日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

イザベラ・バード・ビショップ 『朝鮮紀行』(「三十年前の朝鮮」) 20 獨立獨行の精神を訣く、居候根性(終)     

2019-09-12 11:57:35 | 朝鮮・朝鮮人 

「三十年前の朝鮮」
イザベラ・バード・ビショップ女史著
法學士 工蔭重雄抄譯 

 

イザベラ・バード・ビショップ「30年前の朝鮮」

 

20 擱筆に莅みて   
  (註、擱:カク、おく。手に持っているものを下におく)(註、莅:リ、のぞむ)

 読者は私の拙き筆の跡を辛棒し、談んで下さいました。日清戦爭以後の事伴の進行、行政の改革、教育、貿易、財政等の進歩發達の状況は朧げながらも了解せられた事と思ふ。尚ほ読者は著者の筆に連れて或は田舍の旅行をしたり、其の生産状況を見たり、市日に行商人に逢つたり、家庭生活やら家庭の慣習やらを見たり愚な迷信を憐れんだり、官吏貴族に虐げらるる國民に同情したり種々な經驗を得られた事と思ふ。
 読者は朝鮮人の無気力、懶惰、居候根性、貪乏を審さに観察され朝鮮の獨立は甚だ困難にして將來望少きこと、而も其國土は現在人口の二倍を收容し得ること、両大強國の中間に介在して進退難に陷れることを推測されたことであらう。私は読者に別るるに臨み今少しく案内の役目を勤め度いと思ふ。

〔朝鮮必しも貧ならず〕

 先づ私は申上げ度い朝鮮必しも貧ならす、貧なるは其の資源を消盡せるが故に非ずして却って資源を開發せざるが故である。国土は農業に適して居りながら其の成功を見ざるは成功すべき利用法を過って居るからである。気候に申分なく、降雨量は適度で決して不足して居らぬ、而も土は肥へて居る。地下には石炭あり、鐵あり、銅あり、鉛あり、更に金がある。海岸線千七百四十浬は有利なる漁場であって前人未到の富源である。住民は強壯且つ從順、欧米に言ふ乞食は見當らぬ。私は朝鮮必しも貧ならずと言ひ度い。

〔空しく眠る〕

 一面から言えば朝鮮は有り余る勢力を抱いて空しく眠っているのである。上流階級は不都合な社会組織に麻痺せられて無為無能の生涯を送っている。中流階級の為めに何ら出世の門戸を開き興へず、彼らの奮起研鑽を要すべき職業が無い。下流階級に至りては其の運命を繋ぎ野獣の害を免るる程の家に住む以上決して労働をせぬ。
 京城第一の商店と雖も資本を抱いて働かぬ。普通の商店以上の建築をせぬ。餘る精力を用ひずして眠って居るといふ所以である。普通の事々物々悉く低級である。貧弱である。劣等である。特権階級の猖獗、官吏階級の誅求、正義公道の全滅、財産の不安、取得の危険、政府の頑迷等悉く是れ朝鮮自滅の禍根である。更に國王は後宮に耽溺して億兆の赤字を顧みず、外は老朽腐敗の帝国に兄事し、内は列國の詰め歯牙相争ひ、猛鷲翼を拡げて一目でそれと知られる野心を抱いている。眠れる人には海に陸に利源が溢れ、五體に力充も何の利益にも立たぬ為、朝鮮は汏々乎として危い哉と叫び度くなる。 

〔獨立獨行の精神を訣く〕

 朝鮮を亡ぼす更に大きな普遍的な原因は国民挙げて独立独行の精神に缺けて居ることである。健康な體格を有ち乍ら、親族知己に少し福裕な人があれば其の内に居候して終日何一つ仕事せずに暮らしている。而も世人之を羞とせず、輿論は之を糾弾せぬ。苟も確実なる収入ある人は、如何に其の収入が少額なりと雖も自己の親類は元より妻の親類、自己の友達、親戚の友達、友達の友達等実に沢山な人を扶養しなければならぬ。産ある者は忽ちに喰ひ潰される。この恨を脱がれる唯一の方法は即ち官吏となることだ。

 官吏となれば其の位置の高低を問はぬ。幾百の居候来るとも差支ない。お役所の金を持ち出して養ふのだから世話は無い譯だ。此の唯一の方法を得るために人は役所に突進して位置を求め、従って役所の地位は商売道具化して仕舞ふ。而して役人の数は増加する。役人は仕事も無ければ目的も無い。役人にならなければ喰へぬのだ。喰へぬから小陰謀小革命が繰り返される。生きんが為の革命故死して主義に殉ずる道理が無い。朝鮮の官吏も居候根性なら朝鮮の革命も居候主義だ。

