Trips with my RV.

RVでの小旅行。

映画『009 RE:CYBORG』3Dを観に行った(その3)

2012-11-12 00:14:31 | 映画
神山健治監督CM「スカイダイブ」篇 PEPSI NEX × 009 RE:CYBORG(サイボーグ009)



人々が神を信じなくなり神に祈らなくなった現代、「彼の声」が人類へやり直しを命じ、自らの目的を失い流される人々は「彼の声」に従いテロ行為を行い人類文明を破壊し続けている。そのテロを対象として27年ぶりに産みの親ギルモア博士に依ってゼロゼロナンバーのサイボーグ達は召集されつつある。ギルモア博士に依って記憶を封じられ3年ぶりに記憶をリセットされ続けていた島村ジョーも自らが009としての出自の記憶を封印され生きる目的を失った現代人として漫然と生きていてジョーも又「彼の声」に囚われて「彼の声」に従って超高層ビルへの爆破テロを計画していた。当に爆破テロを実行しようとした時、ゼロゼロメンバーの仲間が封印された記憶を解放した。ギルモア博士には信じて貰えぬまま、本来の記憶を失っていた間にジョー自身が爆破テロ犯としてテロを実行しようとしていた記憶を持ったまま正義のサイボーグ009としてテロとの戦いに命を賭して参戦していく。「彼」とは、創造主であり万能の「神」なのか? それならば、人は神との闘いに勝てる筈が無い。諦めにも似た気持ちで、でも、テロとの不毛な闘いを続けるジョー。そして、気が付く。「彼」は「神」ではなく、人々の潜在意識に潜む無意識の集合体である集団的無意識こそが「彼」として人類文明全体へ否定の声を挙げ人類全体が否定されようとしているのでは無いかと気が付く。この人類の集団的無意識に依って人類が否定されている事を止められる存在は「真の神」しか居ない、自らの命と引き替えに多くの人々を救う自己犠牲に依ってなら「真の神」に声を届ける試みが成功するかも知れない。戦略原潜から発射され迎撃し漏らしたSLBMを自らが赴き止める為にイワンの最後の力を借り成層圏にテレポーテーションして貰う。SLBMの弾頭に取り着いたがカウルに仕掛けた爆弾がカウルと共に外れジョーも振り落とされてしまい迎撃に失敗したかに見えた時、ジェットがやってくる。(観客は誰もが知っている通り)満身創痍のジェットが最後の力を振り絞りジョーは弾頭に手が届く。ジェットは脚部ロケットエンジンが崩壊しながら大気圏に墜落していく。ジョーもSLBMの迎撃に成功したモノの空を飛べない彼は大気との摩擦で燃え尽きてしまうのだろう。フランソワーズはイージス艦の艦橋甲板から綺麗に尾を引いて流れる2つの流れ星を見上げて涙する。ジョーは自らの命と引き替えに人類を救ったのだ。

ここでエンディングの筈である。ここでエンディングとしておくべきだった。ここでお涙頂戴として、その実、シリーズ2作目の製作が始まれば御都合主義にジェットとジョーは生きていたとすれば良かった筈である。このシーンは漫画版のサイボーグ009地下帝国ヨミ編最終話「地上より永遠に」の再演でもある。

「彼の声」とは人々の潜在意識に潜む悪意の集合体の声なのだろう。何故かと問われても困るがサイボーグ009達の敵は、決まっている。この際、天使の化石(のモニュメント)の謎解きなんか無くても誰も文句は云わないだろうし、金髪碧眼の裸足の少女の正体も判らなくても誰も文句は云わない筈だ。余談序でに、「天使の化石(のモニュメント)」とは文字通りの記念碑であり「真の神」へ自らの命と引き替えての善行を為した者の為に出来上がる(作られる)と云う御約束に過ぎないが、これはサイボーグ009の世界観のモノでは無い。無用の長物だが、無くするとシナリオ的に破綻を来すのカモ知れない。因みに、金髪碧眼裸足の少女こそが「神=人々の善意の集合体」なのカモ知れない。トモエはジョーの内なる「神=良心」なのだろう。こう云う解釈が連綿と連なっているサイボーグ009の世界観なのだからしょうがない。良い悪いではなく・・・これを素直に肯けるのが往年のサイボーグ009ファンと云うモノだと思っている。


漫画版の「サイボーグ009」11巻最終回はこんな感じだ。『009 RE:CYBORG』も、これを踏襲して「無用の長物」を足さなければ良かったのカモ知れない・・・
 初めのうちは009達を陥れ殺そうとしていたが最後は正義に目覚めた地底人女性は命と引き替えに地下世界に逃れたブラックゴースト団の総帥を追い詰めた。「ヨミ」帝国の地下で待っていたのは巨大な魔神像だった。その魔神像はブラックゴースト団の科学の粋を集めて作られた破壊兵器で、地上の兵器やザッタン軍兵士を一瞬のうちに塵と変える強大な威力を備えていた。ブラックゴーストの総帥を乗せ、地上へと脱出を図る魔神像。その脱出と共に地下帝国に仕掛けられた水素爆弾が複数個同時に破壊され、地下帝国と共にサイボーグ戦士達は消滅の瞬間を待っていた。

