日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

吉本襄(勝海舟の逸話)勝海舟 日清戦争の時、首相伊藤博文に書を致せり

2019-02-09 00:22:11 | 勝海舟

吉本襄(勝海舟の逸話)日清戦争の時、首相伊藤博文に書を致せり

世間或は先生の警語を以て、高島易断に比し、

   事後なるが故に善く適中すと嘲(あざけ)るものあり。

 然れども、これ未た先生を識らざるものの言のみ。二十七八年の役、皇軍連戦連勝、将に黄緑江を渡りて滑境に入らんさするや、先生曰く、我の師を海外に出ししはただ朝鮮の獨立、東洋の平和の爲に外な久ざるは、宣戦の詔勅に明らかなり。我が軍、今や既に清兵を韓外に追ふ。而もなほ長驅して清境に入るが如ききあらば、それ遂に無名の師となり了らんのみと、既にして旅願陥ち、威海衛また我が有に歸し、清国將に和を請はんとするや、先生また曰く、先んすれば人を制す。我まづ使を北京に派し、我に朝鮮の獨立と、東洋の平和とを措きて、また一点の私意なきを示し、共に東百年の大計を立つべし。然らすんば或いは李伯の為に制せらるるあらんと。

 その後、講和の条件ほぼ定まりて、遼東台湾の割譲、及び二萬両の償金と决するや、先生また謂つて曰く、土地の割譲は列国の容喙を受け昜し、如かず、土地も償金も悉く之を還附して、更に彼をして遼東を縦貫すべき鉄路を布き、大連湾を以て世界の互市場に供せしめんには。此の如くんば登用の治乱は、列国共通の利害となり、何人も事を此地に起すを敢へてせざるべし、然らすんば、二億の償金も將來に必要なるべさ軍備拡張の費に充つるに足らす、国力或は疲憊すをことあらん。此の三事後に至りて皆な験あり。先生の、豈、呑象の易と同日にして語るべけんや。


(この一節は波多野傳三郎氏の撰者に送られし書翰に據よる)
日清戦爭の當時、先生生は、富田鐡之助を遣はして、
 左の書を時の首相伊藤博文に致せり
 盖し先生は、固家の大事に際するや、必すその意見を當路に進むるなり。

      愚存

 戦闘の勝取は、能く箪機に投じ、軍士をして、其英気を保たしむるにあり。今や戦爭七ヶ月、戦毎に勝ち、軍機に弛まざるに、將師その人を得たると、兵士其忠勇に因る。今や冱寒に際し、衣食共適度を不レ得・病卒日に増し、内国の衆民漸く異議を唱へんす。或は恐る、軍機解弛を生やん歟。其機既に動くあらば、誠に以て可恐可′憂之極なり。仰で望む、將師は、其機先を明察し、軍士をして益々其勇威を鼓舞作興し、内相は、衆民の志嚮を新たにし、倦怠の念慮を消散し、内に病ましからざらしむべきなり。近頃上下善後策に汲々、善策の考窮出で其機既に遏ぐ、また何の益あらん。徒に議論の紛々を生ずるのみ。


 戦結ぶ既に數月、必ず機の熟するものあらん歟。我の和戦各一方に傾き云ふにあらず。其の進退駆引、大政の劃内にあり。若し!可レ乗の良機あらば夫れを失はざるべき也。一たび機を失し、
再び機を失せば、難易地を換ふ。是は前知すべきに難からず。

 衆人後事結了の容昜ならざるを知る。故に少しく心ある者は、窃にに是を愁ふ。此風衆民に及ばば、終に軍機沮を生せん、武人無智、有智無勇、両々相倚り、今日の作為す。

 其形勢騎虎の勢成る。窃に窺は、衆心漸く倦怠の色を生ず。猶ほ酔後一掬の水を求めんとするが如し、蒿此時国家を安んずるは、大政の要點。事業は武人に可属と雖、其の戦和如何、後策如何の如きは、内閣大臣の断决に屬すべきは論を俣ざるなり。故に内閣大臣自ら任じ、廟廓上活発流暢渋滞なく、善後の策を定め、勇断顧みざるべく、悠々として兵機喪沮に及ば挽回すべからず、百事蹉跌を生ぜん、豈計策の立と不立にあらんや。
 所分の難昜は、唯だ機先と失機とに関す、豈區々策畧を論ぜん。正に勇断寳行にある而己。老朽の浅言、採るに足るものなきは固より也。唯だ時節の黙すべきに非ざるを知り、微衷の在る所を書し左右に呈す、 謹言。



最新の画像もっと見る