差別そのものの否定 の続き。
ヒトは社会的な動物であり、自分のいる社会の価値基準の中で自分が適合し、どれだけ上を行くかを
競い合い、評価され、社会的立ち位置が決まり、生活している。
差別されない人間になる努力は、差別していい立場の人達がいるままにし、
差別を温存するばかりでなく、前提を強化さえしている。
差別と闘っているはずの「運動家」が、社会の価値基準に自分が適合していて、中でも上を行っていることを
執拗にアピールしたり、自分は被差別側の当事者(例えば在日、被差別出身者、障害者)でないことを
抜かりなく知らせたりするのを見て、社会を変えるためには、拡声器でLOUDLYに街ゆく生活者に向かって発信する前に
自分の内なる差別と対面することが肝要であることを思った。一等差別をしているくせに差別と闘っているポーズ
をとって号令をスピークすることは、堂々と差別を言うことよりもずっと社会的に有害で醜くみえる。
Pretenders speak LOUD. 内なる植松
今の社会の価値基準そのものを否定すること、価値基準をもっとふさわしいなにかに変えること
私は今、改めてその必要性を思った
日本中ですみずみまで浸透している、狭い価値基準の中で適合していると弁明することをやめたいと思う
みんなが一斉に、それをすればいいと思う 一抜けたを、みんなで
日本には色んな差別がある 女性 障害者 被差別 朝鮮人 年寄 低所得者 容姿 職業 …
差別されるから、差別されないように 対策を練ったりしてきた
自分があれができてこれができて 「能力」があると知らせようとしたり
「ちゃんとして見える」ように 軽くあしらわれないように家にある宝石のネックレスをつけて行ったり。
自分のことでも、誰か他の弱者の付き添いで行くときも。
そういった対策は功を奏したりした 現に、そういうので人が人を見て判断し左右される
これは心理学書にも書いてあるヒトの哀しい性質である
正義の女神テーミス像
見た目に惑わされないよう目隠しをしている
そういうのに左右されて決まることは、おかしなことで 私はそういった「成功体験」をするたび傷ついてきたと思う
世の中への不信感 日本社会の三流感 この程度感 く○感
私はそういった対策をすることで 日本社会の差別的土壌の片棒を担いできた共犯者
他の「ちゃんとして見えようがない」人達にしっぺ返しがくる かれらはより一層追いやられる
身を助ける為、実を取る為に対策をする弱い立場の生活者たちは、悪い構造の共犯者になる 安全地帯
その悪い構造が自分たちの首を絞めているにも関わらず
じゃあ構造的弱者に、滝登りをせろと言うのか
滝を登る魚を捕まえる熊(GIF)
流れを変えよう
もっと静かで穏やかで心地よくてふさわしい流れに変えよう
「生産性」や「賢さ」の意味をもっと思慮深いものに変えよう
今の貧しい価値規範の中でマウンティングすることをみんなで放棄して。流れを変えよう それしかない*^^*
(関連:浅はかなプラグマティズム 生産性② 生産性)