2019-07-21
「生産性」がない人、「役に立たない」人は生きる価値がないとみなす社会。
「生産性」で人の価値が測られる。そんな今の日本の社会は、本当に恐ろしい社会だと思います。
私はいつも、なんの生産性? なんの役? と思います。
役に立たない とか 仕事ができない とか コミュニケーションができない とか 能力がないとか
そういう人への評価はいつも漠然と曖昧なまま、カッターナイフのように乱暴に振りかざされる。
なんの? 何に対して? っていうのを隠したまま、一方的に できないと言われる。
(関連:「コミュニケーション能力」 福岡のハラスメント土壌)
大事なことを目隠ししたまま、有無を言わさず暴力的にふりかざされる、上から目線の言葉。
その、何に対して? という答えは、とても限定的なものを差している。
例えば、ブリヂストンで、吉田保証課長が私を雇い止めにする為ににふりかざした
「コミュニケーション不全」だったら、その前提はこうです。
この職場では当たり前になっている空気を忖度して、それに加担する形でのふるまいをすることが「コミュニケーション」
とされていました。これは、コミュニケーションではなく、ただの暴力構造に過ぎません。
(参照:コンプライアンスに訴えることをギャグにする加害者たち)
暴力構造の中で自発的隷従が、彼らの言うコミュニケーションの前提でした。
彼ら管理職がその責務を全く果たさないことによって起こっていることを、管理職手当を貰っていない末端社員が
犠牲になってひっかぶることが、彼らの言うコミュニケーションの大前提でした。
理不尽なことや間違っていることを指摘してはならない 上の責任者の立場を守る自発的隷従をしなければならない
するなとはっきり言われてなくても空気を忖度して自主規制しなければならない
立場が下の人は、黙って我慢して従うべきだ おかしいなどと言ってはならない 女は男に物申してはいけない
障がい者は雇ってもらっているという意識をもつべきだ 上司が違法な指示をしても指摘してはならない
といった、力関係で予め、なすべき行動を決める暴力の考えに基づくふるまい(かれらの言うコミュニケーション)
をしなかったら、コミュニケーション不全と言われました。
そう、コミュニケーション不全なのは、一貫してかれらの方でした。
私は、ブリヂストンでコミュニケーションが通じなくて、本当に困っていました。
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反抗的だ とか 激高した とか 声を荒げた 態度が悪い ネガティブなどといった、揚げ足取りもそう。
(モラハラ、パワハラ、DV加害者が、相手を非難して自己正当化する時に使う手法です)
なんに対して? というのを隠したまま、「反抗的だ」とだけ言って悪く評価してレッテル貼るのは
むらさきいろの むらさを隠して黄色だと主張するくらい 詐欺的です。
おかしなことに対して反抗的なのは、何も非難されるべきことではなく、賞賛に値する素晴らしいことです。
素直 の使われ方もおかしい。おかしいことをおかしいといわずに従順にやるのが素直と言われている。
おかしいことをおかしいと言う方が、本当の素直。
おかしなことに反抗的なのは、論理、道理、良心にとても忠実で、誠実だということ。
日本では、完全にさかしまの評価、レッテル張りが行われている。
日本人は勤勉だと思いません。むしろ、どうしようもなく怠惰な人達だと私は思います。
日本人は真面目だとも全く思わない。むしろ、末期的なくらい不誠実な人達だと思っています。
その感想は、日本にいる仲間たちや、外国から来て日本を眺めているジャーナリストなども言っています。
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生産性②に続く。