 まさに万事窮すと思われた時、サイボーグ戦士達を救出したのは新たな能力に目覚めたイワンのテレポーテーションだ。サイボーグ戦士達は彼の念動能力によって地上に運ばれたのだ。だが、その中にジョーの姿はなかった。彼はイワンによって魔神像の中にテレポートされていたのだ。その9人の中で最も優れた能力を持つが故に。魔神像の中で死を決意するジョー。たとえ勝利を得ようとも、もはや脱出する術は残っていない。仲間達は周囲に居ないので生き残ったのは自分だけだと絶望している。

 ついに正体を現したブラックゴースト団総帥。それは3人分の脳髄がカプセルに入った形で保存されたモノだった。激しい総帥達の攻撃に屈しそうになったジョーを救ったのは、ジェット・リンクからの通信だった。彼は、一人成層圏で命を終えようとするジョーを追って、その持てる燃料のすべてを使い地上から宇宙空間まで追ってきたのだ。

 勇気付けられたジョーはブラックゴースト団総帥との闘いに勝利する。総帥の脳髄はジョーに告げる「われわれを破壊してもブラックゴースト団は滅びない。人間一人ひとりの中にある悪しき心の集合が、ブラックゴースト団であるからだ」

魔神像の爆発と共に宇宙に放り出されるジョー。それを受け止めたジェットには、もはや大気圏に再突入するだけの燃料は残されていなかった。「助けにきたのにすまない。ロケットの燃料が残っていない」自分を見捨てて帰れというジョー。だがジェットは、生死を共にすると誓った仲間を見放すことはできなかった。燃え尽きながら地表へ落ちて行く002と009。ジェットは最後につぶやいた。「ジョー、きみはどこに落ちたい?」

 輝きながら燃え尽きようとしていた二人を地上で見ている影があった。家の窓から流れ星を見る姉弟。弟が「おもちゃのライフルがほしい」と唱えるのを見て微笑みながら姉は「世界に戦争がなくなりますように、世界中の人がなかよく平和にくらせますように」と祈っていた。その光はこの世界の平和を守った者達の放つ光だったのである。


こんなエンディングの翌年には、石森章太郎先生は時間的に連続し難いスピンアウトシリーズを2年続けた後に、「天使編」を書き始め断筆、『神々との闘い編』を書き始め断筆している。サイボーグ009シリーズが未完の大作と呼ばれる由縁は「天使編」『神々との闘い編』の断筆が印象付けているのカモ知れない。

これらを引っくるめて、サイボーグ009の世界観に何らかの決着をもたらし完結とする事は石ノ森章太郎にも無理だったのカモ知れない。本作『009 RE:CYBORG』は27年後の世界だとされている。それは石ノ森章太郎が最後に描いた『サイボーグ009』の「時空間漂流民編」が1985年に発表されて以来だからだ。だから、今回のジョーとジェットの諍いも1985年の「時空間漂流民編」からなのだが、記憶を封印されていたジョーならイザ知らずNSA諜報員として前線で働いていた筈のジェットが27年前の諍いを引き摺っているんだとしたらチョット引いてしまいそうだ。

この「時空間漂流民編」の連載が終わった頃から石ノ森章太郎は人前に出なくなったのだそうだ。その後、98年1月にリンパ腫による心不全で亡くなられる前に病床で構想を21冊のノートにまとめたモノを参考に石ノ森の没後、 石ノ森章太郎の長男であり俳優・作家の小野寺丈氏が小説化した作品が石ノ森章太郎最後の遺作としてサイボーグ009シリーズの完結編と云う意見もあるが、当の小野寺丈氏自身も「構想ノートに書き残されたプロットと父が部分的に書き上げていた原稿を基に完成させることになった。しかし、プロットの中には明らかに没であろう要素も書かれており、採用するべき要素の選定から行わなければならなかった。また、002の章は初稿ながら一応は原稿が完成していた一方で、007の章はプロットにもタイトルしか書かれておらず、小野寺が全編を書き下ろしているなど、石ノ森が残したプロットや原稿の完成度は章によって大きく異なっていた」「本当ならメモを取ったり綿密な打ち合わせをしたりするべきだったのだろうが、それをやってしまうと父から生きる意欲を奪うことになりそうで、恐くてできなかった」と語っていて、『2012 009 conclusion GOD'S WAR -サイボーグ009完結編』は正当な『サイボーグ009』の完結編とは(私は)思っていない。

