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「公共サービスに市場原理って・・・変だろ。」への回答・・・?

2011-02-04 20:58:23 | Weblog
過去記事「小泉改革は間違っていたのか?」へコメントを頂戴した。コメント欄は文字制限(5000字)があるので本文として御返事させて下さい。

> 公共サービスに市場原理って・・・変だろ。

コメント有り難う御座います。

公共サービスに市場原理を導入するって、やはり変ですか?

今日のように公共サービスを提供する先が1つしか無いなら、市場原理自体が導入できません。ですが、もし、同じ公共サービスを提供する機関や施設が複数在ったらと云う仮定で考えてみて下さい。

郵便事業を民業として行うべきか官業として行うべきかは異論の分かれる処です。私は小泉改革を支持する派ですが、郵政民営化には疑問が在りました。いえ、郵貯や簡易保険の民営化は必要だと思いましたが純然たる郵便事業は国営のまま残すベキだったと思います。但し、赤字しか生まない郵便事業だけを残すと税金の無駄遣いは必至なので、これも「小泉流の必要悪」だったと思っています。

さて、郵便事業で考えて、もし国営のままサービス提供事業が2つに分割したら・・・と考えて下さい。(勿論、赤字続きの郵便事業を更に分割しスケールメリットを奪えば、相当期間の更なる赤字化は必至なので・・・仮定の話です)例え話ですが、赤郵便局と緑郵便局に分かれたとして下さい。

(恐らく、国営事業なら共通の郵便料金だろうから・・・)自宅や会社から近い側の郵便局を使うのが普通だろう。(仮定の話の仮定で恐縮ですが)自宅から近い赤郵便局の窓口で不愉快な体験をして二度と行きたくないと思ったら、次からは少し遠いけど緑郵便局に行くことにする人も居るだろう。そうして、徐々に緑郵便局を使う顧客が増えて、赤郵便局の顧客が減っていく。そうなると赤郵便局側もサービス向上等の全事業所的対策を打っていき顧客回復に努める筈です。そうならなければ赤郵便局は淘汰されます。市場原理の導入って、こんな感じです。

郵便局を例に挙げたのは、現実的では無いから・・・(スミマセン、天の邪鬼なモノで)

では、学区が重複してしまった公立小・中・高等学校の場合は、如何でしょうか?(これは、現実に発生している複数の公共サービスが選択されてしまう例です)

伝え聞く話で赤小学校では良い先生が素晴らしい教育を実践しているらしいしローカルTVで度々紹介されている。緑小学校からは良い話も悪い話も聞かない。この場合、自分の子供を入学させる小学校は赤にするか緑にするか自由に選択できるとして、あなたならどちらへ子供を入学させますか?

中学校も同じです。子供の将来を考えて、親が入学して欲しいと思う高等学校へ入学する卒業生の多い中学校を選択したり、子供が取り組んでいるスポーツで上位にいる中学校を選択しませんか?そして、高等学校も全く同じです。

これらの改革は、以前からも在りましたが、小泉改革で「官業への市場原理導入」として全国に広がりました。小泉改革(の精神)が小泉政権以後も徹底されていれば、他の官業でも競争原理に基づく市場原理が導入されていたと思います。

今日の国家的な問題である社会保障の話に置き換えると・・・、消費税率を引き上げてでも社会保障の安心安全を確保しなければならないと管民主党政権も(前の麻生自民党も谷垣自民党も)云っています。何故なら社会保障費(年金・医療・介護)は今後更に少子高齢化社会に突入するので抑制は不可能です。そして、世代間での支払い/受け取りの格差を縮小する為には事前積み立てが不可欠で、試算では消費税換算での20%増税が必要と答申されています。(つまり、現行税率5%+20%で、25%の消費税率)いきなり、そのレベルに消費税率を引き上げる事は出来ないので、不足分を赤字国債で補う税負担をしながら段階的に消費税率を上げていく・・・事が、約束されています。(将来の不足を補う為の積立金としての不急不要の「埋蔵金」を借金をしながら貯めていく作業です。)政治家の常套句である「官僚が悪い」と私は思いませんが、歴史が証明する通りに、この巨大な「事前積み立て」を官業で上手く運用出来るとは思いません。