〔居候根性〕

 居候も朝鮮人の居候根性は徹底的である。京城市中稍々高官有福の人の家には屈強な大の男が相當な教育もありながら幾十人となく寄食して居る。三度三度の飯も食べさせて貰へば煙草一服も人の物を吹かして居る。見苦しい話だ。話すことは到底耳にされぬ野卑なことばかり、名誉心に跌け独立の志を失って居る。嗜のない話だ。主人公が居候を養ふ力がなければ、追ひ出す譯には行かず別に官職を探してやるか、又は人の為めに官職を設けねばならぬ。故に政府の官吏なる者は世のヤクザ者の寄合處帯に過ぎぬ。

 朝鮮を数百年の久しきに亘りて困憊せしめたる朋党比周の争闘は主義主張の対立に非ず、朝鮮に在りて政権を得、政権を握って後に監禁を自由に処分して懐を肥さんが為めである。故に等しく廟堂を立ちて政治を議すべき閣僚は内実互いに相嫉み相斥け、己獨り國王の寵を得、其の子孫、其の朋党を挙げ用ひて権勢を張るに汲々として居る。

 朝鮮字典の著者は言ふ。「朝鮮語の働くとか骨を折るとかの言葉は損をする、馬鹿な目に逢ふと言ふ義にとられ、仕事をせぬのが上品で、怠惰なのが柔和と心得て居る。」と。官吏が自己の子分の為に極力地位を求むるは別意は無い唯々生活の為めだ。こんな人が偶々官吏となるも官吏としての手腕は有たぬ。ほとんど一事も為し得まい。彼等の辣腕は到る所で民の膏血を搾り俸給を溜め込む点に在る。

〔匡救の途如何〕

 私は既に飽く程百姓は働いても働いても無駄働きをして居る事を書いた。農夫は誰よりも一番能く働いて稍々幼稚であるが朝鮮の風土に適した方法を以て容易に生産量を二倍にすることが出来た。然し乍ら彼らの労苦に報いらるる所は何か。彼らの所得は何時掠奪せられるか判らぬ。彼らは僅かに其の家族を養ひ襤(ラン、ぼろ)褸(ロウ、ル)【註、襤褸=らんる、破れ衣】を身に纏ひ得れば満足しなければならぬ。新築の家に住み新調の衣服を着る事は禍を招く所以で百姓の最も惧るる所である。

 水呑百姓の数の如何に多きことよ彼等は官吏と両班の強奪に遭ひ年々其の耕地を減じつつあるであは無いか。彼等現在の状態は漸く三度の食事を支ふるに過ぎぬではないか。この境遇に在る農夫が未来に何の希望を有しえるか。肉を剝れ骨を削らるるは免れ難き歴然たる運命ではないか。彼らが無精になり無感覚となり無気力となり行屍走肉となるのも不思議は無いでは無いか。

 朝鮮には種々の改革が行われたが國民階級は依然として掠奪階級と非掠奪階級の二つである。前者は両班の出である官吏で実に天下御免の國家の吸血虫である。後者は総人口の五分の四を占むる下人にして吸血虫に生血を吸われに生きて来た者である。此の不名誉な組織體から新朝鮮は築かれなければならない。其の方法は教育である。生産階級の保護である。不良官吏の處罰である。才幹技能に応じて官吏の俸給を支払うことである。

〔ブラオンの功績〕

 曾て國庫の整理に試みられたるが如くデッシリした腕利きの外國人顧問を置いたならば朝鮮の改革必ずしも望み無しとは言へぬ。官庁の不整理、官吏の腐敗は既に極点に達し、中央官庁の好む所は地方官庁之を範し、國中隅から隅迄悪政に満ちて居る。唯ブラオン氏が其の人格と手腕を以て財政顧問の職に居りて難局に當ったが惜しむ可し何人も氏の功績に感謝の念を抱く者無く、却って陛下左右の奸臣妖妃に拒まれ腐官亜吏に遮ぎられた。彼らは財政の厳正なる制度を好まず陛下を唆かして之を破壊したるのみならず、氏は彼等の諫言、妖計、腐敗に手を焼き、信頼すべき助手の在らざるに困脚し、因習的悪風に包囲せられ、陰に陽に官吏全體の反対に遭つたけれども百折不撓遂に千八百九十七年の如き好成績を収め得た。

