ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

差別そのものの否定

2020-04-04 | 構造の中の差別意識

差別を受ける立場にいる人達が、差別されない人間になる為に大変な努力をして差別されない立場を勝ち取ることがある。

孫正義は佐賀県鳥栖市で在日韓国人として生まれた。私の大学以来の友人である在日韓国人の家族は彼女以外みんな

差別されない人間に成るために人一倍努力し、姉は生命保険で前代未聞のトップセールスを叩き出し、

差別されない人間になる努力をしないでお金にも社会的ステイタスにもならない表現活動をする彼女にびんたした。

以来彼女は家族と絶縁状態になっている。女が男以上の業績を上げて差別されないように頑張る。

蓮舫さんは、男社会でなめられないように負けないようにいつも張りつめた緊張感を漂わせて気合を入れている。

 

      

 

障害者にも、差別されない障害者、健常者顔負けの障害者になるよう人一倍努力する人達がいる。

(関連:パラリンピックが嫌い

私も、障害者という立場にいる時に、「無能力」「頭が弱い」 という前提で扱われた時に

私にはあれができるし これもできるし ばかにしないでくださいと「能力」を知らせたくなる。

 

でも、差別されない障害者、差別されない在日、差別されない女、差別されない沖縄人、

差別されないその他の被差別民 になろうと必死になることは差別そのものを否定せずに温存している。

自分は差別されない立場になっても、差別していい立場の人達がいるままである。

温存というより、その前提を一層強めることにさえなっている。

 

女がなめられないように 政治の世界でも企業でも 肩肘張ってすごく頑張っている ピンと引っ張った糸のように。

私は「男まさり」な蓮舫さんを見て、「女」を感じたりする。それは女性だからこその必死の姿。

 

けれど差別されない人間を目指す努力は、差別そのものを否定せず

「能力」「業績」といった条件付けをクリアしない限り差別していい、と肯定するままである

同じ土俵で跳ね返すのは、避けられない反動。でもそれ止まりだと器が狭い。

 

その狭い価値規範の中で物事を測り、自分がそれに適合していることを弁明することを拒否し

「誰からも差別されたくないし  誰をも差別したくない」と考えることが

差別そのものを否定する姿勢かもしれない

 

様々な差別の浸透した社会において、その尺度の中で互いに競い合い評価されている中で

それができる人はあまりいないように思う  それは社会的な死につながり得る

 

社会における価値規範が変わらないまま 否応なしにこの社会の中で生きていかねばならない生活者が

差別そのものを拒否する姿勢をもつことは、並大抵ではできないことである 

 

(続く)

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 障害者による障害者への侮辱 | トップ | 流れを変える »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

構造の中の差別意識」カテゴリの最新記事