小泉改革の目指す小さな政府では違った社会保障改革となった筈です。小さな負担は小さな保障、中くらいの負担は中くらいの保障、大きな負担は大きな保障です。そして、国民に求めるのは小さな負担で小さな保障の筈です。

社会保障に市場原理を導入すると、「加入先の選択自由化とリスク調整」を個人が行う事が出来るようになるのです。国が責任を負うのは「各個人が受けるべき最低限の社会保障サービス」です。

先ず「リスク調整」ですが、これを雇用形態も可処分所得も、将来への不安感も異なる全国民を対象に一律にする事こそが不平等だと思うのです。社会保障費を払う国民の側が、何通りのパターンから、どのパターンで幾ら支払うかを決められるようになります。例えば、「医療保障は厚く、年金は薄く、介護は厚く」とか「医療は薄く、年金は厚く、介護は厚く」とか「3薄」とか「3厚」とか・・・。これが格差社会だと云うなら、国保未納者のしわ寄せで協会健保保険料が上昇しているのは所得の再分配だ云う考えになるのでしょうか?では、少ない可処分所得で爪に火を灯して生きている人は馬鹿者だと云うのでしょうか?

例えば、自力で行う老後保障として倹約に次ぐ倹約で毎月僅かずつキチンと貯金を積み立てた個人の貯金を、貯金をしなかった個人が分け前にありつくような話です。

いや、1袋のお菓子をユックリ食べようと毎日1個ずつ食べている人の菓子袋に残っているお菓子に、他人が手を突っ込んで2~3個摘み食いするようなモノです。

負担をしなくても受けられる「最低限の社会保障」と、大きな負担をして受けられる「大きな社会保障」は、確かに大きな格差を生んでしまうでしょう。それを調整して、大きな保障を求める大きな負担からは大きな利益再分配の為の分担金を、中くらいの保障を求める中くらいの負担からは中くらいの利益再分配の為の分担金を、小さな保障を求める小さな負担からは利益再分配の為の分担金を取らない世界です。

そして、「加入先の選択の自由」です。赤郵便局と緑郵便局と同じように、公的医療保険の加入先も個人の選択制にするのです。今の公的医療保険には競争原理が働きませんから、苦しい公的医療保険母体も、裕福な公的医療保険母体も居るでしょうが、全国民一律の保障をするので、苦しいところは益々苦しく、裕福なところは益々裕福になってしまうのです。ここに市場原理が導入されれば・・・民間の医療保険会社がそうであるように、出来るだけコストを削減し、可能な限り質の高い商品を提供しようとします。そして、他社と一律の商品ではなく特定の傷病に特化したリスク細分型医療保険も既に登場して久しいのです。個々人の将来への不安感にきめ細かく対応し、市場原理の中で1円でも安く、他社より質の高いサービスを提供するようになるのです。こうして、市場原理を導入する事で、公的医療保険も民間と同じ顧客サイドの利益を考慮するようになるのです。

国家が「最低限の社会保障」を保証する為に、政府は「国民皆保険」を維持する為に、各個人に対して必ず1つの保険者を選択するように義務付けるのです。これは、自動車を保有する人が、車検を受ける際に必要な・・・強制保険(自賠責保険)と同じ事です。自賠責保険の保障は被害者救済しか目的にしていませんから、それ以外の保障には任意保険(民間の自動車損害賠償保険)に加入するのです。自動車の保有は国民全員では無いから許されても、社会保障を強制保険と任意保険に分けるのは「格差社会」を生む・・・と云う反対意見は尤もです。又、公的医療保険者にした処で、公営に限定しなくても諸条件が許せば民間の参入を認めても良いのです。

国民は誰でも、「少ない負担で、大きな保障」を求めています。それは現実的に不可能です。しかし、少しでも欲求を満たすには市場原理導入以外の方法は在りません。そうすれば「少しでも少ない負担で、少しでも大きな保障」を得る事が出来るようになる筈なのです。

こうして「個人」が「公的医療保険」も任意に選べる。「保険料」「保障内容」も「個人」が任意に選べる。そして、それを最終的に保障するのが「国」として、医療保険に限定して話を進めると、忘れてはならないのが「医療機関」です。