 マックレビー、ブラオン氏が大蔵省のオーゼアンの厩の清潔法を始めて未だ数か月ならざるに遂に支出は一定の形式を踏むこととなり、収入は支出を超過し穀潰しの兵隊は解散せられ、遊惰無職の冗員は淘汰せられ、地方官庁も亦中央に倣び、総て大緊縮方針に則って改革を断行した。各省の会計は精査の後に非れば承認を輿へず、一々に意義あり一々に効果ある改善を試みた。

 曾て千八百九十六年七月には一人として朝鮮の破産を疑わなかったのが翌年四月に終わる会計年度では百五十萬圓の剰餘を生じ内百萬圓を以て日本に対する債務三百萬圓の一部弁済を為すことが出来た。若しブラオン氏同様の熱勢あり才幹ある人が各省の顧問となつて働いたならば朝鮮の復興敢えて難事ではないと思ふ。唯時間の問題である。

〔啓蒙時代〕

 當今の朝鮮は啓蒙の時代である。日清戦争の結果を直視して生ける経験を味った。日本の勢力時代には立國の道は他に在ることを悟った。祖先が尊重し固持した制度慣習必ずしも執着する価値無き事が明らかになった。最早朝鮮は舊夢を因はれて居る譯には行かぬ。

 京城は或る意味に於て朝鮮そのものである。歐米式教育を輸入して以来朝鮮人が受けたる新たな衝動、新たなる思想は次第に地方に流れ出なければならぬ。彼等は先進國民と接触する毎に迷夢から醒める。新聞を手にする毎に自己を省みざるを得ぬ。支那の冊封を受け支那の宗主権の下に生活していた間は両班は実に強奪者として暴君として至らざるなき我儘を振舞って居たものだ。

 然るに日本は萬人等しく法律の前には平等であり、両班に畧取の権なく下民に自主の権在ることを教へた。新聞亦同一の智識を輿へた。即ち日本人の手を経たり泰西の教育を受けたりして百姓は吸血虫に生血を吸わるる宿命でもなければ義務でもないことが夜の明けるが如く彼らの頭の中に明らかになって来た。

 簡単に綜合すれば朝鮮は過去三年の間に於て数百年来続いて来た支那と属邦関係を断った。日本の武力の真価値に驚嘆した。紙の上丈けなりとも上流と下流の區別は撤廃せられ、土隷は自由となり、庶子と雖も尚腕次第高位高官たるを得ることとなった。惨酷な刑罰拷問は廃せられ、舊式の制度に代わる新式の鋳造貨幣が流通することとなり、進歩せる教育制度が輸入せられ、組織的な規律ある軍隊と警察が編成せられ、官吏資格登用試験と支那文學は其必要なしとせられ、仁川京城間の鐵道は着々進行して近々完成せんとし、商人團體の團結は次第に瓦解し郵便制度は普く八道に適用せらるることとなり、財政の基礎漸く強固ならんとし、地租の米納に代ゆるに金納を以てせることは著しく官吏の不正を防ぎ、

中央にも地方にも官吏の無法非道は矯められることとなった。

 

 右の様な事情にして社会は啓蒙の時代に入って来たが千八百九十七年(明治三十年)八月十二日の官報は次の如き勅語を発布した。

〔明治三十年の勅語 その一〕

   勅語 その一 

 朕は國家の立場を顧みて國難が足許に迫って来るのを見て惧れて居る。然し乍ら國民は上下共に全然無関心なるかの如き観がある。朝鮮は現下の状況では到底繁栄せぬ。朕は内閣諸大臣が朕を導き朕を扶けるのに信頼して居るけれども彼らは一向朕の附託に応じない。如何したら朕は我が臣民を此の混沌の状況から救ひ出すことが出来るのか、朕は國家の保護が完全でなければ家に在ても幸福を享くることが出来ない事を國民が反省せむことを希望する。
 朕は朕親ら朕の務めを怠って居たことを告白すると共に朕の大臣及其下僚の官吏は朕の過失を諫め非違を匡して呉れなければならなかったのだ。璽等の祖先は能く朕於の祖宗を扶養して呉れたでは無いか。朕は國家の為めに正當であり適切であるならば何でも之を実行し度いと努めて居る。而して璽等臣民が朕の意を體し忠義の精神を新たに奮起して朕を扶けるものと信頼して居る。
 朕は璽臣民悉く一身の利害よりも先づ國家の公益を考へることを望んで居る。

