左は藤山 右は小池

東京(ガス)初観戦は95年の鳥栖戦@江戸陸。両SBはタイトルの二人らしいが全く記憶に無い。

記憶違い、二つ…。

2008-03-07 23:02:35 | 東京ガス


 東京の開幕戦をみたのはいつだろうか?JFL時代の97年か98年だった気がする。

 どちらも多分駒沢で、97年なら福島FC、98年ならば国士舘大かな…。非常に記憶が曖昧である。

 98年の試合は奥原がオーバーヘッドをした。それが決まった気がするが…。

 オーバーヘッド・東京!!

 この時、初めて聞いたチャント。東京史上初だったかもしれない。

 その奥原が東京の前線に戻ってきた!城福東京には、奥原がいる。

 明日、いよいよ開幕!!

うぉお…

2008-01-28 19:28:59 | 東京ガス


 城引退試合の記事から。

 横浜FCオールスターズに、中丸貴之の名前を発見!ビックリした。

 中丸は、98年のみ在籍で25だったかな。

 横浜からの移籍者。リバープレートへの留学歴も含め、ワクワクした中盤の選手でした。

 しかし、出場したのは1試合のみのはず。


 それは、自分にとって初遠征になった都田の本田技研戦。多分、途中出場で得点に絡みそうなプレーをしたような…。

 試合後、26の小峯と手を取り合い、コールに応えていた気がします。

 小峯自身も、引退に追い込まれる大怪我を追った本吉との交替出場のはずで、もしかすると東京初登場だったかもしれません。また、この日は藤山が出場停止(累積?)で松本が先発出場しています!

 あの都田遠征はレアな一日だったのかもしれません。

 しかし、なぜ中丸が…?もしかすると、横浜FCの普及部とかにいるのかな。

僕らの季節

2007-10-07 16:53:51 | 東京ガス

 今日は天皇杯3回戦。BSでの生中継も始まりました。

 大昔、東京がガスだった頃、マスコミに取り上げられる可能性があったのはこの季節だけ…。

 一年間頑張ったご褒美?または、検定試験みたいな感じ?今のHONDAの様な状態だったと思います。

 マガジンやダイジェストの扱いの悪さ(遅さ)にイライラしたり…。

 放映カードに選ばれたら万々歳!!ダイジェストな番組も見逃せ
なかった。

 中継途中に流される試合経過も大変貴重でした。

 今日中継された試合では、明大が京都を1-0で破る。ゴール裏には、長友の段幕も出ていました。

 四回戦は、東京選手権として明治と戦うのもいいかもしれない!

あの日も雨だった

2007-10-05 20:35:32 | 東京ガス

 東京初観戦から、粛々と?12周年。

 今日の朝と夕方、雨になりました。12年前も雨だったかな…。

 バックスタンドコーナーに陣取ったゴール裏が、メインスタンドから靄ってみえた気がします。

 あの日は江戸陸。松永がいた鳥栖フューチャーズ戦。

 PKにもちこみ、確か4-2での勝利でした。

エンジェル

2007-09-10 21:57:02 | 東京ガス

 画像は、帰って来た男・松永成立。

 松永がマリノスに戻って来たのは、今年から?東京関係の江戸陸では、00年・ナビ杯京都戦辺りでいたかもしれません…。

 監督(ソラリ?)と衝突した松永がJ入りを目指していた鳥栖(フューチャーズ!)入りしたのは95年。ドーハの悲劇の一員を観に江戸陸へ足を運んだ時の対戦相手が東京ガスだった訳です!

 あれから、もうすぐ12年だ。

 BGM by 天使 songby 甲斐BAND(1979?)


二人目

2007-06-30 13:58:01 | 東京ガス


 FC刈谷の監督に浮氣が就任。

 東京関係で初かなと思いましたが、高崎でのアマラオがいました。シーズン途中&成績低迷まで一緒、窮地での就任なのかな。

 浮氣は自分が観始めた頃のCBでした。

 当時としては珍しい学芸出身。最近の選手に当てはめると、レギュラー出場する迫井や池上ってところです。

 97年には市原へ移籍。94~95年の関浩二は知らないので、東京からステップアップする初の選手でした。

 翌年には、東京へ戻って来る訳ですが…。背番号は17、かな。

 その年の天皇杯@西が丘ではゴール裏へスパイクかユニフォームを投げ入れた気がします。それは移籍の挨拶でした…。

 堀池と同期の浮氣、刈谷で頑張れ!

ピン…ときた!

2007-05-16 06:52:04 | 東京ガス


 オフィシャルのメッセージボードをみる。

 新しいメッセージのなかに、もしもしホットラインの紹介がありました。その担当が大金さん…。

 大金さんって、ガスの選手だった方かな?

