陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その197・器の気持ち

2010-08-11 09:01:09 | 日記
 ふと思いつき、雪を踏みしだいて窯場に向かった。愛おしいかぶと窯と再会したくなったのだ。白い息を吐いて山をのぼった。周辺には相変わらず、窯出しされたままの陶器が散らばっている。その中に、自分がつくったものを何点か見つけた。ここで修行した一年前につくり残しておいたものを、センセーと火炎さんが焼いてくれたらしい。今となっては笑ってしまうようなへっぽこな形に、ほろ苦いものをおぼえる。こんなド素人に、よく太陽センセーのような大人物がつきあってくださったものだ。自分はセンセーを何度がっかりさせたことだろう。あまりの下手さに、あまりのバカさ加減に、きっと呆れられていたにちがいない。
 ただ、ふと思い返す光景がある。
 筒型の唐津式の挽き方を教えてもらい、センセーに見つめられる前でろくろを回したときのことだ。何度も何度もくり返し筒を挽くオレの手元をにらみつけながら、センセーはなにも言葉をかけてはくださらなかったのだった。できあがったものに関しても、なんの批評も、感想も頂戴できなかった。ただ、あの日の夜、お茶室でふたりきりでお茶をいただいているとき、太陽センセーはぼそりと切りだした。
「毎夜欠かさずろくろを挽いておるのか?」
「はいっ!」
 即答する。センセーはオレの瞳に見入った。素直に発声された返答にウソはないと知ると、センセーは目尻に満足そうなしわを刻んでくださった。
「そうか・・・そうか・・・」
 オレはほめられも、けなされもしなかったが、あの笑みで十分だったんじゃないか、と今では思う。師はそのときすでに、弟子にゆく道を示唆してくださっていた。そうか、そうか、とセンセーは何度もつぶやき、しみじみと笑う。そしてそれきり押し黙る。沈思しつつ、ふたりでお茶をすすった。
 あのときみたいだ。今、棺の中に横たわる太陽センセーは、どこにも影が差していない完全な笑顔だ。
ー満足満足、おなかいっぱい。俺は休ませてもらうが、おまえは精進をおこたるでないぞ・・・ー
 そう言われているような気がした。
 花に満たされた棺は閉じられ、葬儀場の焼き窯におさまった。重い扉が閉まり、火が入れられる。
 あぶり・・・攻め焚き・・・還元炎・・・ねらし・・・
 太陽センセーは山吹色の炎に包まれて、天に昇っていった。陶芸家はそのとき、初めて器の気持ちを知ったかもしれない。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園