日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

イザベラ・バード・ビショップ『朝鮮紀行』「三十年前の朝鮮」4 傳馬旅行    

2019-07-19 09:42:18 | 朝鮮・朝鮮人 


 「三十年前の朝鮮」
 

     イザベラ・バード・ビショップ女史 
     法學士 工蔭重雄抄譯  

 

4 傳馬旅行  

〔通訳生の人選難〕
 英国を立つ時からして私は朝鮮内地旅行の難な事は手紙で承知して居た。道路、旅館、食物など、就中信用す可き下男と通訳を得ることは最も困難だと聞た。

 私は京城に到着して以來最早数週間を夢と過ごした。英国敎會の住持カープ和尚、其他誰れ彼の方には通訳生雇い入れに就て一方ならず世話をして下されたが今日では殆んど絶望の姿であ。英語を解する朝鮮人と云へば大底官立學校卒業生かメソジスト教會の附屬學校を出た者で夫れ等の多くの人と私は逢って直接話を進めた。

  所が彼等は悉く不健康で、怯懦で、意思の弱い輩ばかりであった。隅々私と同行の約束をした者も翌日になると虎が居るかるいやだとか、三月も半年もの長い旅行はいやだとか云って皆約束を反古にして仕舞った。
 或る者は鼻持ちならぬ程気障で私のに這入るや否や安楽椅子に腰を下ろして前後に揺れながら親父さんが質問でもする様に種々な事を聞いた。そして最後に旅行には一所に行って上げるから馬を二、三頭用意して呉れ、一頭は自分の乗馬として、一頭は手廻り小荷物の馬して、尚ほ一頭は着更へ九着を積むんですからと言った。

 

〔とうとう支那人を使ふ〕
 オヤオヤ九着も十着もの着更か必要ですかど訊ねたら朝鮮人は英国人の様に不潔でないからと空嘯いた。これでは朝鮮人通訳を使用するのは断念する外ない。にカーフ和尚が自分で使って居た支那人元某と云ふものを貸して呉れた。比の男昔は芝罘の船頭であったそうだが、英語も解るし、忠實で、能く働らいて、少しも不服のない、感心な人物である。私は此の男を伴れて暫く旅をすることになった。

 

〔朝鮮の通貨〕
  岸野の春の桜狩一夜を明かす程だにも旅とあれは物憂きに、まして朝鮮内地旅行は英国あたりで思ひ設けぬ苦勞が伴ふもの、而も早速困るのは通貨である。京域と開港場には日本の圓銀及補助通貨が通用して便利だが、一歩踏み出せば青錢に非れば通用しない。共の靑錢たるや三千二百枚が一弗に相当するからやりきれの。であるが故に旅行家は通貨を自身に持当することは勿論出來難いことで、人か馬かで運搬する外はない。例へば百圓即十磅を運ふには六人の苦力か一匹の馬を使用せなければならぬから驚く。

 

〔旅行具一式〕
 偖てこれから愈々支那人元を引具して傳馬旅行に出掛ける。先つ船に積み込んるは青綫一山と、日本銀貨一袋及其他旅行要具、この旅行具も中々に崇ばみ面倒を顧みす、一々書き上て讀者の笑覧に供して見やう。即ち乗馬鞍一顧、組立式寝臺一組、夜具布団、蚊張、垂布、疊み椅子、水嚢、線茶、カレー粉、小麥粉、七輸・フライパン及其他の臺所用具、湯吞、ナイフ、スプーン、フォーク等並べ立てると裏店の轉宅かと怪しまれるにだらう。此の外に種々食料をと思ったが實は其の必要は無く、田舎に行けば鶏卵あり、小鳥あり、胡挑もあれば米もある。

 

〔愈々出立〕
 田舎に行けば欧州からは元より京城からの音信も社絶すべくは覚悟の前である。日本製地図をたよりにして南漢江の上地方へど志す。目的地は山国で急も多いと聞た。このあたり未に曾て外国人が足を入れたことのない地方で、特に女人の私が先を着けるのは淋しくもあるが心が勇み立つのを覺える。

 

〔獨旅も危険ではない〕
 多くの人は婦人の身としてかかる冒險は迚も叶わぬ願ひ故、中止しては如何と親切に忠告して下された。然し未開国の旅行は其實人の言ふ程に危険なものではなくて、怖ろしい話などは宜しく五割の割引して聞くべきもの。殘る五割は漢江の水に流して仕舞ヘと思ひ定めて京城を出立した。

 

〔用意の小馬に乗る〕
 時は維れ千八百九十四年(明治二十七年)四月十日、京城の郊外は楊柳煙り、春霞棚引く、梅挑妍を競ひ、ヘリオトロープもやがて紅唇を開かんとどする時、私は豫ねて用意の小馬に跨った。
 曾て京城入りの節に出迎へて呉れた方々に見送られて南大門を抜け、軍神關帝の廟前を過ぎり、木覔山麓の並木道、琴の調も松風や、旅の衣を吹かせつつ、漢江畔に辿り着いた。其処で私は舟に乗った。舟は舳より艫に至る二十八呎、幅は四呎十吋に過ぎない。

 今後幾日かの我宿と定めて見れば狭きこと夥しい。

 

〔舟に移る〕
 而も携帯行糧を容れた袋の数々と、椅子寢具と着更の着物を堆高く積み上げたから僅かに膝を容るるの餘地があるばかりである。舳の七呎四吋の板子はミラー君と葵君の天地である。
 船頭は船主を兼ねたる金老人と其の使用人たる酒好きの男と、都合六人の大勢が乗り込むことになった。金老人は痩軀鶴の如く、挙動野卑ならず、貴族的風貌をそなへた好人物であるが飛び切りの惰け者である。

 

〔船頭金老人〕
 凡そ世の中に怠惰なる者多しと雖も、金老人は彼等慴報せしめて物臭国の王たるべき資格を充分に具備して居る。起きるこく遅く、寝ること早く、準備の時間を無暗に長く費して、仕事は瞬間に中止する。如何に春の日の長きも金老人の手にかかれば苦も無く空費し盡される。1時間棹さしては眠り、醒れば煙管の長きに勝りて長々ご喫煙する。牛の多みは悠々として遅きも我等の舟足に較ぶれは疾風のし如しと評し度い位である。

 押籠に逢ひたる如く、或いは函詰にされたるが如くして、私は其日の正午舟出の波を漢江の流に擧げた。峯には見送る人の姿か繪になる程に美しい。舟は案外に無持が悪くない。只た鮮人の放つ悪臭と煙草の煙が困る丈けである。


〔続〕
イザベラ・バード・ビショップ 「三十年前の朝鮮」 5 漢江上り 



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