 早速、検索してみました。残念ながら、現在クラブにいる方と同じかは分かりませんでした。

 しかし、02年には東京ガスの監督をしています。

 大金選手は、大熊・東京(ガス)の初期を支えた中盤のプレイヤー。自分が観始めた96年あたりには岡島や奥原などが出ていて、自分はプレーをみたことがないと思います。

 クラブの歴史を意識した楽しい検索でした。

11 12 5 そして

2007-05-02 23:33:11 | 東京ガス


 ダイジェストの多摩川クラシコ特集を読む(立ち読み)。

 定義としては、東京が成立した後の99年以降になっている。だから、次のアウェーは11試合目になる。

 中西のコメントで嬉しかったのは、それ以前のJFL時代にも触れていること。

 それは後にして、99年第3レグ@西が丘についてもコメントしている。ツゥットがシュミレーションで退場し、ティンガが脚を釣りながらドローになった試合で、日が暮れた西が丘は忘れられない。

 そして、JFL時代からは97年・江戸陸の試合。

 キング・カズが代表戦(フランス大会予選)で3得点した翌日、アマラオが4得点試合です。なんと、中西の誕生日だったそうです。

 そして、驚いたのは画像が載っていたこと。

 当時はみた記憶がありません。掲載されるのが非常に稀な時代でしたから、気が付いた筈なのにね。

 PKみたいなんですが、4得点のなかにPKなんてあったかなぁ。

 シュートを撃つアマラオの後ろにエドウィン・本吉、そして浅利。ルーキーイヤーのサリは7じゃなかった気がするんだけど…。

 ゴングみたいにならないように、ダイジェストは買いなのかもしれません。

 日本語が達者?な分、中西がかなり誉め役にまわっています。堀池を誉め、サンドロ・小峯・梅山・藤山・新條・浅利・由紀彦に鏑木が出てくる媒体なんて、今ありえません。

 多摩川クラシコを企画して良かったと、思います…ね。


席が波乗り

2007-04-15 21:08:27 | 東京ガス


 『多摩川クラシコ』にちなみ、等々力観戦歴を振り返るが、昔過ぎて鮮明でありません…ゴチャゴチャ。

 川崎戦が初と思っていましたが、夏の夜に武蔵小杉からバスに乗った気がします。多分、これは98年JFL・国士舘大戦でしょう。

 スタジアムはガラガラで、珍しくバック二階席に陣取っていたのでは…。

 国士舘は二軍だった気がするので、カブや金沢はいなかったのかな。静か過ぎて、夏の虫が聞こえていた気がします。

 等々力での初・川崎戦というと、東横線ジヤックのイメージがあり。皮ジャンを着ていたM氏がいたとなると、東横線…は翌99年になるのでしょうか。

 その99年の1’stでは、輝にFKを決められました。また、試合前?に現れた鬼木に゛SOCIO゛マフラーが贈呈していたかな。

 追いつめられた4’thでは、奥原がボレーを決めた筈。しかしリードを守れずドローだった試合は、『FC東京の挑戦』でも記された途中出場・途中交替でキレた岡元が印象的でした。

 G裏にペプシマンが頻繁に現れ、この時も二階席を疾走していた筈です。

 そして、98年の川崎戦@等々力。二階席に陣取った間抜けな姿が、多分ダイジェストに載ったと思います。

 この試合は、関浩二との送別試合。

 この年、平塚から復帰するも故障がち(♪おぉ関、おぉ関、おぉ只今入院中…♪)で、自分にとっては初・関でもありました。残留戦を戦う札幌に補強された訳です。

 G裏に駆け寄り、投げ入れた30のレプリカ。その姿は、何年かはみることができましたね。

 そうなると、最後は下層にいたことになるのですが…。波のようにうねった座席をみたのが、98年ではなくなるのかな。

 だからと云って、ここ2年(再昇格後)の等々力を覚えている訳ではありません。行った呑み屋は忘れていませんが。

タケちゃんマン…

2007-01-13 10:36:54 | 東京ガス


 桃色の梅がひだまりの中で咲き始めた。早いねぇ!

 昨日、想い出したこと。

 竹元のチャントが、俺たちひょうきん族の『タケちゃんマン』がだった気がします。10年一昔、また見始めた頃なので?ですが。

 もっと不確かになりますが、それが和田にも使われた気も…。

 多分、JFL時代の江戸陸あたりの試合で。挙げ句に『コマネチ』のポーズで返してくれた気がするので、試合後だったのかな?

 間違いないと思うけど…。違ったら、御免なさい!