 億兆悉く朕と心を合はせ國家保全に努めよ。

〔明治三十年の勅語 その二〕

   勅語 その二

 朕が臣民の安寧幸福は朕の不断の希望である。客年の擾乱以来平和破れ秩序乱れて臣民甚しく困憊して居るのを朕は能く承知して居る。臣民は生きんが為めに死する程の苦しみを受けて居るにも拘らず政府は手を束ねて生活状態の改善を計らない。
 朕の周囲は不義にして富める者のもみなるを思へば決して愉快では無い。朕は之を悲しむ。地方の官吏は宜しく全力を擧げて人民の生活向上に當らなければならない。従来不當な租税は強制的に課徴せられ、幾千の無理非道な官吏は何かと言へば口実を設け掠奪を横にし援無き朕が赤子を困らしめた。
 何故に彼等は朕が臣民を残酷に取扱ふのか。仍て朕は茲に地方官に向って如何なる不法の租税が課徴せられつつあるか之を巨細に取調べ猶豫なく之を廃棄すべきを命ずる。若し朕が命令に従はざる者あらば法に照して刑罰を課するであらう。

〔未来なきにならず〕

 朝鮮の弊風は数百年の痼疾(註、コシツ、長い間治らない病)であって一朝一夕に治癒するものではあるまい。然し乍ら過去一年間観察し調査した結果、私は朝鮮に決して未来なしとは思はぬ。反動的勢力が擡頭しても夫れは一時的現象に過ぎぬ。只次の二点は何處迄も之を認めなければならない。即ち

一、朝鮮の改革は朝鮮人自身の手を以てしては不可能であるから外部から之を援助しなければならぬ。

二、國王の大権は憲法的に永久的に且つ厳重に制限を加へなければならない。

 

 以上、私は朝鮮の内部的観察の梗概を書き留めた。これから記載の方面を政治外交に求めて見たい。朝鮮の地理的位置は日本とはホンの僅かの海一重の隔たり合せ、露領と支那領とは陸続き、此の相互関係が自ら絡む因果を織り出して行く。抑(註、ソモソ)も朝鮮に支那が久しきに亘り其の威を振って居たのは大國なるが上に風俗、宗教、哲学の大先輩であったからだ。然し乍ら支那の弱点が現実に暴露した以上は最早昔の通りには参らぬ。

 日本は実力を以て支那と相争ひ朝鮮の従属的外交を破って獨立國たらしめ、自己の朝鮮に於る地位は列國と共に同一の権利を有することを主張した。日本政府は朝鮮と一衣帯水の関係に在って内政改革より受くる影響の甚深なる旨繰返し聲明した。斯の如き利害関係ある日本は誠意を以て事に當り特権階級の急所に触れ社会的秩序に変動を齎(註、モタラ)した。

 日本は過去の経験に乏しい。改革手段が多少乱暴過ぎて無用の敵愾心を唆り出したかも知れないが私は日本の誠意熱心を疑はぬ。日本は決して野心を包蔵して居ない。朝鮮の師友となり獨立の補佐役たる役目を忠実に果たして居るに過ぎぬ。多少の過失があったかも知れないが日本は一年以上も善良なる先達となって朝鮮を導き種々の有効且つ必要なる改革を行日其他にも計画する所があった。今日着々行う所は実は日本が豫め引きたる線上を歩むに外ならぬ。露西亜が代わって日本の勢力を奪うは日本の顧問官、監督官、陸軍教官及駐在軍隊は本國に引揚げ、成るに任せよ行くに任せよの政治が始まった。其実は朝鮮が成るが儘に乱れ、行くが儘に滅びるのが野心ある露國の腹の中であったのだ。

〔露國の魔の手〕

 露西亜勢力時代が継続すれあばその魔手が遠からずして伸びて来るのは無論である。而も露西亜の意の儘になる時朝鮮と英國との貿易も終わりを告げる時だと思はねばならぬ。木浦と鎮南浦が開港場となった即下、即千八百九十七年九月九日ノーヴエ、ヴレミヤ紙は之を以て英國が朝鮮市場獨占の野心を以てせる如く書き立て、朝鮮政府に於ける英國官吏の減少と日本守備隊の撤退を主張して居る。

 千八百九十七年(明治三十年)末の朝鮮の様子は大略上述の通りである。獨立はしたものの獨行の道を知らぬ朝鮮は列國の間に挟まれて今後如何に成り行くものか誰も知る者はあるまい。

 私は露西亜と日本とが顔と顔を突き出して睨み合ってる最中に名残惜しくも朝鮮を去った。左程興味を惹かなかった事柄もイザとなれば懐かしく心惹かれてならぬ。従来方々大旅行をしたが朝鮮旅行程親切な友達の世話になった事は無い。私は夫等の人々と別れるのがつらい。私が京城を立つた時は雪景色であった。空は晴れ渡つた最も気持ち良き朝であった。翌日は朝鮮政府の所有汽船ヒエニク丸に便乗して甲板から仁川に左様ならを告げ上海に向けて旅立った。 

            (終)



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