ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

振り子的な動きは危険の表れ

2019-12-16 | 口だけの知性・欺瞞

      

 

私は、ブリヂストンで振り子的な動きをする人達が怖かったです

(参照: 偽物は饒舌   上に訴えられると今度は逆アピールをし出す    加害者に共通するこれみよがしという特徴    記憶の改ざん    モラハラ加害者の「見せる」行為   やったという事実を残すための実績作り etc...)

 

ブリヂストンのハラスメント常習犯の熊谷秀和さんや竹下嘉一さんが、自分の日頃の行いを、材料試験室外の人に知られるものとなった途端に

180°豹変して、これみよがしの芝居を打ち(いつもなぜか大声で)その訴えが「気のせい」であることをアピールするということをよくしていました。

その突然の態度はやさしく紳士的で(鳥肌ものだけど)「よく」変わったものの、その目的は、訴えを否定するというものであり、

一貫して自分の為にしていました。そして、折を見て180°元に戻りました。

 

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彼らに限らず、集団でも組織でも、振り子的に端から端に振り切れるような動きをするならば、それは偽物、危険であることの証しです。

 

    本物なら、そういう振り子のような動きをしません。

もし変わるとしても、そういうこれみよがしに劇的な動きにはならずに自然にじんわりと変わります。

 

振り子の様に端から端に動くことは、既におかしさを表しています。

そして180°変わって180°戻るという原則通りに動きます。だから私はそういう現象に晒された時、恐れだけ感じます。

多分脅迫を感じるからです。「だから、お前のとる行動はわかってるよな?」っていう。「これみよがし」といつも書いてきました。

 

   

 
また、はじめから欠陥や誤りがある原理構造の中でも、このような振り子運動は起きます。

もしその原理構造が自然で理に適っているものならば、その中で色々な困難や問題があったとしても、

振り子運動という形はとりません。

 

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原理構造が間違っていれば、そこでの活動に様々な欠陥が次々に出てくるのは自明の理です。

 

例えば、みんなの為 民主主義  反権威を目的に立ち上げられた組織において

ある人間1人がその為に財産も時間も労力も能力もあらゆる資源も使っているなら、

そこで民主的で対等な関係になるのは最初から原理的に無理です。

その人間の捧げているものと引き換えに、その人間の存在が絶対になり、君臨する教祖的になり、他の人達の頭が上がらない状態

になります。そしてそのリーダーの資質いかんでは、その状況に快楽を得て、楽しみます。

そういう人は、リーダーの資質はないと私は思っています。

 

1人はみんなの為に みんなは1人の為に すべては1人の問題ではなくみんなの問題だ  

してやってるんじゃないんだ  自分たちの問題としてやってるんだ  という思想のもとに活動しているはずなのに、

そのリーダー以外の構成員たちに時間的、物理的、エネルギー的、精神的な余裕がなくてかつ

その思想を本当に自分のものとしているのではなくてポーズだけで言っているならば

「してやってるんだ」「押し付けるな」「人に頼るな」「恩知らず」「弁えろ」 そういう言葉が平然と起こってきます。

そしてリンチ的な場面が繰り広げられます。吊し上げ 糾弾 怒詰め 粛清 などといった形で。現象の科学です。

 

もし、One for all ,  All for oneと 思っているならば、このような言葉は絶対に出てこない筈です。

 

そして、本来、リーダーであるならばその時に「それは違う」と言うはずのところ、

その資質がなくて、ただ教祖の快楽を楽しみたくて楯突く奴は許さんという感情的で器の小さい人間ならば

「言ってくれた」などと平気で言って、その発言(思想自体を覆すもの)に組します。私の家族は、こういうのを「女々しい」と言っていました。

(不適切発言ですみません。家族には、そう言うだけの経歴があると私は思っています) 

リーダーならば、組織全体のことを見据えて言動をとらないといけないのに、自分の感情に走っていると。

それでいて、感情的なのはダメで理性的でないといけないなどと、言う。 Who is rational  

 

感情を粉飾改ざんして別の形で処理してくるという陰湿な行動は、感情をそのまま表すことよりも幼稚な行為だと思います。  

関連画像    ←こっちの方が、どんなに潔いか    主語のすり替え

 

本来、リーダーが止めないといけない場面で、それを前にして「言ったれ言ったれ」と心待ちにしたり「言ってくれた」などと言うなら

その組織の思想は偽物であるということです。 One for all ,  All for one  すべては1人の問題ではなくみんなの問題だ  

自分たちの問題としてやってるんだ  という思想は、嘘だったことの露呈です。

器ではないことを、さもその器をもっているかのようにして、やっているということだと思います。

そのような組織はオルグはしない方が、世の為だと思います。

君臨者に異論したら、糾弾され、それを君臨者が歓迎するのですから。 Where is anti-authority and democracy

 

 

 

      本物は振り子運動とは無縁   

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自分が権力をもつことを楽しむ人は、右にも左にもオーガニックにもロックコミューンにも、どこにでもいる

 

関連:民主主義がなければ右でも左でもオーガニックでも腐敗する②      権威のパラドックスに続く。

 

 

 


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