった)」
と繰り返してくれた。
その後新しい単元について模型を使って説明をしたところ、これも理解してもらえたようで、安心した。
内容的には先週よりも難しいはずなのだが、返ってきた答案を見ると完璧な正答者は少なかったものの、皆正答と遠からずといった答えを提出しており、まあ満足のいくものであった。
ストレスは解消するもの、と思っていたがこんな方法もあるものか、とちょっと元気の出た一日であった・・・・と言っても今日はまだまだありますが。
Photo: Me and students in my class.
最近チャックがよく全開です。アフリカ気質に慣れてきたのでしょうか?
これは良いことなのでしょうか?
先日調整員の方が学校に様子を見にいらした。
調整員は僕らボランティアの活動を赴任から帰国まで面倒を見てくださるJICAの職員。
僕の隊次が全員ようやく配属先への赴任が完了したので、先週と今週とにわたって様子を見て回っているらしい。
授業を任されても授業崩壊気味の隊員、順調に授業を進める隊員、授業を持たずに課外授業みたいなものを担当することになってしまった隊員、することが今のところなかなか無い隊員と、色々である。
僕はその中でも恵まれたほうではないかと思う。
僕の配属先は僕で4代目の隊員。なので日本人が、JICAが介入してくることに慣れていて、
「どの授業やりたい? いつから授業する?」
と聞かれ、その希望通りのまますんなりと授業が始まり、今日で一ヶ月くらい経つ頃ではないかと思う。
生徒達の名前は全て覚えた。
生徒達はとても素直。一人一人に教えていると写真のようにみんな集まってくる。
そして少しでも何かを得て正しい答えを導き出そうとしている。
しかし理解力が恐ろしく低い。そして英語が話せない。
僕は製図学科で教えている。
幼少期の図画工作等の授業がなく、お絵かきの様な授業も無いらしく、立体に関する思考回路がかなり弱いのではないかと思う。
今は作図をして透視図(パース画)を作成することを練習しているのだが、とにかく線と線が交わっていたらよし来た!とばかりに結んでなんとなくそれっぽく仕上げてしまう。
各線の意味や、どの交点を追うべきか等を細かく説明したいのだが、英語で説明しても伝わらない。
お陰で現地語のアムハラ語は少し上達してきた。
幸い図を介して会話が出来る教科なので、ノートを片手にいつもクラスをぐるぐる回っている。
授業は一日4~5時間。途中休み時間を取ったら帰ってこなかったことがあったので、休み時間はなしに。
遅刻が酷かったので今日から遅刻者は点数を半分にすると言ったら割りと時間通り来たり。割と素直。
僕の懸念としては、アムハラ語ができないことによってエチオピア人教師が教えるよりも学力が下がってしまうことであった。
しかし生徒達に聞くと割と評判はよく、日本のことも色々と聞いてくる。
毎回の作図した答案に名前を書くわけだが、日に日にカタ仮名で名前を書いて提出してくる生徒が多くなってきた。
「キョウカラワタシガアナタタチノセンセンデス」
って来たらいやだろな、って話を人にしたら、いきなり外国人が来て教えてくれたら楽しみだと思うけどな、と言ってもらえ、確かにそうだと、元気が出た。
笑いながら会話が出来るように、とにかく楽しんでもらえればと思う。
エチオピア人の先生は教室に張り付いていることはせず、課題を出したら自分は事務所に引っ込んで皆が終わるのを待っていたりする。
僕は言葉の壁があるので出来る限り顔をつき合わせて手探りでコミュニケーションを取るようにしている。
それでも理解力は低い。元々二日間の授業で終わるはずだった内容に5日間かけ、そして依然として理解してもらえていないことが分かったり。住んで4ヶ月経ってきて知らない間に溜まっていたストレスも相まって、昨日までちょっとやり場の無いストレスを感じていた。
ストレスのうまい解消法も無いし、状況は変わらない。
なので諦めることにして、逆にどこまでどうやったら理解してもらえるかという挑戦と言ったら大げさだが、そういう方向に考え方を変えることにした。
一番の問題は立体を二次元に描くということで、三次元から二次元への変換ができていないこと。
なので三次元は三次元で分からせようと模型を作成し、三次元と二次元の変換をダイアグラムにし、生徒にプリントを配ることにした。
昨日は遅くまで準備していたので今日の睡眠時間は5時間弱。昨日の睡眠時間よりも短いのだが、寝覚めは昨日とは打って変わってなぜか爽快だった。
そして授業に行くと、生徒は二人くらいしか遅刻せずに皆揃っていて、いつになくすんなりと授業は進み始めた。夜なべしたプリントを配り、このプリントで分からないところは無いか、と聞くと先週は大きく首を振っていた生徒達は
「ガッバ、ガッバ(分かった分かった)」
と繰り返してくれた。
その後新しい単元について模型を使って説明をしたところ、これも理解してもらえたようで、安心した。
内容的には先週よりも難しいはずなのだが、返ってきた答案を見ると完璧な正答者は少なかったものの、皆正答と遠からずといった答えを提出しており、まあ満足のいくものであった。
ストレスは解消するもの、と思っていたがこんな方法もあるものか、とちょっと元気の出た一日であった・・・・と言っても今日はまだまだありますが。
Photo: Me and students in my class.