陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その196・再会

2010-08-10 09:09:13 | 日記
 正月にやっとまとまった休みがとれたので、矢も楯もたまらず太陽センセーんちに挨拶に伺った。恐れ多くも元日の訪問だ。
 タクシーで庭先に乗りつけると、山を覆う竹林が枝先に雪をのっけて、しずくを落としていた。晴れた日だった。破れバケツの中で鬼板が凍っている。散らかった庭は相変わらずだ。久しぶりの若葉家の風景。ほんの一年前にすごした場所なのに、なぜか遠い少年時代の日のようになつかしい。
ーかわってないな・・・ー
 あたりまえだ。整頓されることもなければ、これ以上荒れ果てることもない。この場所が変わるはずがない。・・・ただ、いつも外で雑用をするふりをして出迎えてくれた太陽センセーの姿だけがなかった。
 母屋に通される。
「おー、よう来たの・・・」
 センセーはわざわざ病床から起き出してきてくださった。からだを火炎さんに支えられて、ヨロヨロとやっと歩ける状態だ。話をはじめても、その声は聞き取るにも難儀するほどにか細い。
「まあおせちでも食えや・・・」
 中央のテーブルには、デパ地下なんかで見る豪華すぎるおせち料理が並んでいる。奇妙にかしこまった雰囲気。窯焚きのときに雑魚寝する場所として使われ、酒ビンやビール缶が散乱していたこの居間も、きれいにかたづけられていた。なんだか居心地がわるい。
「なんでもお食べ。わしゃもう食えんで・・・」
 センセーの衰弱ぶりは著しいものだった。丸々と血色のよかった頬はげっそりとこけ、目も落ちくぼみ、痛々しいかぎりだ。火炎さんが小皿に取り分けてくれる伊勢エビやアワビなど、その蒼白な顔の前ではつつくのもはばかられる。あの頃、もりもりとようかんをほおばり、生き生きと笑みをこぼしていたセンセーは、今や薄く呼吸をするだけの植物のようになっていた。食事制限があると聞いて、お見舞いには食べ物でなくカーディガン形のセーターを持っていったのだが、苦痛でその袖に腕も通せないという有り様だ。
「あとで着てみるけん・・・ありがとうよ・・・」
 そんなひと言をしぼり出すにも苦労するサムライの姿に、胸がつまった。
 休みたい、とおっしゃるので、面会はすぐに打ち切られた。ベッドに横になると、ことりと寝ついてしまう。このわずか三日後に天に召されるはずのセンセーだが、愚かな弟子の顔を見るために無理をして起きてきてくださったのだ。感謝の気持ちでいっぱいになる。
 眠りに落ちたセンセーにそっと別れを告げ、庭に出た。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園