現在専売制が敷かれているのはタバコ位でしょうか?あらゆる商品・サービスには市場原理が導入され競争原理で商売されています。ですが、「医療機関」は少し違います。(確かに、拠点基幹病院や研究に専念する筈の大学病院等は一律料金では無いカモ知れないが)診療報酬は全国一律です。薬の値段も(多少の地域性はあっても)全国一律です。

「国」以外の医療保険に関連する当事者に市場原理が導入されたのに、診療報酬・薬価には導入しないのは片手落ちです。それぞれの「医療機関」の経営努力を促す為にも診療報酬・薬価にも市場原理を導入するのです。そうなると・・・確かに、過疎地での個人経営の医療機関では分が悪いでしょう。そこに機会均等の調整を加えるのが「国」です。現在の診療報酬・薬価を・・・標準価格として、過疎地でも標準価格とし(もし、医療機関で赤字となるなら、個別保障等で)「国」が調整機能を果たせば良いのです。

この市場原理一本槍の方法では・・・、町々にあった小売店が消滅の危機に瀕していて田んぼのど真ん中にイオンショッピングセンターが建っていく小売業の現実が医療機関にもやってきます。そして、市場的に魅力がない過疎地域から病院が消えてしまう事にも繋がるでしょう。そうなれば、「国」がナショナルサービスとしての国営診療所を過疎地域に造る等のユニバーサルサービス実現の手段を講じる必要は在るかも知れませんし、「国」の代わりに、それを(現在の民営化したNTTが担っているような)ユニバーサルサービスを一定規模以上の「医療機関」に義務付ける事でも対応可能でしょう。

こうして、医療保障全体にも市場原理が導入されれば、国家として、今日想定されている額の「積立金:は不要になります。確かに・・・地域によっては(現在の郵政民営化がもたらした郵便局の統廃合で起きた・・・今後も起きる統廃合で)医療保障の低下を招くでしょう。この法案を国会に通す国会議員さんは、「そんな地域限定の医療保障サービスの低下を招かない施策を作っています」と答弁するでしょうが、そんなの嘘っぱちです。全国一律料金で全国一律同サービスを実現する為の費用を国民全体で平等に分担する事が、果たして真の意味での平等なのでしょうか?

少子高齢化が、今後は存続できなくなる地方自治体を続々と生んでいきます。今後は構成員が減少する一方の地方自治体を周辺の市町村や県で吸収して最低限の住民サービスを実現していく事になるでしょう。その場所が過疎になり無医村になっても、生まれ育った先祖伝来の田畑と家屋敷に済みたいという願いは当然の事ですが、住民サービスに掛かる経費は莫大です。今後、本当に、その傾向は過疎の村等では強まっていき・・・5Km四方には1名しか住んでいないと云うロビンソンクルーソー並の現象も起きてくるでしょう。(そんな極端な例を、とお叱りを受けるかも知れませんが・・・)人口増加局面の都市部への人口集中が加速する前に於いては問題視する必要の無かった事でも、重大な社会問題となる日は近い筈です。人口1400人への給水の為に敷設されていた水道管が老朽化したとして人口4人の為に(行政サービスが定めた耐用年数で)水道管を交換すべきか・・・居住を諦めて貰うか・・・と云う基本的人権を蹂躙する事態も発生していくでしょう。そんな中で、ユニバーサル・サービスと云う足枷が重く感じられてしまいます。

こうして、医療保健サービスと云う公共サービスにも市場原理を導入する事は(市井の一般人が考えるだけなら)可能です。これは、他の公共サービスでもシュミレーションはしませんが可能だと思います。ですが、その事が(場合に依っては)憲法で保障された基本的人権を犯す事になってしまいます。その部分の問題は、更に政治の責任で(何らかの方法で)解消していくベキだと思います。

只、消費税25%を国民全体で払って、加速する少子高齢化社会の社会保障の安心を買うと云う選択肢以外の選択も議論しないと熟議の国会には成らないと思っていたモノで・・・。そう云う選択肢の例を卑近な小泉改革でも実現可能に思えた・・・ダケです。匿名のコメント主さんは、今後の社会保障問題を、どうすれば良いと思われますか?


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