それと同じ方便を、今回の『009 RE:CYBORG』の制作者サイドは採用して『2012 009 conclusion GOD'S WAR -サイボーグ009完結編』ではなく「時空間漂流民編」を石ノ森章太郎最後の作品としたのだろう。余談だが「時空間漂流民編」はブラックゴーストを壊滅させた『地下帝国ヨミ編』の翌年以降書かれた中編の中の『移民編・・・未来の地球で滅亡の危機に瀕し、現代への移民を試みる未来人たちとの対立を描いたもの』の後日譚だ。


大気圏外のSLBMの爆発後、大気圏外から落下し燃え尽きてしまった筈の島村ジョーはベッドで目覚める。寝心地の良いベッドから身を起こすと窓辺で鳩が鳴いている。鳩に誘われて窓辺に行くと運河の水面を歩いて渡るフランソワーズの姿を見る。フランソワーズは水差しとバケットパンを持っている。ハウスの扉を開けて入って来たフランソワーズに尋ねるジョー「ここはドコなんだい?」「ここは私のセーフハウスよ」
そして外には、もはや助かっていないと思っていたジェットを始め、行方不明になったピュンマとグレート、ギルモア博士もイワンもジェロニモも張々湖とハインリヒが居る。
ギルモア:「この地球こそが、まさに奇跡の様な美しい天国の様な世界なのだ。」
何故か全てのゼロゼロナンバーのサイボーグ戦士が集結したら、(まるでスイッチが切り替わった様に)その周囲に沢山の普通の人々もパッと現れる。


このエンディングを読み解くには今までのサイボーグ009シリーズでは役に立たない。このシーンは押井守的だと信じた神山健治監督が書き足した部分であるからだ。誠に申し訳ないが「無用の長物」である。009シリーズ全体へのオマージュとして『サイボーグ009・時空間漂流民編」後の完結編として、石ノ森章太郎とは無関係の神山健治が脚本を書いた。心の師匠と云うか「Production I.G」の稼ぎ頭だった老人の働きが悪いので、老人へ宛てたラブレター・・・押井守が監督を引き受けたがるだろうと神山が勝手に思った押井守好みのシナリオ・・・を、架空世界に住まう機械仕掛けの老人達を27年ぶりに復活させて、30年ぶりのノスタルジーに浸って貰う中高年の初老男性をカモにして商業化しようと試みた習作なのだろう。(その2)(その3)で引用したYouTube画像は映画化が決定する前のアルバイトである。フランソワーズがOLとして勤めていると云う事の前に、本人曰く、心の師匠である押井守に決心を迫る為に神山流のサイボーグ戦士達に仮の命を吹き込んだ訳だろう。だが、残念ながら押井守にやる気を芽生えさせる事は出来なかったのだ。

兎に角、新しい映像表現だけに創り込み不足が残っている事は否定しないが、最新の技術で作られた当代最高レベルのアニメ作品である事は誰も否定しないだろう。近い将来には塗り替えられるだろうけど、今現在では最高レベルにある映像が描写するシナリオは最高レベルとは思えない。シナリオは、当の神山健治が自らの監督作品の為に書いたシナリオでは決して使わなかった手法・・・「夢落ち」を持ち込んだのだ。「夢落ち」作品に於いてシナリオを語るのも片腹痛い。

SF系ではタブーとされる「夢落ち」をやってのけた「うる星やつら・ビューティフルドリーマー」のモチーフである「生きることの全ては夢の世界のできごと」とのテーマ、異変に気づいた者もまた異変の中にいるという「メタ虚構」の話である。残念ながら、一世を風靡した『うる星やつら」テレビシリーズのチーフ・ディレクターの押井守が脚本を兼ね制作を総指揮した押井作品の原点であり出世作であり最高傑作だった「うる星やつら・ビューティフルドリーマー」には届いていない・・・カモ?残念ながら、その気持ちは押井守には届かず、押井守は・・・出来合いのシナリオで映画を撮る事を嫌って、恐らく往年の009ファンが喜ばないだろうシナリオを挙げたのだそうだ。制作者側の意向と合わず、神山が考えた押井守が撮りたいだろうと思ったシナリオは神山健治自身が撮りたいシナリオだったと説得を受けた神山健治が監督として制作が開始されたのだそうだ。

だから、最終部分の解釈は、特に無い。特に答えは準備されていない。だが、この最終部分が「『真の神』はジョーの自己犠牲を厭わぬ善行に応えて奇跡を起こした」と云う御都合主義では断じてない。この部分は全くの余談で書かなくてもシナリオ的に破綻しなかった筈だからだ。それよりも書いてしまった事でリスペクトすべきの石ノ森章太郎らしさが失われてしまう。強いて云えばデウス・エクス・マキナである。「神の声」は人々の幻だった。「真の神」が存在するのかしないのかは判らないが、「機械仕掛けの神」は存在するのカモ知れないと云うオチだろう。この『009 RE:CYBORG』は、私の様に子供時代にサイボーグ009が好きだったオッサン向けの映画であるが、「イノセンス」へのリスペクトを感じるのなら今時の若者でもOKな内容だ。だけど、押井守の出来の悪い贋作なのカモ?
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