陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その195・太陽センセー

2010-08-08 08:57:00 | 日記
 太陽センセーが渾身の力で丸太をかち割ってから、ちょうど一年が過ぎていた。オレは再び太陽センセーの前にいた。信じられないほどいい顔で、センセーは微笑んでいた。完全にやりきって、満ち足りた人生だったのだ。
ー笑ってる・・・ー
 こんな死に顔は見たことがない、と、しみじみ感じ入った。センセーの生涯は、きっと楽しさにあふれていたにちがいない。まるでいたずらに成功した子供のような、そんな無邪気な笑顔だ。
 オレは訓練校を卒業すると、東京にもどって工房を構えた。念願だった陶芸教室を開いたのだ。膨大な準備と手続きに走りまわり、開業してからも、生徒さん集め、レクチャー、自分の作品づくり、窯焚きなど、工房運営に忙殺された。そのために、遠く離れた地方の山ふところに住むセンセーに会いにいくこともままならなかった。それでも機を見ては、せっせと長い手紙を書いたり、おいしいものをお贈りしたりした。するとセンセーは必ず電話をよこしてくださった。
「干し柿、うまかったぞ」
「母の手づくりです」
「一日で食うたわい」
「20個も?」
「火炎にはいっこもやらんかった」
 からからから、と、いつもはしゃいだ声だった。
 話しだすと毎回、長電話になる。太陽センセーは耳が遠いので、オレは大きな声で話す。ほとんど叫ぶように。するといつも、周りにいる教室の生徒さんたちから怪訝な目で見られた。だけど気にしない。相手は大切なひとなのだ。センセーの愉快そうな話しっぷり、時おりまざる重い言葉、拍子抜けするオチ、そして品位あるエロ話は相変わらずだった。
 ところが半年もたつと、急に声に張りがなくなり、奇妙な弱音が漏れるようになった。どうしたことかと息子の火炎さんに事情を聞くと、口ごもりつつ打ち明けてくれた。
「すい臓にガンが見つかってさ、それ以来元気なくしちゃって・・・」
 だけどたまたま別の箇所の検査を受けたときに発見できたんでラッキーだったよ、だいじょうぶだいじょうぶ、だと思う・・・という火炎さんの声も、ひどく沈んで聞こえた。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園