陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その189・すごいオレ

2010-08-01 07:11:12 | 日記
 自分で勝手に障害物を設定し、そんな走路を駆け抜けることに熱中しつづけた。そんなチャレンジが大好きだし、それでこそ燃えるのだ。筒花入れを8mm厚でつくれと言われれば5mm厚にしたし、手びねりの巨大傘立てを12mm厚でつくれと言われれば8mm厚にした。結果、紙細工のように薄っぺらなものができあがる。検品でハジかれるが、そんなことは知ったこっちゃない。わが傘立てには、傘など立てられない。使い勝手などカンケーない。自分の技術が高まりさえすればいいのだ。修行とは、そういうものなのだから。また、50つくれと言われれば100つくり、60分でと言われれば30分でつくった。自分の設定ラインこそ、未来ヘの道を開くハードルとなる。それを飛び越えなければ、自分の求めるレベルを達成するのに間に合わない。悠長にかまえてなどいられなかった。周囲のライバルは、自分の伸びしろの基準として存在した。また先生の指導は、地図のない方位磁石でしかなかった。ひとをアテにはできない。自分のゆく道を切り開くのは、自分きりでしかありえない。
 タイムアップの合図で、卒業試験は終了した。オレは107個を挽いて、個数ではクラスの2番目だった。だけど数ではなく、その107個の質にこそ自信があった。サンプリング検査で、107個の中から無作為に抽出された一個が割かれたが、その厚みは、上から下まで完璧に均等だった。そしてその断面は、クラス中の誰のものよりも薄かった(自分だけ別のルールで闘ってるのだから当然だが)。わが仕事ながら、なんという美しさ!それは、飛び抜けた質、と言いきれる。今にして思えば、この試験は「発表会」だった。勝ち負けは関係ない。眼目は、自分が納得できるかどうか、だけ。そしてオレは、その結果に自分の一年間を見て、間違ってはいなかった、と納得した。
ーよかった、オレ、天才でー
 これは、この文章を書いている人物のシャレなしの言である。友だちがいなくならないことを祈りたいものだ(無理か)。
 自分を信じきることだけがとりえなこの人物は、「すごいオレ」の実現だけが目標だった。そしてその目標は、はばかりながら、相成った。検品で先生がまっぷたつに割いたまま残していった切っ立ち湯呑みは、こっそりと持ち帰った。極限薄づくり。音叉のように正確な断面。「すごいオレ」のトロフィーとしてしまっておこう。それは本当に、この一年間でつくりあげた自分自身の姿なのだから。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園