Trips with my RV.

RVでの小旅行。

納車されたタンクでウサギ島へ

2017-04-23 00:28:09 | Weblog
発注は早かったのに納車がカミさんのCーHRに追い越された娘さんのタンクが納車されたので、ウサギ島へ行ってきた。



今回はオール下道で約2時間、昼食は何度か立ち寄っている「道の駅みはら神明の里」の「キッチン ルマーダ」で。前回は「見晴らし美々定食」を食べたので、今回は「唐揚げ定食」(定食のご飯はお代わりできるので大満足)。食後にソフトクリーム。特産品販売コーナーで野菜と柑橘類を買って再出発。




忠海港から15分船に乗り大久野島へ(べた凪の瀬戸内海らしいけど、少々船酔い)。

この島では昭和4から昭和20年の終戦まで、秘密裏に大日本帝国陸軍によって毒ガスが製造されていた。その歴史を風化させないという地元住民の願いがあり、毒ガス資料館が建設されている。その毒ガスの島がウサギ島として全世界に知れ渡った為に、今日でも多くの外国人旅行者が訪れている。

尚、ここに居るウサギは「日本の侵略的外来種ワースト100」に指定されている外来種で、諸説あるが、国民休暇村になった際に島のマスコット的な存在として動物を入れようという話になり、地元のある小学校で飼われていた8羽が放されて野生化し繁殖したのだそうだ。

ま、そんな事情は兎も角、ウサギは可愛いです。



キャベツ3玉とニンジン8本を持ち込んだが、可愛いウサギにオネダリされて一家でメロメロである。

しかし、毒ガス資料館が16:30閉館なので、ウサギの餌やりを後回しにして入館するしかない。

国際法に違反して、大日本帝国陸軍が毒ガスの製造・備蓄・そして使用をしていた事は疑いようのない事実だろう。当時、致死性の高いサリン剤はドイツでしか作れずマスタードガスを製造していたらしいが、製造時の防御方法が稚拙で製造に携わった人達が多く毒ガスの被害に遭ったのだろう。又、日華事変等で中国で1300回以上使用され中国人死傷者は3万7千人以上だとされている。大久野島で造られた毒ガスは米軍との本土決戦に備えて備蓄されていたらしいが、使用されずに戦後を迎え遺棄された毒ガスの被害は広く大日本帝国軍の版図に跨って発生し続けたのだそうだ。特に中国では、戦後40年以降も遺棄された毒ガスによる被害が続いたのだそうだ。何にしろ、悲惨な話である。



展示物は少ないがズッシリと濃い内容だった。「止むを得なかった開戦」と開き直り日本の戦争責任を置き去りにして先の大戦を美化するコンセンサスが形成されつつある風だが、戦後70年を経て「責任を観念し得る世代」が減少したとしても、現在の国際秩序が根本的に先の大戦の戦勝国によって形成されている以上、我が国日本は、戦後スキームからの脱却を自ら語る事は許されず敗戦国は言わば「原罪」としてこれを引き継ぐ宿命にあると考える。その事を改めて認識させてくれる施設である。

但し、現在の国際秩序を変革しようと目論む国家(極亜では中国と北朝鮮、中東ではIS、欧州ではロシアか?)について行動を抑止するべく行動する必要があるだろう。民進党や社会党の闘士の皆さん、そして朝日新聞に代表される売国新聞は、戦前の日本の悪を非難するのと同じ厳しさで現代の中国や北朝鮮の不正を批判して来なかった事が胡散臭さを増長させている。もしも、我が国が敗戦国としての反省の上に立って、国際平和を実現させる礎になろうとするのならば、尚更だと思うのだ。


大久野島毒ガス資料館のパンフレット

(クリックで拡大します)



毒ガス貯蔵施設の遺構等の旧軍施設を見に行こうかと思ったが、外に出ると駆け寄ってくるウサギの可愛さにノックアウトされ餌やりに復帰。結論として、忠海港忠海港待合室売店で売っていたウサギの餌(乾燥ベレット)より生の野菜の魅惑はウサギさん達には好評だった様だ。本土に戻る船の最終便の時刻の関係で、船着き場に歩いて帰る途中にも次々にウサギさん達にノックアウトされて生野菜は完売御礼となってしまう。


最後の人参1本




夕暮れの接岸



やよい軒で夕食。

そして、20時頃に帰宅した。娘さん、安全確認が今一歩だが、長距離を走って車には慣れたのカモ?

恐らく、世の親達は自分の子供が危険な運転をしないか、事故に巻き込まれたりしないか心配しているのだろうと思う。うちの娘さんは、私ら夫婦と違って平和的な安全運転を好む良い子だと思う。だが、ゆとり世代だからか甘いのだろうか?娘さんが事故を起こすとすれば自転車との事故だろうか?真面目な性格だから教習所で習った通りに安全確認をするし、親に似ず他者に進路を譲る優しい子だが、自転車の神出鬼没さには面食らっている様だ。教科書通りにキチンと安全確認をして交差点を左折しようとしているのに、車の右後ろから左折する車を追い越して前に入ってくる自転車と事故を起こしそうになったし(発進時の右後方目視確認は習ったが、左折時の右後方の目視確認は習って居ないそうだし、ミラーはチラッと見たが自転車は全く見えなかったそうだ)、やよい軒から歩道を横断して車道に左折しようとした時にも一緒に安全確認をした際には居なかった筈の自転車が、発進し加速しつつある車のボンネットの鼻先を掠めて通り過ぎた。左から歩行者も自転車も来て居なかったのは助手席に居た私も確認をした筈だったが、一瞬右の安全確認をした合間に、逆向してくる速い自転車は車窓から確認できる範囲外からの進入を許してしまう。自転車のスピードは想像以上に早く、小回りが効くから思わぬところから現れたりするのだろう。この傾向は、娘さんが慎重に安全確認をしている風に見えるから、少々危険に車と絡んでも大丈夫だとの過信を産むのだろうか?

うちの娘さんに事故を起こして欲しくないから強く願うのだが、若者の乗る高速移動し神出鬼没に小回りが効く自転車には道路交通法の遵守が不可欠だと思う。その教育を経ずに、高速で移動できる自転車には乗って欲しく無い。徒歩より早い程度の自転車なら最低限のマナー教育で乗っても良いだろうが、原付一種より速く走れる自転車は無資格で乗ってはダメだと思うのだ。これは単に運の問題なのカモ知れないが、この1日で2回とは前途多難すぎる。(帰路の国道2号線バイパス高架上自転車通行禁止の区間をロードタイプの自転車が大きく揺れながら爆走して居たオマケ付きだった)

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